佐藤悠【小山町】5日目
小山町に来て3日ほど、1人で探索したり制作したりしていたので、誰かと一緒に何かを作る場を共有したり、同じ場で思い思いのことをしながら過ごす環境が欲しいなと感じて、2日ほど前に思い立ち、どこかでものを作る場所を開く会ができないかと懇親会で出会った方にMessengerを送った。
とんとん拍子で話が進んでいき、日時・場所・参加者が決まって、 1日後には開催となる。
ホストの皆さんのこの連携とフットワークの軽妙さはすごい。
小山町で寺子屋と駄菓子屋を行っている勝亦さんのお宅にお邪魔させてもらい、駄菓子屋ことり堂の営業日に合わせて、何組かの親子と一緒に会を開くことができた。
何かを教えるとか、みんなで1つのことをする・・ということがやりたいわけではなく、ただいろんなことをしている人たちが、ある時間に1つの場所で過ごすというの行いたかったので、このような会の説明を書いて共有した。
前日に打ち合わせをするために会場に寄ったが、既にそこでは寺子屋が行われた後で、子供たちが走りまわったり、ゲームをしたり、おもちゃで遊んだり、思い思いに過ごしていた。
お宅がものすごく広く、また勝亦さんの子供たちへの関わり方、他の保護者のこの場への関わり方を見て、ほんとにさっき送った会の説明のままで実行できそうだなと感じ、ほとんど何も決めずにその場を去った。
宿に帰って風呂に入ったり、NOTEを書いたりしていると、いきなり自由に何でもやっていいのは結構難しいことでもあるし、もしかしたらフリーズする人たちも出てくるのかなと少し不安になって、一応その時のためのプランBも考えつつ翌日現場に向かった。
3人ほど既に現場にいた子たち(2人はここに前泊したそう)は、そのまますんなりとやりたいことの制作に入っていったので、結局特に何か説明などをすることなく、僕も自分のやりたいことをその場所で見つけてやっていく形で、大したスタートもなく会が始まっていった。
1時間ほどすると、他の仲間も集まってだいぶ賑やかな場所になっていった。
塗り絵をする人、立体を紙で作る人、いろんな技法で絵を描く人、ゲームやおもちゃで遊ぶ人など、それぞれがやりたいことをやりたいだけやりながら過ごす場にそのままなった。
最初は、子供たちが制作場所を陣取っていたが、1時間を過ぎると他の遊びなどを始めて少し場所が開き、次は大人が制作を始めていく。
大人も子供も、周りで何かを作っている人のアウトプットに影響を受けて、そこから自分の制作が始まったりして、自然に表現が干渉しあう関係ができていて、良い場ができているなぁと思いながら、特に何もせず自分の制作をしたり、他の人の制作や表現に感心したりしながら過ごした。
作品もたくさんできてきたので、後半はそれを隣の部屋に飾る。勝亦さんのお宅は非常に大きく、子供たちが自由に出入りできる空間が室内だけでおそらく25〜30畳ほどはあったと思う。
何度か造形教室に関わったことがあるが、ここまで広いスペースを自由に使える場所には出会ったことがない。
作品を飾る事は、ある程度整理された余裕のあるスペースであったり、制作物から距離を取れる空間がないとなかなかできない贅沢なことだ。
なので、この場で作ることと同様に、展示する事もとても大事だと思い、皆さんが作った作品をいろんなところに展示していった。
参加している大人も子供も、自分のや他人の作品を好きな場所に展示する。
そこに展示作品があることで、いつもの空間が少し変わったものになったり、また自分が作った作品に対して予想外に他の人が関心を持ったり、面白がってくれたりすることが起こる。大人は特にこういった展示物をゆっくりと見てくれるし、たくさん面白がってくれる。
子供たちは、そこまでまじまじと並べられたものを見る事はないが、そんな空間が自分たちが遊んでいるすぐ隣にあることや、その中を駆け巡る中で、どこかで展示している自分の作品が飾られているということを、彼らなりに感じている。
大人の目からすると、飾ったものを全然見てないようで、彼らなりにちゃんと見ていたりするので、そのままある程度の時間展示しておくのが良い。
制作したものを飾ることは、それを作った人のことを受け入れることだ。
目的を持って何かをやっている人と、何もしてない人(そう見える人であって、実際その人なりには何かをしてたりする)が、ある場所に一緒にいられる事は、とても大切なこと。
何かをすることと、何にもしないことが、同じ価値としてそこにあることが大事。人の行いはそんなに単純に分けられるものではないが、気を抜くと、何にもしないこと(そう見える行い)が追いやられてしまいがちなので、意識的に同じ価値にして、天秤のバランスをとっておくと良い。
そんなことが自然できた。小山町。
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