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宿を出る前に、一日一枚タロットカードを引いている。リーディングはできないのだが、1つのイメージがあることで、その日起こる出来事を何かカードの意味や絵柄と関連づけて捉えるようになる。

日々起こることを、バラバラのカードのように取り込んで、バラバラなままNOTEに書けたらと最初の日に書いたけれども、今日は少し取り込んだカードの量が多い。うまくまとまらないがそのまま書く。

今日引いたカードは「女帝」。夕方になるまでぴんとこなかったが、車中でこの話をホストの小林さんにしてみると、あーそれはじゃぁ富士山ですねと。

確かに富士山の御祭神である浅間大神は、コノハナサクヤヒメという女神と同一視されている。コノハナサクヤヒメは、天孫降臨したニニギノミコトの妻となるので、確かに女帝と言うのは繋がる気もする。

富士山の噴火が活発になり、そこから火山信仰が起こったことを発端にできたのが、コノハナサクヤヒメを祀る浅間神社らしい。火山を鎮める意味もあったようだ。自分の不貞の疑いを晴らすため、燃える御殿で子供を産んだと言われのあるコノハナサクヤヒメは火の神とされるので、富士山の火山活動と関連付けられたのではないかと言われている。

富士山の噴火の話は、今回宿泊している須走の街を午前中に散策した時に出会った伊奈神社でも目にした。ここに祀られている伊奈忠順は、1707年の宝永大噴火で大きな被害を受けたこの地域に幕府から派遣された役人で、災害復興の陣頭指揮を取った人だ。あまりの惨状に対して幕府の命に背き、自分の判断でこの地域の支援を進めたことで、お役御免になってしまうが、この地域の人たちによって後に神格化され、祀られるようになったそうだ。

そういった災いの跡であったり、禍福が編まれた織物・・今日はそういった話にたくさん出会った1日だった。

宿泊している扇屋旅館には、エントランスからエレベーターに向かう壁に「富士講」の木札がたくさんかけられている。「富士講」と言うのは江戸時代に流行した民間信仰の1つで、信仰を持って富士登山する集団のことだ。

道の駅すばしりにて

この旅館にも、かつてたくさん富士講の人たちが宿泊して、その時にこのお札を置いていったらしい。自分たちのシンボルマーク、役職、名前と地名などが書かれた木札だが、よく見ると焦げた札もある。

旅館の方に話を聞くと、最初の建物が火事にあった時のものらしい。初代の館は浅間神社の鳥居のすぐそばにあって、昭和初期の頃の写真がさっきの木札の横に飾られているが、そこにも写っている。火事があった後、参道からは少し奥まって今の館は浅間神社の側面に建てられている。

扇谷旅館に主に泊まっていたのは、「やまよし」と言う山のマークに吉の文字の入ったグループと、もう一つ「色」と言う字を使ったグループのようだ。木札もその2つのグループのものがほとんど。他にもたくさん富士講で宿泊していた人もいるのかもしれないが、立派な木札を作れたのは限られたグループだけだったのかもしれない。もしくは火事で燃えてしまったのかも。

木札には上の方に穴が開いていて、宿に来るとこれを宿の内側の軒下にかけていたらしい。また木札だけではなく、布でできた「のぼり」もあったようで昭和初期ごろの写真では、その「のぼり」が参道を彩っている様子があったりする。20年位前まではこの2つのグループにゆかりがある人たちも泊まりに来ていたらしいが、最近はそういったこともなくなったようだ。


午後はホストの小林さん、生涯学習課の金子さん達と豊門公園、森村橋など、富士紡績の縁のある場所を見せていただいた。自分が宿泊している須走の場所以外は、この富士紡績(今のB.V.Dの元になった会社)との関わりが非常に強いというのが、かつての小山町の特徴だったようだ。

明治期に巨大企業が町にやってきたことで、莫大な恩恵とその影の部分である、工業用水・農業用水の分配問題、疫病の流行、風紀の乱れなどの損害がこの小山町に発生した。そもそも小山町が誕生したのも、もともと2つの村にまたがって立っていた富士紡績が、様々な手続きの煩雑さを回避するためにこの2つの村の合併を進めたらしい。

豊門公園はその富士紡績の工場や工員たちの生活圏一帯を見下ろせる高台にあって、西洋館と言う幹部候補生の教育棟等と、東京向島から移築された初代社長の和田豊治の邸宅である豊門会館が立っている。

2つの建物の中で金子さんに話を聞きながら、富士紡績との関わりの中で小山町に生まれた恵と害、両方に心が向く。

西洋館2階にある資料館でも、入り口から向かいやすい位置のパネルに富士紡績がもたらした負の部分についての資料が展示してあり、単純な言葉では言い表せない複雑な町との関係を感じるものだった。

豊かな水や観光資源と、噴火による災害。

富士山がこの地にあることで起こる恩恵と損害についても、つながりを感じた。

旅人の方が「企業城下町」と言う言葉を使っていたが、まさに町の政治や経済とともにあった1つの企業は今ではもうすっかりなりを潜めて、あまりにも大きかった影響力が今のまちづくりにもかなり名残を残しているようだ。

案内をしてくれた金子さんは、非常に解説に長けていて、穏やかな声色や声の調子に、かなり気を使われて話されているのが感じられた。それは経験の中で磨かれたものだと思う。とても聞きやすかった。

右手の掌が自分に向くように出して、小指と薬指を折り、親指を人差し指の側面の手のひらに沿わせると、それが小山町の形になり、中指の先が富士山の頂上と言う説明は見事だなぁと思った。

町の形と、隣接する県や主要なランドマークの位置関係が非常にわかりやすい。小山町で写真を撮るときはこのポーズにこれからしてみようか・・・

豊門公園の後は、森村橋と言う、かつて富士紡績が原料である綿や、完成した織物を運ぶトロッコを渡らせていた橋へ向かう。それまで見せてもらった建物の中にも、様々な贅を尽くしたこだわりが見られ、逐一説明していただいたが、森村橋も同じようにたくさんのが趣向がこらされていて、富士紡績と小山町が当時どれだけ潤っていたのかわかる。

ただ橋の具材の所々にえぐられた跡があって、これは戦争中に化学工場があると見なされて狙われ、機銃掃射によってついた弾丸の跡であると言うことだった。

先ほどは小山町と山梨県の県境になっていた、右手の人差し指を凹みに沿わせるけれどもまだ太さが足りない。当たったら首や腕などはじけ飛んでしまうかもしれない。

良いことと悪いことの繰り返し。

さっき話した伊奈神社の近くには、日蓮宗の萬妙寺があった。伊那神社に寄った足で立ち寄ると、住職さんがちょうど車のお祓いをしようとしていたところで、手を止めて色々と話を聞かせてもらう。

いろんな資料をもらって、特に九星気学の話(生れた年月日の九星と干支、五行を組合わせた占術。方位の吉凶を知るために使われることが多い。)を聞く。今年は僕は良い年で、来年も良い年、再来年からだんだん悪くなってそろそろ厄年が来る。今日はそんな話も聞いた。

富士紡績ゆかりの場所を後にし、誓いの丘に車で登る。ここは小山町と富士山が一望できる場所で、そういえば昨日のレンタルサイクルの安藤さんもお薦めしていてカードをもらったのだった。

黄昏時の少し前で、今日は雲にかかって富士山の上の方は見えなくて、雲がたくさんある空の中で裾野だけが見えている。雲間から陽の光が小山町の部分部分を照らしている神々しさは、確かに今日引いた「女帝」のカードと対応するかもするように思えた。

この丘の展望は、もちろん富士山がメインなのではあるけれども、頭上に大きく広がった空の存在が非常に大きく、そこに流れる雲が景観に大きく影響を与えていて、雲とともに富士山や小山町の街並みを眺める場所なのだと思った。

今朝は、また再び浅間神社の駐車場で富士山を描いた。
昨夜の雪で白い部分がさらに面積を増していたようだ。

ただ、山頂・尾根の形や雪が降り積もった部分への関心は非常に高くなるのだが、裾野の岩肌の部分、緑が残っている部分に関してはどうしてもうまくとらえることができない。

というか、集中力が頂上付近や尾根の部分、雪化粧になっている部分に対して非常に下がってしまって、絵の中でもうまく表すことができなかった。

思い返すと昨日も図書館で富士山の絵を何枚か見たり、富士山を元にしたそれこそ富士講のマークのような図案をいくつか見たが、基本的には前にも紹介した横山大観の「群青富士」のように山頂からの1部分だけを強調して描いて、裾の部分は省略しているものが多かった。

確かにそのような表し方になっていく気持ちも、自分で描くと何か納得できるような気がした。

昨日今日で、何回か同じ場所からの富士山を描いたので、なんとなく他の富士山の絵を見ても全体が描かれていれば、その富士が小山町側から見た姿なのかどうかは判別がつくようになってきた気がする。

豊門会館の中にも1つ小山町から見た富士山の絵があったけれども、確かに自分の最初に描いた富士山の絵と同じように、富士山の右手に見切れている山の形が似ていて、おそらくこちらの方向から描いたのではないかなぁと予想がついた。

富士山の形をどう省略するかと言うところで、頂上の形を多くは3つの盛り上がりで省略することが多い。

富士講の「やまよし」のように、シンボルマークになっているものは、大体この3つの盛り上がりを使っているものをよく目にするけれど、その建物中にあった絵の富士は、大別するならば5つの盛り上がりで描かれているようで、少し珍しいなと思った。

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