佐藤悠【小山町】6日目
朝からとても頭が痛い。
酒量は変わっていないので、二日酔いのはずはない。
(でも滞在している須走は標高が高いので、酔いが早く回るのではと言う話も聞いた。日本一標高差があるのが小山町。と言う話を最初の日に聞いた気がする。)
ああ本当に頭が痛い。
残念ながら小山町にはドラッグストアはないみたいだ。今日はフェアウェルパーティーがあるけれども、その前に御殿場市に寄って薬を買いに行こう。
ほんとに頭が痛い。
頭が痛すぎて、薬を買いに行く車の中で1曲できてしまった。
頭が痛い。低気圧のせいだろうか。
天気も悪いし、今日は昨日焚き火の時に録音した音源を聞いたり、自分のやってきたことを振り返ろうと思う。昨日引いた棒の2のカードもそんな意味のカードだったようだ。
出会って2日目頃だったか、旅人の秋野さんが小山町の旅人3人でセッションをするというか、焚き火の中でお互いのことを話してNOTEの記事にしようかとアイデアを出して、昨日の夜がその実行日だった。
ホストの方々も何人か集って、夜に火を囲んで話した。
焚き火を夜に行うのは初めて。
炎で2人のシルエットがよく見えたのが印象的だった。
北野さんは陶芸家であり、染色も行っている。
話すときに身振りを交える。
昨日は特に暗闇の中で手につけた白い軍手が、話をするたびに動きまわっていた。
粘土をろくろで整形していく過程の中で、自分の精神の中に視線が向いてゆく時の話は、彼女の身振りから粘土の内側に指が入っていく様子と、だんだんそれによって粘土が変形してゆくのが、動きからビジュアルとして闇の中に想起されて、自身の内部に何があるのかを探索していく様子が体感的に伝わってきた。こんな風に人に伝えていくんだなぁと思いながら聞いていた。
もう1人の旅人秋野さんは、ベンチコートを着込んで顎を引き、顔の下半分が陰に隠れた中、瞳が光っている・・そんな印象が残った。
少しハスキーな秋野さんと、関西のなまりが入った高い声の北野さん。闇が見えるものを隠す中で、2人の声も印象的だったと思う。
秋野さんの話の中では、何かに向かって「待つこと」そのことが印象に残った。
いや、この話は初日も2日目も夕食の時に秋野からさんからおそらく直接聞いていた話だと思う。ある瞬間を、ある光景を、収めるためにずっと待ち、それに向かって自分を研いでゆくそんな話。何度も聞いていたはずだったが、闇の中で聞くとまただいぶ感じ方が変わる。そんなことを考えながら聞いていた。
2人とも、自分の内部に何があるのかに興味を持ち、より内側に深く入って探索していく事が、表現であったり作ることの軸になっているようだった。
それはあまり自分の中にあるものに期待を持っていない、自身の感覚とは少し違うもので、お互いの感覚に驚いたり感心をしながら、火の爆ぜる音や子供たちが少し離れて遊んでいる喧騒とともにその話を聞いていた。
それまでの滞在は、足柄古道を歩いたり、レンタルサイクルに乗ったり、富士見の場所や富士紡績ゆかりの場所に向かったりと、土地としての小山町にたくさん触れてきた。昨日からはそれと打って変わって、人としての小山町にたくさん触れている。
5日目6日目で、ホストの皆さんやよく出会う人たちとの関係性もだんだん馴染んできたこともあって、思い返すと今は富士山ではなく、小山町で出会った人の顔の方がよく浮かぶ。
そして、そこで生まれたつながりを明日から帰っていく日常につなげる想像も、フェアウェルパーティーに向かう車の中、頭痛の狭間で考えている自分がいる。
コロナ禍でほとんどの仕事はオンラインになった。定期的なワークショップや鑑賞会、ゲストトークを開いているけれど、その中に小山で出会った人たちがこんなふうにつながっていくんじゃないか、こんなふうにまた出会うことができるのではないかと考えていた。
ワーケーションの環境の中で出会った特別なものを、簡単にオンラインで繋げてもつなげてしまっても大丈夫なんだろうかと、一抹の不安があるのも確かだ。
ただ、やっぱりどこかで今回旅人と出会って良かったと、こういった異物が町の中に関わりを持つ事はポジティブなことなんだと言う気持ちを具現化したい思いもある。
最初の日にも少し話したが、やっぱり大事な事はこのNOTEに書けない。書くことが不可能だと改めて思う。
今日はパーティーが終わった後、隣の御殿場市でもワーケーションの最後の日で、ホストが運営しているゲストハウスで御殿場の旅人たちも集まっているかもしれないと言うことで、秋野さんとホストの二人とお邪魔した。
そこで、御殿場市担当の2人の旅人と出会って話をした。
盛り上がる話の一つは、やはりNOTEの話。
その日あったことを、その日言葉にするということの難しさというか、不可能性みたいなこと・・言葉や思考は熟成されて輝きを放ってくることもあること・・・わかった上でみんな書いている。
ただ、何度推敲しても、熟成させても、言葉で表せない事はある。
だから旅人たちは、それぞれのやり方でその不可能さに向き合っている。
僕はコミュニケーションを自分の表現に使うことが多いけれど、何かが伝わると思って行ってしまうとうまくいかない。
伝わらない。何かを他者と共有することなんて結局できはしないと、小さな絶望を片時も離さず心に携えながら、それでも何かを伝えようとすること、不毛にあきらめず向き合っていく。それしかできないと思うと、人に何かを伝える事がふと楽になる。
7日目の朝にこの記事を書いている。
最近朝はずっと見えていた富士山が今日は隠れてしまった。
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