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ショートショートが難しい

「情報」として書く文章の仕事を始めてもうすぐ半年。ちょっとそろそろ比喩とか語彙とか、「芸術」としての表現力が落ちてきたなと感じているため、創作リハビリを開始した。

 昨年みたいに数万字単位の文章を書く時間はないから、せいぜい2,000~3,000字程度のショートショートを書いてみる。
 だが800字書いたところでその難しさに頭を抱えた。たぶんこれ、あと2,000字以内に収まらない。


 問題点はぱっと浮かんで2つある。

 まず1つ目は、内容的には削れるけれど個人的には削りたくない細かい描写が多いこと。
 “削れる” というか、短い話のテンポのためには削ったほうが良いものだ。取るに足らない些細な仕草や、補足にあたる比喩表現。あってもなくても話は分かるし成立できる。

 でもそういった細かな文こそ、人物像や背景事情を濃ゆく反映しているものだ。たとえば、道端でハンカチを拾ったことから始まる男女の物語。

 実際のところ、ハンカチの詳細なんてどうだっていいのです。ハンカチはあくまでも「主人公とヒロインを出会わせるためのアイテム」でしかなく、もしそれが「百均で買った安物のハンカチ」とか、「手作りのハンカチ」とか、あるいは「ハンカチ以外の何物か」に変わったとしても、「男女の恋愛模様を描く」という主目的は達成できるのですから。
( 引用元:蓼食う本の虫 )

 確かになあ、間違いない、と頷く反面、「百均で買った安物のハンカチ」を持ち歩く女の子と「手作りのハンカチ」を持ち歩く女の子とじゃあ、人物としてかなりの違いがあると思う。

 ショートショートや短編で限られるのは何も文字数だけではない。シーンや小道具、仕草の母数も限られる。
 数少ないモノを頼りに人物像を表現するには、やっぱりこういう細かい描写を捨て置くことに躊躇するのだ。だから短く収まらない。


 そして2つ目は、書きたいと思う話がだいたい “長編の中のワンシーン” として浮かぶこと。
 脳内では登場人物たちの生い立ち、ここに至るまでに築いてきた関係性やらいろいろあって、それ前提の「こういう場面良いな」が生まれる。ゆえにショートショートの短い文中、その “前提” を詰め込まなくてはいけなくなる。

「行間を読ませる」という手法もあるが、行間をつくるにはどうしても “それ” 用の行が必要だ。ある情報を察させるための間接的な情報をあらかじめ提示しておかなければいけない。その加減がまあ難しい。字数もいるし。

 良い長編を “短い場面の組み合わせ” として書いていけても「“短い場面” をひとつ取り出し、それ単体でおんなじ良さを魅せられるか」となったら話は違うのだ。もとの長編が自分の脳内にしかないから尚のこと。


 だから毎日何かしらの短い物語を書いてる人たち、本当にすごい。長編を3,000字書き進めるのと3,000字のショートショートを書き上げるのは、根っからの難易度がまったく違う。少なくともわたしにとっては。

 まだまだ伸びしろいっぱいあるな~と己を見つつ、ちょっとしばらくショートショートを読み漁って過ごそうかなと思います。ひと夏のお話とか超渇望。


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