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noteを書くのが好きだった。ブログと日記とポエムの間みたいな感じで、頭に思い浮かんだことをただつらつらと綴りゆく。わたしにはその時間が楽しくてならず、知らぬ間に1日の大半を費やしている日もあった。 それはそれでも構わないけど、わたしの身体はnoteひとつに沈めていいほど暇でもない。仕事はもちろんnote以外の趣味もある。丸1日の予定がある日は更新するのが負担になる。 このままだと書くのが “楽しいだけの娯楽” じゃなくなりそう。楽しいnoteが “ほかにとっての足枷
そもそもこうしてnoteをひらくこと自体が久しぶりである。8月10日の更新以降、この場所は少し夏休みをとっていた。 きちんと検査をして、マスクをして、消毒をして、新幹線の中から夏の雲を眺めて、実家へ帰省。 普段のひとり暮らしと違ってそれなりに賑やかな中、自分の内側をひらいてツラツラ何かを書き記すのは、正直難しいと判断したわけである。 今も、そしてあとしばらくもまだ故郷にいるけど、それでも書こうと思ったのは本当に気まぐれだ。昨日配信、ヨルシカの新曲「老人と海」を聴い
わたしがnoteの更新に夏休みを設けるあいだ、いつも文章を読ませてもらっているうちの数名が「毎日投稿おわりにします」と宣言した。 少し寂しい気持ちを感じながら、ゆくゆくわたしも “そう” なるつもりではあった。つい昨日まで。そして今日には「つもり」ではなく、実際に “そう” してしまおうと思っている。 今日のnoteは「毎日欠かさず書くことにあまりこだわらず、時間がある日に気ままに書いていきたいです」、というご報告。 今年の春先、3月1日から8月10日までの約5
「情報」として書く文章の仕事を始めてもうすぐ半年。ちょっとそろそろ比喩とか語彙とか、「芸術」としての表現力が落ちてきたなと感じているため、創作リハビリを開始した。 昨年みたいに数万字単位の文章を書く時間はないから、せいぜい2,000~3,000字程度のショートショートを書いてみる。 だが800字書いたところでその難しさに頭を抱えた。たぶんこれ、あと2,000字以内に収まらない。 問題点はぱっと浮かんで2つある。 まず1つ目は、内容的には削れるけれど個人的には削り
大学3年生の3月、就活ではなくnoteを始めた。「文章を書きたい」と思ったからだ。 半年前から周りのみんなは企業研究や自己分析を進めている。その間もわたしはずっと1人で黙々と物語などを書いたりしていた。週に3日、息抜き代わりのアルバイトをし、あとの時間はひたすら書く。そんな変わり映えのない生活が気づけば最高に楽しいものになっていた。 「自分は就活をしないのかもしれない」と、ぼんやり思い始めたのは何も今しがたのことじゃない。高校卒業後の進路を決める夏あたりからおそらく兆し
「文章が好きだ」と言いながら、わたしはほとんど小説を読まない。芥川賞とか直木賞とかその他諸々、書店に推される話題作にもだいたい興味を惹かれなかった。 おそらくわたしが物語のストーリーをそれほど重視していないのが原因だろう。わたしは小説を読んでいるとき、登場人物の波乱万丈な人生を追うのではなく、その端々で飾られる美しい文を掘り探している感覚だ。 例えば作家がふと何気ない1行に、わたしの文章的嗜好ど真ん中を貫く文を入れてきただけでその作家のファンになれる。何度も何度もその1行
時を経た今はどこか柔らかい文章が書きたいと思う。 キンと澄ました文体だったり、やけに難しい比喩でもない。辞書から引っぱってきた高尚な単語の羅列じゃなくて、普通に思いつける普通の言葉。 そういえばひと月半ほど前の記事にて、自分の書きたい理想について語ったな。「柔らかい文章が書きたい」と。 これに関してわたしはわりと満足している。執筆中は辞書を引かない、比喩表現は理解できずとも想像はできる例えにする、時折話し言葉を混ぜる。寝る前に読み返して何となく夢見が良さそうだったら
キリキリとまわるドリルの音に、消毒薬の不思議なにおい。歯を抜くのも歯を削るのも、怖いと感じたことがない。なぜならわたしの歯たちはとても健康で、歯科医にお世話になる必要など全くないから。 でも成長期の歯の生えかわりは怖かった。“グラグラ”なんて通り越し、今や繊維1本だけで歯茎と繋がっている乳歯を、いつまで経っても大事に大事にとっていた。大人の歯がもう根元で頭を出しているのに。 そのせいで歯列はあまりよろしくない。もしもわたしが歯科医のお世話になるとしたなら矯正治療くらいだ
「どうしよう、今日は何も書くことがないな」と困り果てる視界の端に、“本棚”と呼ぶにはあまりにも少なすぎる小説たちが佇んでいた。『イミテーションと極彩色のグレー』には無彩色のグレーの埃がかかっている。そこから1冊またいだところに『三軒茶屋星座館』のシリーズ冬とシリーズ夏。 最近全然読んでないなあ、と思いながら文庫本のシリーズ冬を手に取った。何となくパラパラめくってみれば第三章・山羊座の202ページに無意味の栞が挟んである。 もう今日はこの本について書いちゃおう。 本当
新しいことにどんどん挑戦していく勇気。自分の意見をしっかりと主張する勇気。失敗してもめげずに次の1歩を踏み出せる勇気。 大人になっていくにつれ、とりわけわたしが今佇んでいる年代なんかはそういう勇気が求められる。企業が欲しがる人材とかもだいたいそのへんなんだろうな、と頬杖をついて想像する。 でもそれだけじゃ生きていけない。それがあるなら社会の中で必要とされず死にゆくことはないだろうけど、自分の中がだんだん壊死してしまう気がする。 頑張る頑張れ頑張りすぎて、いつの間
1年ほど前、数ヶ月だけ働いていた当時の職場で初めて「VIPのお客様」というのを経験した。 その日の朝はみんなが少しソワソワしていたように思う。当然わたしもそうだった。今日来店する顧客の一覧とタイムテーブルの表を見る。他の欄には「タケウチ様」などと名前が書かれているのに、VIPのところは「VIP様」としか書かれていない。 新人のわたしはもちろん、職場で1番下っ端だった。そもそも正社員が顧客の接待や打ち合わせ、アルバイトはその下準備という構図で成り立つ仕事であったがゆえに
「好きな人ができない」 昔のクラスメイトがしょっちゅう言っていた。わたしも今ならあの子の気持ちがよく分かる。こんなことは初めてだ。4歳の初恋から一昨年の秋まで、過去に1度も絶やした時期などなかったのに。 確かにできないね、好きな人。 何を以てわたしは誰かを好きになるんだ。どういう瞬間ぎゅっと心を掴まれるんだ。恋をしている間の自分は一体どんな感じだったか。 人を愛する微熱を失くしてもうすぐ2年、それがなかなか心に戻ってきてくれない。 このままじゃ恋のしかたを
落ち着かない。すっかり慣れ親しんだいつもの椅子に座りながらも、妙にそわそわ落ち着かない。最近のわたしは常に何かしら文字の並びを書いていないとダメみたいだ。 パソコンの画面を2つのウィンドウで半分に区切り、左半分でドラマを観ながら右半分で文字を打つ。 とはいえ書いているのはオンライン授業の感想文や、ちょっとした情報収集の記録など、さして頭を使うようなものではない。ただ手ぶらでぼーっとドラマを観ているだけの状況が先述の通り落ち着かなくて、無理やりにでも書いている。 そ
突然ですが、付き合う相手にぜひとも揃っていてほしい条件を3つ挙げてみよう。 まず1つ目は「わたしが素を出せること」。家族や親友に対するときと同じ感じで好きに話せて、わざわざ “デート用の服” とか準備せずとも気軽にラフに会える人。 2つ目は「一途でいてくれること」。別に好き好きオーラ全開のゾッコン・ベタ惚れじゃなくても良いが、異性として目を向けているのは常にわたしだけであってほしい。 その点について信用できる相手であれば「幼馴染の女の子とメシ行ってきます」も承諾で