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それでも「書くのが好きだから」と胸を張る

 落ち着かない。すっかり慣れ親しんだいつもの椅子に座りながらも、妙にそわそわ落ち着かない。最近のわたしは常に何かしら文字の並びを書いていないとダメみたいだ。

 パソコンの画面を2つのウィンドウで半分に区切り、左半分でドラマを観ながら右半分で文字を打つ。
 とはいえ書いているのはオンライン授業の感想文や、ちょっとした情報収集の記録など、さして頭を使うようなものではない。ただ手ぶらでぼーっとドラマを観ているだけの状況が先述の通り落ち着かなくて、無理やりにでも書いている。

 そんなときにふと思うのが、この“そわそわ”はわたしが執筆中毒であるがゆえに起こってしまう禁断症状なのか、ということ。純粋に「好き」な気持ちから生じてくれる“良性”の何かと思って良いのだろうか。
 ただ書くことが好きだから、片手間にでも何かしらを書いていないと落ち着かない。この気持ちがそんなに可愛いものだというなら、ほっと安心、至上の喜び。

 だけど最近のわたしにはあともう1つ、例の“そわそわ”の正体に心当たりがあった。できれば外れてほしいと感じる嫌な予感。
 それは「書くことを仕事にする」と決めているから、書いていないと落ち着かない、という気持ち。

 言葉を選ばず言うならば、ライター志望のわたしにとっての「書かない時間」はすなわち経験・実績・収入に繋がらない時間でもある。だから常に何かを書いていなくちゃいけない気がしてしまう。
 noteでも、好きな文章の模写でも、調べたことのまとめでも、執筆案件への応募文でも構わない。できるだけ・少しでも多くの文章を。時間は有限、わたしは何か書かなくちゃ。

 もしかすると、こんな焦りが最近感じてしまう“そわそわ”の正体で、わたしにとっての文章が「書かなきゃいけないもの」になり下がっているとしたなら。想像すると怖くなる。

 仕事としての執筆歴が3ヶ月だと、ポートフォリオや経歴として載せられる記事は多くない。わたしの場合、これまでの納品数は16本で、同一のクライアントからお願いされた継続依頼。その内容はエンタメ系動画のナレーション原稿であった。

 とても楽しく、初仕事ながら良い案件。だけど当然「記事・文章」として世間に出ていくことはないから、実績として利用できるかどうかは少し微妙なところ。
 そうなると必然的に「次の応募どうしよう?」と迷うのだ。数としての実績はあるが、その提出を求められるとちょっと困る。まあそれでもコツコツ次の仕事は探しているし、ココナラで動き始める準備も進めているけれど。

 ひとつの継続依頼を終えて、初めての長いインターバルに立っている今。不安な気持ちは正直あるけど、絶対また乗り越えていく。とにかく走り続けるしかない。書くことを好きでいられるように、これからも書いていられるように。

 いつかのわたしがこの文章を読んだとき、少し懐かしい気持ちになって「青いなあ」と笑えていたらそれで良い。


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