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昭和時代の中学受験・番外編②〜ごきげんようはつらいよ〜

母の突然のお受験宣言から1週間後、私は麻布周辺のマンションの一室の前に立っていた。
母の付き添いはここまでで、1人で中に入らなければならないとのこと。

「こ、こんにちは」

中で待っていた中年の女性に挨拶すると、

「ここでは、ごあいさつの言葉は、こんにちは、さようならではなく、『ごきげんよう』を使います。
では、もう一度ごあいさつしてみましょう!」

ごぎげんよう、ゴキゲンヨウ、gokigenyou???

当然ながら、生まれて5年数ヶ月、「ごきげんよ
う」なんて言葉、使った試しがない。心でつぶやいてみたら、全身が蚊に刺されたみたいにかゆくなってきた。そもそも、今自分が置かれている状況の意味も、まったくわからない。
こんな時、スーパーマンが来て、ひょいっと連れ去ってくれたらどんなにいいだろう(ToT)
(当時、アメリカ映画のスーパーマンが日本で 公開され、大流行りしていた)

「こんにちは!」

覚悟を決めて、ごきげんようと言ったつもりが、唇が勝手にそう動いていた。

中年の女性は若干不服そうだったが、そのまま奥の部屋に通してくれた。
その女性は当時のお受験業界のカリスマ講師だったのかもしれないが、私は名前も覚えていないし、いい印象も残っていない。

最初の「ごきげんよう」で、プチ反抗をした私に、向こうも好印象は持っていなかっただろうが、お気に入りとそうでない生徒に対する態度があからさまに違った。幼稚園の担任の先生が、若くて明るくて、クラス全員に同じ態度で接してくれる素敵な方だったので、余計にそう感じたところもある。
セミプライベート方式の授業だったが、私はいつも後回しだったし、手を抜いた教え方をされた。期待されてない分、楽だったが最高につまらない時間だった。

子育てをして痛感したが、子どもは驚くほど鋭く大人を観察している。人間の本質を見抜く目が、子どもには備わっている。学校で教育を受けるようになり、知識や社会性を身につけると、個人差はあるものの、その本能的な力は徐々に弱まってくるように思う。

私がその幼児教室で学んだこと。
それは「ごきげんよう」ではなく、
「えこひいき」という五文字。
そして、ムーミンの代表的なキャラクター、
 『ミイ』が私の中で誕生したのも、その教室の中。
ミイは今でも生き生きと脳内で飛び跳ねていて、友達のフリをしてくれている。
今この瞬間も、ミイにそそのかされて、文章を書いているようなもの。

ありがたや、ありがたや⭐︎

(つづく)

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