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造形を美しく保つという責任。

題名から、間違って捉えられると
怒られそうな題名。

でも責任だなぁと思う今日この頃。



乱雑な美しさももちろんある。

もちろん、散らかってるとか
乱雑な状態にも「一つの秩序」があって
それも美しさだということも知っている。

そしてそこにもやはり
側から見るとわからない【美しさ】が
あるのだと思う。


以前インドに行った時も
こんなカオス!混沌!という印象を受けるものかというほど
カオス!混沌!でした。
でも大好き。インド大好き。
美しさを感じるから。

うまく言えないけれど
愛があるんだな。愛なんだな、と。


持て余し、心を配れないという暴力。

最近ではミニマリストな生き方も
珍しくもないけれど、
やはり身の丈には合うもの・合う量で
生きていきたいと思います。

持て余すのはやはり不健全だと思ったりする。

ものを持て余し、
どこに何があるのかすらわからない状態は
無視になる。

植物でも動物でも、
そして私たち人間も。

愛られ、気にかけて、
存在を認め、認められることで
交流しているんだもの。

無視は相手への尊重に欠けるし、
所有している(側においている)なら
心を配れないことはもはや暴力ですらある。



ワタシという人間をできるだけ生かしてあげたい

そして所有物はもちろん、
自分自身も同じ。

髪の毛、肌、もちろん心も。

服や家具など見えるものだと、
ほつれや汚れを認めやすいけれど
ワタシ自身のほつれや汚れも
ちゃんと綺麗にしてあげたい。

対、人や
対、世間だけの問題ではなく
自分自身の尊厳、責任として。

最近忙しさにかまけて
無責任になっていたな。


髪色を変えたり、
ネイルをしたりすると
気分が上がるのはもちろんなんだけれど
時折触れる自分自身の肌がすべすべで、
慈しみながら髪をといて、触って、
年齢とともに変わっていく身体にも
愛らしさを感じて。

そうやって向き合う時間を増やし始めたのですが
なんだかとてもいい感じ。

続けていこう。
自分のために。

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