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19年ぶりに働く、49歳

わたしは49歳。
19年ぶりにアルバイトの研修中。
そんなわたしがなぜバイトを始めたのか?
きっかけになったことを書いてみます。


初めに

長いこと家にいて家事や育児をしてきたので、正直外に出るのが不安でした。

働けるのか?
体力・気力問題もさることながら自分自身に自信がなくて。

かぞくを優先する暮らしが長くなり
気づけば自分のことは常に後回しにしてきました。

だけどそろそろ自分を優先する暮らしにシフトしておかなければ、
誰かのせいにしたり、
子泣きじじいのようにかぞくの背中に乗っかってしまいそうです。
そして
鍋事件というできごとが発生したのです。

鍋事件発生!

ある日、美容室に行きました。
その日は思いがけず夕方遅くなりました。

わたしは美容室に行く前に家族に昼食を食べさせました。
そして
食器を洗い片付けたのですが、炊飯に使った「鍋」だけ洗うことができませんでした。

遅くなって慌てて帰宅して台所の流しの中に「鍋」がそのまんまありました。

わたしの留守は3時間以上ありましたから、彼らが台所にきて、コーヒーを淹れたり、水を飲んだり。
何かしら台所に立ち寄ったことは間違いないのです。

オットは仕事中ですが、気づいたとおもいましたし、子どもは家で好きなことをしてたわけです。

そこでわたしは二人にたずねました。

「あの、この鍋に誰も気づかなかったんでしょうか?」

すると二人は台所には来たけど「気づかなかった」と言いました。

気づかない?

「気づかなかった」と言われてしまうと身も蓋もないのですが、
夕方慌てて帰宅して、さあ晩御飯を作ろう!と思っても炊飯用の鍋が洗ってないとなると、さすがのわたしもテンションダダ下がりです。

もちろん、出かける前に「洗っといてね!」と言ったわけでもなく。

「洗っておいて欲しいなー」と期待していたわけでもないのです。

そう、わたしは言われなくても「気づいて洗うだろう」そう心の片隅におもっていたのかもしれません。

気づかないなら仕方ない。
そう割り切ってこの日はやり過ごしました。

気持ちの変化

鍋事件受けて、
はじめ、やっぱり家を空けられないなー。と思いました。

鍋を洗うこと=家のこと=わたしの仕事だとおもっていました。

だけど、、
だけど、、それって保身では?
外に出ないために言い訳では?
逃げている気もします。
いえ、事実わたしは、逃げてました。

世の中に求められないじぶん、と向き合うのが怖かったからです。

それに
自分の中にほんのりと「怒り」があるのに気づいてしまいました。
かぞくに対しての感情です。
そして少しだけ「悲しかった」んです。

だからわたしはとことん考え突き詰めました。

ほんとうは、自分が「どうしたいのか」

わたしは、働きたい。
ずっと前からそうしたかったんだ。
強く自覚しました。

この半年ほど何度か仕事を探してみたことはありましたが、当時はねこの介護をしていたので時間に融通がききませんでしたし、
やはり気持ちの上で逃げがありました。

今回は、逃げずにしっかり向き合い考えぬくこと、じぶんで決めたい。そう誓いました。

仕事を探そう①


仕事をしたい。
そう思ったもの、19年も家にいましたから自分に何ができるのか、さっぱりわかりません。

過去にしていた仕事もアルバイトを含めてもそんなに多くありません。
それに
当時はひとつのことを長く続けることが大切だとおもってました。

だけど今となっては
いろんなことをちょこちょこやっておくほうがよかったのかも?とおもうようになりました。
たとえその経験が
遥か彼方の昔だったとしても
やったことのあることは、とっつきやすいので、チャレンジしやすいからです。

仕事を探そう②

中年のアルバイト選び、なかなかむずかしいとおもいます。
それにわたしは10年それ以降もできること、がしたかったんです。

だから年齢をあまり意識せず、長くしごとにできるものを考えました。

次に自分は何が絶対譲れないのかについて突き詰めて考えました。

特に「受け入れがたいこと」についてです。

人によってそれは、さまざま。
良し悪しはありません。

友人は「トレイ掃除のある仕事は絶対いや!」だそう。
わたしは平気ですけれど。

*特定のしごとや職場を否定しているわけではありませんので悪しからず

仕事を探そう③

考え抜いた結果、わたしが選んだ職場は、コンビニ。

コンビニのしごとは、やることが多くたいへんです。
が、一度覚えてしまえば同じ名前の店で働くことができます。それも全国の店舗で、です。

そしてコンビニの求人は多いですし、会社も複数ありますし、時間帯もお店によりさまざま。
働くお店の場所や時間を多くの中から選べるのも魅力です。

実際、わたしの職場には同年代のひとが多く働いています。
初めてコンビニのアルバイトをしているひともいれば、ずいぶん前にやっていてお休みを経て復帰された方、おなじ系列のお店を渡り歩いてきた方、さまざまです。
とても心強く、憧れです。

鍋事件その後

鍋事件からこんなふうにも考えました。

わたしが家にいることで、
家族の成長の機会を奪ってしまっているのではないか?・・・と。

わたしが家にいなければ、
彼らのスキルが上がるのではないか?
これは一理あるとおもっています。

実際、わたしが働く宣言をしてから、オットも子どもも変わってきています。
以前より主体的になりました。

そしてわたし自身にも変化がありました。 

子どもに軽い障がいがあるので、ついつい彼の学校生活を円滑に過ごすためのアシストしてしまっていたのですがこれを機に任せてしまえば、案外じぶんでできていました。

最後に。

わたしは、外に出るようになって、
当然ながら身繕いやお化粧などにより気を配るようになりました。
するときもちはより、明るくなりました。

そして家族に対し、これまで以上に感謝するようになりました。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

おしまい