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大切な人たちへ

夢で友達Sに会った。
私たちは新宿三丁目にある、謎のアスレチックみたいなところでバッタリ会った。
「(私の家の)隣に住みたいーー!」と言われたので「おいでよーー!」と答えた。
「今の家は広々しているよ!広過ぎて私は空間を持て余してしまってるよ…」
なんて言いながら、隣に友達が住んでくれたら最高だなぁなんて思った。


S「最近LINEさせてもらってるじゃないですかぁ。」
私「こちらこそだよ」
S「こいつLINEばっかしてないで働けよって言われたらどうしよーと思って。LINEばっかしないで会いに来たよ」

そんなこと言わないよ、言わないし思わないよ!!!!

何とも謎な会話だが、夢の中のSに私はツッコミを入れていた。

現実のSは夢に出てくる前の日、大学時代の写真を見て「あの日の自分に負けそう」と言ってきた。


わかる。


高校生の時、中学時代の自分に負けてて辛かった。
社会人になってから、大学時代の自分に負けてて辛かった。

でも今はどうだろう。
仕事しんどいなぁ、もう少しゆったり余裕を持ちたいなぁと思いながらも、「あの日の自分に負けてる」という感覚はない。社会人になってからは今が一番頑張っていると自負している。

でももし今の仕事を辞めて、のんびりゆったりした生活になっても、今までみたいに自分を否定しない自信がある。
昨年失恋した時、ゆったりした生活の中でも小さな喜びを見つける方法を訓練した。恋人が居なくなっただけで辛過ぎて、どうやって毎日生きていけば良いのかわからなかったからだ。

恋人が居なくなったくらいでこんなに辛くなって、それは仕事や何かに没頭できてないからじゃないか?と思って転職活動をした。
しかし同時に、ありのままの自分でも、大きな変化がない毎日でも幸せ、と感じられるように、小さな変化や出来事に目を向けて記録するようにした。実際、とても穏やかで、とても楽しかった。

前にこんな文章を書いた。


先程、「社会人になってからは今が一番頑張っている」と書いたけれど、「頑張る」って何なんだ?耐えること?
私は癖でよく「頑張ります」と言う。ザ・日本人って感じで、自分でも嫌になるのだ。頑張ってたって、結果が出なかったら意味がない。それは重々承知しているけれど。耐えるのではなく、楽しんで物事を捉えて乗り越えていけたらと思うのだけど。なかなかそれができない。

忍耐?

Sは「忍耐とか無理なんだよねぇ」と言った。知ってる。忍耐なんてクソ喰らえだ。忍耐してなくたって、わかりやすく価値を生み出してなくたって、生産性がなくたって、成長できてなくたって、あなたという存在そのものが尊い。今のあなたでも充分素敵だよ。

仕事仲間やパートナーだったら、一緒に物事を動かして能動的に共同経営していかなくちゃならないから、なかなか存在してるだけでOKとはなれないかもしれない。

でもその人の成長を願って、例え成長しなくても、その人の変化を見守り待ち続けられる、そんな人間でありたいと思う。

私はSのことを尊敬している。
弱いところも知ってる。
もちろん全部を知っているわけじゃない。
けれど敬愛してる。

あの日のあなたとは違うけれど、今のあなたで充分素敵だよ。
そしてこれからあなたがどう変化していくか、それがどんな変化であっても私は楽しみにしている。

それを伝えたい。




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