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合唱コンクールの影響

ひょんなことから、9年ぶりに小中学校の同級生Rちゃんと会った。
同級生と話すと大体が当時の懐かしトークになる。何度同じ話しをしても盛り上がるし、何故か飽きないのだ。

Rちゃんとは高校時代も殆ど会っていなかったので、高校時代どんなふうに過ごしていたか聞くと、部活に入ることもなく勉強に打ち込んでいたという。凄く真面目に取り組んでいたようで、凄いなと思った。

そして、
「本当は少し合唱部に入りたい気持ちがあったんだよね。」
と彼女は言った。
「合唱部に入りたかったの、めっちゃわかる‥‥!」
私は返した。

高校受験期、高校に入学したら何部に入ろうかなぁ、どんな高校生ライフが送れるだろうか、と妄想したものだ。私は中学で陸上競技をやっていたが、能力の限界を感じていたので運動部はもういいかなと思っていたし、音楽が好きだから合唱部に入ろうかどうしようか、と迷っていた。でも結局、意味の分からないプライドが邪魔をして、やっぱり中学からやっていた陸上を続けた方が良いのではないかとか、文化部はやっぱりちょっとな‥‥みたいな偏見と自意識過剰が混じり合った理由で、合唱部には入らなかった。(その挙句、陸上部にも他の運動部にも入らなかった。)

Rちゃんや私だけではなく、同じクラスだった他の友達も以前、合唱部に入るか迷ったという話しをしていたのを思い出した。

同級生に会うと卒業アルバムを開きたくなるのと同様に、校内合唱コンクールを記録したDVDを観たくなったので、帰宅後に観てみることにした。
この中学時代の校内合唱コンクールのDVDというのが、何故だか1年に1度ほどの頻度で定期的に観たくなる為、実家から持ち出して手元に置いている。

当時の私はピアノを習っていたので、ピアノ伴奏を担当していた。DVDを観るたびに毎回思うのだが、私の演奏の仕方は、指揮者に先導されるのではなく、指揮者を自分に合わせさせている。とても強気だ。当時、何が何でも伴奏者賞を取るぞと意気込んでおり、自分の理想の演奏(と言っても大したものではないのだが)に周囲を巻き込むよう仕向けている。そのくせ思春期をこじらせて、練習の段階でコミュニケーションもろくに取っていないから、「察しろ」という目つきで演奏をしているのだ。私は何故あの時あんなに強気だったのだろう。

先日観たNetflixの番組『LIGHTHOUSE』で、若林正恭さんがこんなことを言っていた。

「強くなければ次のステージに行けないけど、強くなると人に寄り添えなくなる。」

#4「サプライズライブ」
若林さんの一行日記より

これはまさにその通りで、いつだって自分本位だから、自分が弱気な時は弱い立場の人に寄り添う気持ちになれるけど、でも気を抜いたり、ちょっと自分が優位に立ったりすると、対話もせずに強引になってしまうところがある。この時の自分の姿を見て、今の自分の振る舞いを戒めようと思うのだ。


話しを元に戻すと、合唱コンクールのDVDを観る度、毎回「合唱コンクール、またやりたいなぁ」と思う。アマチュアの合唱団にでも入らない限り、叶わなそうな話しだ。でも合唱コンクール、大好きだったのだ。やっぱり練習も含めて皆で歌うっていいよなぁと思う。

ああいう皆で協力する系の学校行事は真剣にやって楽しんできた方だ。その代わり、他者にもそれを強要したのも事実で、そんな時の自分を後から振り返って恥ずかしく思って、逆に斜に構えたりもする。だけど根本はやっぱり皆で何か1つのことに向かって打ち込むみたいなことが好きみたいなのだ。

Rちゃんに、私はこうも言った。
「今思うと、何故当時陸上部に入ったのかわからない。」
「そうなの?走るのが好きだったとかではないの?」
「全然。」
だけどその後、
「でも駅伝は好きだったかな。チームでやるからね。」
と自然と口をついて出た。ほう。恥ずかし気もなく、疑うことなくこの言葉が出てきたということは、結構マジなのかもしれない。

自分がチームプレー好きになったルーツは何なのだろうか。
記憶を辿ってみると、小学4年生の時に市で行われた合唱コンクールにいきついた。結局また合唱なのか。
その時の学年主任の先生が行事関係を取り仕切っており、何事も自身の理想形に近づけようと熱血を超えて指導していた。後に2年間私の担任となったのだが、熱くて統率力はあるが、超絶恐ろしい人でもあった。

Rちゃんともその担任クラスで一緒だったので、その先生の話しになった。
「あの先生の指導は今考えるとアウトなことが多いだろうね。」
と話しをした。子供たちはみな萎縮していたと思うし、先生の朝一のご機嫌が1日の雲行きを決定付けた。先生の顔色ばかり気にしていた。その癖が大人になった今でも弊害として残ってしまっていると感じることも多々ある。

だけどその先生が、物事に本気で取り組むことと、その結果から得られる喜び、そしてチームで一つのことに向かう面白さを教えてくれたからこそ、得られたものも多くあったのだと今改めて感じる。
こう書いているが、この文章においてはその先生のやり方を擁護する気も批判する気もないのだ。
練習では、いつ自分が名指しされて怒鳴られるのではないかとビクビクしていた。でもあの本番の舞台で歌った時、その瞬間だけは演奏する全員の境界線がなくなって一体化したような感覚になった。

それから先は、バレエの舞台や、学校行事、地域のフットベースボールチームの試合、駅伝部、陸上部、映画制作など‥‥。気づけばチームプレーにおける喜びの数も増えていた。

高校の時も、音楽が選択科目のクラスに属しており、皆で歌うのが最高に好きだった。普段の学校生活ではあまり仲良くなれない人たちとも、歌っている時だけは会話できているようで楽しかった。
それなのに高校の時、自意識過剰のせいで合唱部に入らなかった自分、まじ情けねぇなぁ!



先日、nagoriteのスタジオ練習を見学しに行った。

以前彼らが参加したライブに行かれなかったので、生で彼らの音を聴くのは初めてだった。
スタジオで体感してみて、音を発することでメンバー同士がコミュニケーションを取っていると感じた。それを観て聴いているとワクワクしてきた。それはもしかしたら人間の原始的な体験なのかもしれない。
音源で聴く音楽も好きだ。だけどライブでしか感じられないセッションの機微があると感じた。



あぁ、今とてもピアノが弾きたい。弾けるようになりたい曲も沢山あるし、友達と連弾しようと約束したのに結局まだ果たせていない。そして合唱コンクールがしたい。
合唱コンクールのDVDの自分は、殆ど手元か楽譜に釘付けで、偶に指揮者に目を呉れたと思ったら怖い目つきだった。実際当時はセッションよりも自分の理想の演奏をすることに必死で、まぁまぁ自分勝手に演奏していて目も当てられない部分もあった。それでもなんだか楽しそうに見えて、当時の自分が羨ましいのだ。

昨年末実家で、3週間程ほぼ毎日ピアノを弾いていた期間があったが、まぁまるで弾けなかったし、楽譜も読めなくなっていた。そう思うと、DVDの自分は弾けているだけ凄いなぁと思う。まぁ当時は10年やっていたのだし、その後は10年以上弾いていなかったのだから当たり前か。でも弾けないなりに、小学1年生の時に弾いた曲からコツコツ練習していくのはとても楽しかった。10年続けられたのには理由があるのだろうなぁ。あの頃くらい弾けるようになりたいなぁ。

とにかく、お給料を無駄遣いせずに、電子ピアノ購入に向けて貯金しよう。弾けるようになったら、友よ、誰か合唱コンクール(自宅開催)にお付き合いください。

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