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【短編小説】ネコとキーコの青い空(2/4)

キミの色は特別だ!

 次の朝、水を飲みに出かけるネコの足取りは重く、気分も晴れなかった。
キーコは今日も窓辺にいるのだろうか。たかが人形のはずなのに、もしかして、まだ昨日のような悲しい顔をしているのではないかと思うと、ネコは出窓を見上げる気がしなかった。
ところがキーコは相変わらずの明るい声で、ネコに話しかけてきたのだ。

「おはよう!」

「ああ、おはよう」

 ホッとして気を抜いた。ネコは「しまった!」と顔をしかめた。あいさつを返すなど、不本意以外の何ものでもない。
 キーコの顔がパッと輝いた。

「うふふ。うれしいな」

「な、なんだ。なにがおかしい」

 ネコはプイと横を向いて、後ろ足でうなじのあたりをシャカシャカと掻いた。怒っているのではなく、なんだか照れくさかったのだ。

 突然、風が庭をかけ抜けて出窓の下まで来ると、藤の枝葉を鳴らし、バケツの横にいるネコの艶やかな毛並みをフンワリと持ち上げて、空に舞い上がっていった。
 キーコはその様を見つめていたが、やがてビー玉の目をキラキラさせながら言った。

「ねえ、お願いがあるんだ。きみの体に触らせてもらえないだろうか」

「な、なんだって?」

「だって、とっても柔らかそうなんだもの」

 キーコは首を傾けてニッコリ笑った。
 その顔にネコは小さくため息をついた。ずうずうしい人形ではあるが、昨日のこともあるし、ひとつくらいはいうことを聞いてやろうと、そんな気分になったのだ。
 ネコは藤の木をつたい、木の葉が舞い落ちるように、そっと出窓に飛び移った。
キーコを間近で見て、ネコは初めて気がついた。キーコには手足がないのだ。頭のついた太い胴だけが、どっかりと板の上に乗っている。

「何だ、おまえ、手がないじゃないか。それでよく無敵のソルジャーなんて言えたものだ」

 するとキーコはフフンと笑った。

「うしろを見てよ!」

 キーコは背中にランドセルのようなものを背負っていた。

「何だ?この荷物は」

「荷物じゃないよ。武器をしまうケースなんだ」 

「ほう、それじゃあ武器はどこにあるのだ」

「特別な場所にしまってあるんだ。もちろんそれがどこかは秘密だけどね。ぼくは武器の輸送用に開発されたらしいんだよ。だから手なんかいらないんだ」

 キーコは得意そうに胸を張る。ネコはあきれて訊ねた。

「だがそれじゃあ、どうやっておれの毛皮に触るつもりだ」

「そうだった。どうしよう」

 キーコはいかにもがっかりした様子で、細いまゆげをくねらせた。

(みろ! おまえの好きなカケルは、おまえに手もつけてやらない、実にいいかげんなやつじゃあないか)

 ネコはフンと鼻を鳴らした。

「仕方がない。世話の焼けるやつだ」

 ネコはスルリとキーコに近づいて、白い顔に自分の背中をフワっとくっつけてやった。

「うわあ! なんていい気持ちだろう! 柔らかくって暖かくって」

 キーコはうっとりと目をつむった。キーコがあんまりうれしそうにしているので、ネコはもう一度、今度は自分の頬からしっぽの先までを使って、ヌルリとなすってやった。         

「やっぱり腕が欲しいなあ。ぼくに両手があれば、きみの背中に抱きつくことができるんだよ!」

 その言葉に、なぜかネコは、もっと優しく触れてやりたくなった。
その時だ。ネコはハッと気がついた。長い間忘れていたなにか、どこかずっと遠くに置いてきてしまった大切なものが自分の心の奥に眠っている。
ネコはおもわず目を閉じた。それはそっと近づいて、もう今にもネコを包んでくれそうな気配だった。

 トビが庭先を低くかすめて飛んでいく。窓辺を横切る大きな影に、ネコははたと我に返った。

「ありがとう! 本当にキミの毛皮は最高だ」

 青空を吸い込んだようなキーコの目をながめながら、ネコは、さっきの不思議な気分はいったいなんだったのだろうと考えていた。

「ねえ、たまにこうやって触ってくれるとうれしいなあ。なんだか気持ちがワクワクするんだ」

「まあ…たまに…ならな」

 ネコはまた後足で首のまわりをかいていた。

 

 ネコの濡れた鼻先に、薄茶色に縮こまる藤の枯れ葉がハラハラと舞い降りる。
この何日間か、ネコは毎日出窓にきているのだ。水道のバケツに水を飲みに行くのはネコのずっと前からの習慣だ。
 だから「そのついでにちょっとよるだけだ」というのがネコの言い分だ。
けれど本当は「ついで」などではない。キーコと一緒にいることが、だんだん楽しく思えてきたのだった。

「ねえ、なぜぼくが白いかわかる?」

 キーコはムフフと笑った。

「さあなあ」

 ネコはキーコの隣りでゆったりと横になっていた。どうやらここはカケルの部屋のようだった。お昼過ぎにカケルが学校から帰ってくるまでは、ほとんど誰も入ってこない安全な場所だ。太陽がサンサンとふりそそぐ暖かな窓辺は、暗いガレージとは比べものにならない最高の昼寝のスペースになった。

「答えはね、ぼくはまだ完成していないってことさ。これからカケルに色をつけてもらうらしいんだ」

「それがどうした」

 ネコは無愛想に鼻を鳴らした。また人間の話かと思うと、ゆったりした気分などいっぺんで吹っ飛んでしまいそうだった。

「大問題だよ! ぼくの色だもの」

 キーコはうらやましそうにネコを眺めた。

「キミの体は素敵な色だね。おひさまにキラキラしているよ」
 
 キーコの言う通り、ネコの毛並みは美しかった。野良猫で、しかも若くはない。けれど、筋肉に覆われたたくましい体は、動くたびにしなやかな光の帯が流れていくような、艶やかな毛皮に包まれていた。

「うん。キミの色は特別だ!」

「なにが特別だって? ただの黒じゃないか」

「違うんだ。同じように見えたって、よく見るとひとつも同じ色なんてないんだよ。茶色っぽかったり、青っぽかったり、みんな少しずつ違うんだ。キミの黒は、どれよりもきれいだよ。しっとりぬれているみたいで吸い込まれそうだ!」

「ふうむ」

 そんなものかと少し気をよくしたネコだったが、美しいからといって、それでネコの毎日が素晴らしいものに変わるわけではない。黒がみんな同じであろうとなかろうと、まったくどうでもいい問題なのだ。

「草色もいいなあ。あそこの花壇の花みたいに、赤や黄色っていうのも楽しいね。ああ、どんな色がいいかなあ」

「ばかばかしい。おまえが決めるわけじゃない。どうせ人間が塗るんじゃないか。希望通りになどいくはずがない」

「それはそうさ。でもカケルならきっと素敵な色にしてくれる」

「おまえは人間とも話ができるのか?」

「それはできないよ。でもキミとだけはなぜか特別なんだ。不思議だね!」 

 屈託のない笑みを浮かべるキーコを見て、ネコは呆れかえった

「なんておめでたいやつだ! それならわかっているだろう。おまえの好きな色など、あのガキンチョにはわからないんだからな。まあしかし、おれとだけでも話ができるというのなら、おまえはまだ幸せ者だ。忠告を聞ける。いいか、とにかく人間を信用するな。きっと途中であきてドロドロにされるだろうよ。まったく人間は気まぐれだからな」

「そうかなあ。でもカケルはちがうよ! あの子はとっても優しいんだ」

 キーコは耳をピンと尖らせて、胸を張って言い返してくる。ネコはしっぽを激しくパタパタさせた。
 ネコにはキーコの未来が見えるようだった。大切にされるのは最初だけ。そのうちいたずら書きで真っ黒にされ、ベッドの下に転がされて、やがて母親にゴミと一緒に捨てられる。

「いいか、言っておく。あんなヤツラを信用したって、いいことはひとつもない。結局バカを見るのはこちら側なんだ」

「そんなことないよ。だってカケルはぼくが好きなんだ!」

「今はそうだったとしても、いずれ気が変わる。人間とはそういうものだ」

「そうかなあ」

 キーコは眉毛をよせて、しきりに首を傾ける。
 そんな様子に、ネコはキーコを哀れに思った。キーコは人間が好きなのだ。いずれ裏切られて転がされようと、今はなにをいっても無駄なのだろうとネコは思った。
 ため息をつき、気分を変えようと体をなめていたネコだったが、そのうちに、たかが人形ひとつに一生懸命になっている自分に気がついた。すると、途端にすべてがなんともバカバカしく思えてきた。

(ああ、やめたやめた! なんておれらしくないことをしているのだ。おれは他のやつらがどうなろうと、まったく関係ないはずだった。おれは今までひとりだったし、これからもたったひとりで生きていくのだ)

 ネコはおもいきりあくびをしてみせると、キーコに言った。

「まあいい。せいぜい信じてやることだ。おまえの人生だからな」

「まって、ねえまた来てくれるだろう? 明日も待ってるよ」

 ストンと窓から飛び下りたネコの後ろ姿に、キーコは板から精一杯身を乗り出して、小さく叫んだ。
 ネコは振り返りもせずに、植込みの中に消えていった。いつも通りの生活に戻るとしよう。もうキーコとは二度と話すことはないと心に決めたのだった。

 
 次の日は久しぶりに雨が降った。水道の下のバケツから水があふれている。出窓は閉まっていた。ずぶ濡れになりながら見回りから帰ると、ネコはガレージの奥にある段ボールの上にぽっこりおさまって、ざらざらの下で丹念にからだをなめた。皮膚にペッタリくっついた毛皮も、そうしているうちに、いつのまにかフワフワに戻るのだ。

『キミの色は特別だ!』

 キーコの言葉を思い出して、ネコは思わずフフンと笑っていた。

「人形のくせに、よくしゃべるおかしなやつだったな」

 暗く湿ったガレージの中で、ネコはまるで陽だまりにでもいるように、ほんわり温かな気分になっていた。

 次の日も雨だった。見回りを終えて、ネコが山根さんの家の裏庭を横切った時のことだ。
突然勝手口のドアが開いて、人間の女が現れた。
ネコはすばやく植え込みに逃げ込んで、じっと様子をうかがっていた。
大きなゴミ袋を出している。後ろで子どもの声がした。カケルだ。

「おかあさん、お願いだからさあ」

 カケルの母は黙々と、ゴミ袋の口を縛っている。

「ねえ全部使っちゃったんだってばあ。もっと作りたいんだよう」

 カケルは母の背中に向かって、今にも泣き出しそうな声で訴えている。ネコは雨の中、動くこともできずに、やれやれと仕方なく様子を見ていた。

「ねえってばあ、おかあさん」

「しつこいなあ、いいかげんにしなさい」

 カケルの母は声を荒げた。

「買ってあげたばっかりでしょ? そんなに作りたいんなら、この前作ったあの人形をつぶせばいいじゃない。紙粘土なんだから、まだちゃんとは乾いてないだろうし、水につけて練り直せばまた使えるよ」

 ドアがバタンとしまり、それっきり中の声は聞こえなくなった。
 ネコはずぶ濡れのまま、植込みの陰で固まっていた。冷たい雨がしぶきを上げてネコの体をたたいている。えぐられたような痛みが胸を貫いていた。

「ほらみたことか。人間なんてこんなものだ。この世で一番信じてはならないものなのだ」

 ネコはスックと立ち上がり、雨のしずくを滴らせながらヌシヌシと庭を横切っていった。

 つづく

 

 


 

 

 


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