"他人と比べるな"と言うのは簡単だけど
"人生は他人と比べるものじゃない"
"何事も自分との勝負"
とはよく聞く話だが、その通りに生きることは難しい。
他人と比較し羨むことはよくある
僕自身、他人の成功をSNSで目の当たりにして羨ましく思うことはある。
同時に羨んでいる自分にげんなりすることもある。
例えばクライミングなら、自分が怪我をしていたり停滞しているときに、周りがどんどんと成果を出していくと比較し焦りを感じる。
逆に去年の4月~5月あたりの多くのクライマーがStay Homeを守りクライミングをやっていない(少なくともSNSにアップしていない)時期は、自分が大好きなクライミングをできないのにそれほど辛くはなかった。
"こんな時期だから登れなくて仕方ない"という諦めの気持ちと同時に、”みんなも登っていないのだから自分だけ遅れているわけじゃない”という相対的な安心感があったのだろう。
絶対的な幸福、相対的な幸福
クライミングだけに限らない。
人間は誰しもがどんなことでも他人と比べたがる。
自分の絶対的な水準よりも、誰かとの格差が気になり問題にしたがる。
現代に生きる人の99%は、数百年前の貴族階級の誰よりも生活水準が絶対的に高いだろう。
昔とは比較にならない美味しさのご馳走に手軽にありつける。
冷暖房が完備された家に住める。
スマホという魔法を誰しもがポケットに入れることができる。
それでも皆自分よりも上の人を羨望し、相対的に不幸だと思いたがる。
「不公平」は人間だけの感情じゃない
「人間は」と上述したが、他と比べることや不公平という感情は人間以外の動物にも根付いている。
「オマキザルは不公平を感じるか」という有名な実験がある。
・2匹のオマキザルA,Bに同じ作業をしてもらう
・その報酬にAにはキュウリをあげると、最初は食べる
・しかしBにはブドウ(オマキザルもブドウの方が好き)が与えられていることをAが目の当たりにすると、Aは納得できずそれ以降のキュウリを返却してくる
・それでもBにブドウをAにはキュウリをあげ続けると、Aは怒りを露わにしてキュウリを投げ捨てたり暴れ出す
<オマキザルの実験>
とても興味深く(Aには可哀そうだが)笑える映像なので是非見て欲しい。
この実験から、
「他と比べ、羨ましいと思うこと」
「公平さを求め、不公平だと怒りを感じること」
は僕ら人間が社会の中で獲得した思考や感情ではなく、もっと太古から備わった仕組みではないかと考えれるだろう。
それでも他人と比較ばかりして不幸になるべきじゃない
つまり、"他人と比べるな"と言うのは簡単だけれど、そう自分をコントロールするのは決して簡単じゃない。
むしろ他人と比較することが自然なのだ。
でも"本能だから仕方ありません。他人と比較してその格差に腹が立ちます"と社会に対していつまでもキュウリを投げていたらそれこそ動物的行動だ。
相手にむかついたときに殴りたいと本能で思ってもその衝動を抑えられるのが人間的行動であるのと同様に、僕らは理性とテクノロジーでより良く振舞い生きるべきだ。
比較したくなる感情を理解し、上手く付き合う
大切なことは「他人と比較したくなる気持ち」「不公平さを感じる気持ち」というのは僕らに根源的にビルトインされているとまず理解すること。
そうすればゲームの主人公の性格をメタ的視点から観察するように少しは冷静になれる。
心が強い人なら、この比較したくなる感情や不公平に対する怒りを原動力にして逆に自分を奮い立たせて頑張るのもありだろう。
それは人間の感情をハックするある意味素晴らしい態度かもしれない。
もし他人と比較し過ぎてこれはメンタル的にやばいな、と思ったらその原因をシャットダウンした方が良い。
無理に"比較しちゃだめだ"と思っても、自分の意志だけでそれを防ぐことはなかなか難しい。
アプリを削除したり、SNSをミュートしたり、誰かと会うのを止めたり、学校や会社を休めばよい。
僕らは誰もがみな他人と比較したがる生き物だということを理解して上手く付き合って生きていくべきだ。
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