見出し画像

写真嫌いだった僕がポートレートフォトグラファーになった理由。

はじめに

はじめましての方、はじめまして。お久しぶりの方、お久しぶりです。
株式会社エナテック5代目(予定)の榎並です。

Twitterや他のSNSなどで僕のことを知ってくださっている方にとっては、僕といえばカメラ・写真好きという印象かと思っているのですが、実は「僕が写真嫌いだった」ということをご存知の方はおられますでしょうか。

そう、僕は元々「大事なことは頭や心の中で覚えている」からカメラなんて必要ない、と公言するほどのカメラ嫌いな男だったのです。
それがどうしてこんなにもカメラ・写真を愛してやまないようになったのか…

今日はそんなお話をしてみたいな、と思います。
つらつらと文章が続くと思いますが、どうぞ最後までお付き合いください。

写真嫌い"だった"僕

先ほども申し上げたように、僕は昔から写真が好きというわけではありませんでした。むしろカメラ嫌いと言って差し支えないほど、カメラ・写真を毛嫌いしていました。事実、初めて写真を撮ろうとカメラを購入したのは昨年の春で、それまでずっとカメラは要らないと思っていたくらいなのです。

本音を言うと、一応カメラ嫌いになったのにも理由があります。
というのも、僕自身あまり写真写りがよくなく、笑っているつもりでもこわばった顔になったり、あまり撮られて気持ち良くなれず、必然的にカメラが苦手になり、徐々にそれが嫌悪感に変わっていったのです。

こういう悪ふざけした写真は得意です笑

そんなカメラ嫌いの僕がどうしてカメラを購入するに至ったかというと、実は先日交際5年を迎えた彼女がうつ病になったことがきっかけでした。

彼女がうつ病になるまで

少し遡って、一昨年の中頃のお話。
その頃まで喧嘩という喧嘩をほとんどしたことがなかった僕らでしたが、急に喧嘩というか些細な諍いが頻発するようになりました。これら諍いの発端はほとんどたわいもないことで、今となっては思い出せないほど小さな小さな違和感なのですが、どうしてか揉め事に発展することが多くなりました。

ちょうどその頃の彼女はというと、通信制の高校で働きはじめたばかり。感受性豊かな学生たちと触れ合うにつれて何か感化された部分があったのかもしれません。

実際にどんなことで揉めたり怒られたりするようになったか、というと…

・「髪型を褒める」となぜか「嫌味・皮肉を言っている」と勘違いされ怒られる。
・買い物中に「これよくない!?」と興奮気味に話すと「うるさい、もっと小声で話して!」と注意される。
・小さい子がこちらを見ていたので、バイバイの仕草をすると「不審に思われるからやめて!」と本気で怒られる。
・車の運転中に退屈させてはいけないと思い話しかけると「しんどいからやめて」と言われ、不機嫌になる。 などなど

他にもたくさんありますが、パッと思い出せるものとなるとこんな感じです。

当時の僕は「自分が原因で彼女を怒らせているのだから、自分が直していけばいいだけだ。3〜4年も付き合っているのだから、こういう時期も必ずあるもんだろ。」と考えていましたが、今思い返してみればこの時すでに、彼女にうつ病の魔の手が忍び寄っていたんでしょうね。

時を同じくして、すれ違いから幼い頃からの友人たちとの関係性が少し悪化してしまった彼女。徐々に僕を除いた他者との交流が少なくなっていきました。交流が少なくなっていくのと反比例して、僕への些細な不満をどんどん募らせていきます。そして気がついた頃には、何をしていても「面白くない」「疲れる」「しんどい」という感情が付き纏うようになっていったのです。

この日は眠かっただけですが、本当に笑顔がなくずっとこんな感じでした

この頃の僕はというと彼女をなんとか元気にしてあげなきゃ、元気付けてあげなきゃとご機嫌取りに終始する日々。それが気に食わない彼女はどんどん不機嫌に。完全な悪循環です。そんなある日、Twitterである投稿を見つけました。

それが「HSPと呼ばれる人たちについて」です。

彼女の性質:HSP

少しだけ脱線しますが、HSP(Highly Sensitive Person: 感受性が非常に豊かで敏感な人たち)という性質について皆さんはご存知でしょうか?
今でこそ、それなりに耳にする言葉になりましたが、当時はあまり耳馴染みがありませんでした。

この投稿を見た僕はすぐにHSPについて調べます。
というのもこの時彼女が抱えている問題や彼女が話している内容の節々に、HSPの性質が見え隠れしていたからです。

振り返ってみると、先ほど挙げた彼女との揉め事の中にも、彼女の感じ取る能力の高さに起因するものがいくつかありました。具体的にいうと…

・小さい子にバイバイと手を振った→お母さんの表情の硬さを感じた
・買い物中に興奮気味に話した→他のお客さんの目線を感じた などなど

他にもありますが、前出のものだとこの辺りでしょうか

この他にも

  • 人混みが苦手 → 情報が多すぎて辛くなってしまう

  • 明るく社交的に見えるが、実は他者との交流は苦手

  • 初対面は得意、会う回数が増えるにつれて嫌になってくる

  • 好奇心旺盛ながら警戒心は高い

  • 予定の急な変更に弱い などなど…

という彼女の性質がまさにHSS型HSPと呼ばれる人たちの特徴にそっくりそのまま当てはまっているものは多く、次第に僕は「彼女はHSP」だと確信するように。そしてこのことを伝えるべきかどうか、で悩むことに。

HSPは個性

まずひとつ最初に断っておきたいのですが、HSPは疾病ではなく性格上の特性・個性のようなもので、マイペースが服を着て歩いていると形容されるような性格の僕では、彼女のようになりたくてもなれません。たしかに一見するとすごく生きづらいように思うかもしれませんが、他の人には真似できない強みにもなりうると思っています。

しかし、いくら個性だと言われたとしても、誰かに「君はHSPだ」と突きつけられた本人はどう感じるでしょうか。ましてや繊細で、敏感な彼女です。少なくとも誰かに言われたくはなかったでしょう。
とはいえ、このままでは僕自身も一緒にいることが辛くなってきたこともあり、意を決して彼女に「HSPという気質の人たちがいる。きっと〇〇(彼女の名前)もそうじゃないかと思ってる。」という話をすることにしました。

いつも笑顔でしたが、実はかなりの繊細さんでした

案の定、彼女は取り乱しました。HSPという気質については知っていて少し自覚もあったようですが、やはり他人から事実として突きつけられるというのは深く傷つけられることになったのだと思います。そしてここに追い打ちをかけてしまったのが「HSPについて勉強している」という僕の言葉でした。

もちろんHSPと非HSPの違いなど勉強することが悪いのかと言われると決してそうではありません。しかし、この時に限ってはあまり良くなかったと言わざるを得ないでしょう。なぜならこの言葉は「HSPには特別な対応が必要だ」と言っているのと何一つ変わらないのですから。

繊細で敏感な彼女のことです。自分の気質が原因で他人に迷惑をかけていると思ったのではないでしょうか。あるいは、腫れ物に触るように接されていると感じたのではないでしょうか。
僕が勉強をすればするほど、彼女は苦しめられることになったように思います。そして「自分のこの性格が悪いのだ。自分がもっと明るく楽しくなれたら誰も苦労しないのだ。」と自分を責めることになり、うつ病へとまた一歩前進させてしまったのかな、と。

ついにうつ病に

そうこうしているうちに、彼女は自身の感情をどんどん抑えきれなくなってきました。
さっきまで楽しそうにしていたかと思うと、急に本気で泣き喚き、自分の腕を掻きむしろうとし、それを止めに入った僕に暴力を振るうことさえありました。家の前まで迎えに行って2時間待たされるなんてのは当たり前、長い時はほとんど半日近くのコンビニで時間を潰したことも。

「何をしていても楽しくない」と「何か楽しいことをしたい」という相反する感情が常にごちゃ混ぜになってしまっている彼女。
それに対して、どうにかして「楽しいと思ってもらえるようにしないと…」と試行錯誤し苦悩する日々。

こんな穏やかな表情はほとんど見られませんでした

そんな中、決定的な出来事が起こります。

それは2021年のお正月早々のことでした。
近くのショッピングモールの初売りセールに足を運んだ僕たちですが、初めて行ったショッピングモールでウキウキしっぱなし。その日は彼女も終始楽しそうです。

ところが、帰路の途中で事態は急変します。電池が切れたかのようにニコニコしていた彼女は居なくなり、何を話しかけても不機嫌なご様子。
ついには「どうしたの?何か嫌なことしちゃったかな?わからんから教えて欲しいんだけど…」と聞く僕に苛立ちを堪え切れなかったのか、暴れ出す彼女。それでも諦めずに問いかけ続けた僕に彼女はゆっくりと口を開きました。

さっきまで楽しいなって思ってたけど、帰るってなると楽しくなくなった。楽しいなって思ってても、終わるのがわかると楽しくなくなって、楽しかったことも全部忘れて、嫌な思いでいっぱいになってきて、どうしようもなくなる。

あの手この手で楽しい時間を過ごせるように、嫌なことは全部我慢すればいいと思っていた僕でしたが、この時初めて「自分の手ではどうしようもない」ことを悟りました。
そして、これを機に「彼女と一度距離を置くこと」と「彼女に病院に行ってもらうこと」を考えるようになりました。

うつ病からの脱却

病院に行くように勧めた時、彼女はとにかく拒絶しました。諦めようかとも思いましたが、距離を置くにしても3年半も付き合ってきた彼女をこのままにすることはできず、何度も何度も病院に行くように説得しました。その甲斐あってか彼女は自らの精神的な不調を認め、近所にある評判の良い病院に行くことを決心してくれました。

ただ、この病院の対応はお世辞にもいいと言えるものではなかったようで、繊細で傷つきやすい彼女からすると「私の目を見て話をしてくれないし、見ようともしない。ただパソコンを見ながら、尋問を受けている感じ。」とのことでした。

こういった手合いの病院に詳しくない僕は、とりあえずしばらく通ってみようと訴えかけるのですが彼女の強い要望によって通院は断念することに。しかし、一度病院に通い始めたことによって、他の病院も受診したいと自分から言い出してくれたのです。

こうして2件目、3件目と病院を渡り歩いた結果、彼女と相性の良い先生に出会うことができました。ここではしっかりと話を聞いてもらえたのか、すっきりとした様子でした。さらに処方された薬もそれなりに効き目があったようで、ここで一気に回復の兆しを見せ始めます。

あの時を経験したからこその笑顔かなと思っています。

ただ、ここで問題なのは僕自身が既に「一度距離を置こう」と意志が固まっていたことです。もはや僕の中にあったのは風前の灯というにふさわしいほどの僅かな感情しか残されていませんでした。

「どうして、どうして、ここまで回復しつつあるところまで見て、きっともう一回好きになってもらえる自信が湧いてきたのに、どうして!」
何度も何度も泣きじゃくりながら訴え続ける彼女。胸が痛くなる思いでした。

どうにかこうにか僅かながら自分の中に残された感情を奮い立たせ、もうしばらく彼女のことを見守っていこうと思い直した僕でしたが、相手のことを気遣うあまりに疲れてしまった自分が居たのも事実。
ゆっくりと気分転換を兼ねて何か新しいことでも始めよう、そんなことを考えていたある日、HSPについて勉強していた時のことを思い出します。

思い出づくりの動画撮影

「何をしていても楽しくない」と言いながらも「行ったことないところに行って楽しみたい」と矛盾した主張をしていた時期だったでしょうか。
彼女はとあるカップルYouTuberにどハマりし、僕にもよく動画を勧めてくれるようになりました。そのYouTuberというのは女性がHSPで、男性が非HSP。まさに僕たちと同じような関係でした。

それを見た僕は、カップルYouTuberではなくともVlogという形で記録に残すのもいいのではないか、と考え、スマホではない手持ちジンバルカメラ DJI OsmoPocketを購入しました。ただ動画の編集は思っていた以上に難しく、まだFinal Cut Pro Xを触り慣れていなかった当時の僕にはとても続けられるものではありませんでした。

出典元:DJI Osmo Pocket - https://www.dji.com/jp/osmo-pocket

動画を撮ろう撮ろうと言って始めたのに… 彼女からすれば、いつになったら編集してくれるのだろう、と心待ちにしていたことが、気付けば撮るだけになっていて悲しい思いをさせてしまったのかもしれません。

せっかくの動画編集ソフトも持ってるんだし、もう一度動画に挑戦しよう。
今度は一眼レフ、ミラーレスで。
自分自身の撮りたい映像をのんびり撮りながら、好きに編集しよう。

これが僕とミラーレス一眼の出会いでした。

被写体=彼女

そこから写真の魅力にどっぷり浸かるまでに、それほど時間はかかりませんでした。考えることは動画よりもシンプルに見えて奥が深い。そして何より編集も動画と比べると難しくない。気付けば動画なんか忘れて、写真の虜です。

最初は風景や街頭スナップを中心に、RAW現像なるものも身につけ、遊びに行く時にはいつもカメラを片手に歩き回っていました。本当にどんな時もカメラが一緒だったと記憶しています。
もちろん彼女とお出かけする時もカメラは手放しません。しかし、彼女自体を被写体として撮ることはしませんでした。なぜなら、僕の中で彼女への気持ちが戻り切っていなかったのです。


私のことを撮ってほしい。

昨年の5月。突然、彼女が口にします。
あの人目が怖くてたまらない、とてつもなく敏感でビビリな彼女がです。

「自分自身の変化にもびっくりしてるくらいだから、自分が変わっていくところを写真におさめてほしい。」と、続けます。

とはいえ、自身の心にも爪痕が残る中、正直あまり撮りたいとは思っていませんでしたが、せっかく彼女が変わりつつあるんだから、と撮ってあげようと上から目線の気持ちで写真を撮ることにします。

初めて彼女を撮った日

するとどうでしょう。別に特筆してうまくもない普通の写真でしたが、彼女はすごく喜んでくれたのです。

「ずっと避けられていると思ってたから、お願いして撮ってくれたことが嬉しかった。いい笑顔で撮ってもらえたし、今でも自分に自信は持てないけど写真を通して自信を持たせてもらえる。こんなにも良い写真を撮ってもらえるんだ、って。」と心から嬉しそうな様子。

そして「また撮ってね。もっと可愛く撮ってもらえるように、自信もつけて、努力するから。」の一言。

良い笑顔と言ってくれた写真

この撮影をきっかけに、僕は彼女への気持ちを少しずつ思い出すようになりました。彼女を被写体として写真を撮ることそのものが、彼女とのコミュニケーションにもなり、彼女を勇気づけることにもなり、うつ病から完全に脱却する足がかりにもなり…

この日以来、僕たちは一緒に写真を撮りながら、時には美味しいご飯を食べたり、あるいは小旅行に行ったり、少しずつ元の関係に、今まで以上の関係へと進むことができました。

彼女のポートレート撮影は、僕たちの関係を繋ぎ止め、そして前進させてくれるものになったのです。

Taking a Portrait is like Casting a Spell

僕にとってポートレート撮影とは「魔法をかけるようなもの」だと思っています。

僕たちがもう一度お互いのことを思いながら接することができるようになったのも、気弱でビビリな彼女が少しでも自信を持つことができたのも、写真嫌いだった僕がカメラの本当の面白さを知ることになったのも、全てこの魔法に魅せられたからです。

写真が上手とはまだまだお世辞にもいえませんが、おそらくこれからも彼女を中心に写真は撮り続けていきたい、と思っています。

最後にはなりますが、ここまでお読みくださった皆様方、本当にありがとうございました。
途中少し憂鬱な人間関係の話になったり、鬱屈とした内容だったかもしれませんが、おかげさまで彼女とも本当に仲良く楽しく一緒にいられるようになったな、と思っています。
今後とも末長く見守ってくださると嬉しいです。

こんな彼女と僕ですが、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

P.S.
実はこのnoteを書くことになったのは、彼女がうつ病から回復して約1年ということで、お互いに振り返ってみようということがきっかけでした。
今更ながら自分もよく頑張ったなと思いますが、何より彼女が誰よりも頑張って、自分の状態と向き合い克服してくれたおかげだな、と思っています。

本当に最後までお付き合いいただきありがとうございました!

もし僕個人に少しでも興味が湧いたとおっしゃってくれる方がいらっしゃれば、仕事でもそうでなくてもお気軽にご相談ください✌️

Twitter(@mikiya_enatech)もやっておりますのでこちらも是非よろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?