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英語教育で未来へのビジョンを描く

英語は必要か?
こうした議論を耳にしたとき、ぼくは違和感を覚えます。それは「必要か、必要でないか」の2択を迫られているという圧迫感があるからです。しかし、そもそも英語が必要かどうかは個人によってちがうので、一律な答えなど存在しないのです。ぼくなりの最適解は「必要な人も、必要でない人もいる」です。

そんな中、日本は近年、英語教育にかなり力を入れている印象を受けます。小学校3年生から『外国語活動』が必修となり、ほとんどの学校でALT(Assistant Language Teacher)と呼ばれるネイティブスピーカーの方が派遣されています。国際社会を見据えて、日本の教育事情も変化しているということがここからも分かります。
 
たしかに、これからの国際社会では英語が主流になることは間違いないと思います。仕事をする上で「英語しか話せない相手とコミュニケーションを取る」という場面は社会的にも珍しいものではなくなるでしょう。しかし、これはテクノロジー分野での解決が期待できます。Google翻訳を始めとした翻訳機器は、簡単な日常会話や仕事上でのコミュニケーション程度なら問題なく機能するところまできています。会話でのタイムラグは、5G以降の技術革新でよりスムーズ(ストレスレス)なものになるはずです。
こうした中、本当に英語が必要な人とは、どんな人なのでしょうか。
 
筑波大学准教授の落合陽一さんは、英語教育について「2極化していくだろう」と言及しています。つまり、翻訳技術向上により会話は問題なくできるが、できない部分もある。それは、友だちや家族、恋人といった“親密な間柄でのコミュニケーション”です。人と人とが接するとき、技術を介してしまうと「意味の伝達」はできても「心の交流」は出来ないのではないか、という問題提起です。この文脈に沿うなら、仕事上でしか必要性を見出せない人と、より親密なコミュニケーションを必要とする人の2極化は必然だと言えます。個人的にはこの意見に賛同しており、いくらテクノロジーが進歩しても、翻訳機が人間の心まで相手に伝えることはないだろうと思います。
 
英語は必要な人も必要でない人もいる。
おそらく日本で生活し続ける人は、英語をしゃべれなくてもテクノロジーの力を借りることによって、困る場面は極端に減ってくると思います。しかし、単にビジネス上の意味合い以上に、強い関心を持って「海外との関わりを持ちたい」「親密なコミュニケーションをとりたい」という方は、英語が必要になってくるでしょう。それは、その本人が『これからの社会をどのように生きていくか』というビジョンによって変わってくるものです。

 ぼくは学校教員として、子どもたちに英語を教える機会も多少なりあります。その際には、単に「必要か必要でないか」という極論で考えるのではなく「この子たちの将来にどのようなビジョンを描かせるか」という大局的な視点で、学びの場を保証していきたいと思います。言い換えるなら「あなたたちは、英語を使ってどんな未来を生きていきたいのか」を、常に問えるような学習環境を整えてあげたいと思うのです。


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