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苦しみが出現した時。戦うのか、逃げるのか、受け入れるのか。

実は何日も前からブルーだった。

明日は入院中の息子の検査だ。
今日は事前処置のため、私がずっと付き添っている。
明日の結果次第で今後の方針も決まる。

私も20歳前後の頃、同じ病気で同じ検査や処置をしたことがある。
親はあまり見舞いに来なかったし、治療方針や手術も、私と主治医で話て決めて、親には事後報告することも多かった。

私の息子は障害がある分、病院から親に委ねられる部分も多く、一般的な親子よりもかなり近い距離にいると思う。

このあたりはアドラー心理学で言うところの
『課題の分離』
をしないと、と思いつつも、そのあたりはまだまだ私も修行中である。

前回、同じ検査をした時、私も同じ検査室にいたのだが、途中で気分が悪くなってしまった。
今まで同じようなことはたくさん経験してきたのに、初めてのことだった。
多分、あまり結果が良くない、ということを、いろんな雰囲気や状況から察したからだと思う。(このあたりはとても敏感なHSP気質である)

恐い。気持ちが悪い。逃げ出したい。

そうしたら、途中で看護師さんが私の様子を見て
「外で待っていますか?」
と声をかけてくれた。

前の私なら
「大丈夫です。ここにいます」
と言っていただろう。

でも私は
「すみません。よろしくお願いします」
と言って外に出てしまった。

昔の私なら、
・子どもから逃げ出してしまった軟弱な親
・なんで私はダメなんだ
と責めていただろう。

しかし、今回は
・私がここで倒れたらダメだ。
・もう出てしまおう
・大丈夫。息子やスタッフ、先生たちを信じている。

と素直に思えた。

検査結果は、やはりあまり良くなかったが(今はかなり快方に向かっています)、ひとりでクールダウンできたことで、冷静に結果を聞くこともできた。
そして、周りに素直に心からの感謝をすることができた。

昭和から生きていて、受験戦争や24時間戦える戦士を見聞し、経験してきた世代にとって、
・弱音を吐くことは悪。
・自分の限界まで頑張るのは当たり前。
・自己犠牲は尊い。
という観念はいつまでも抜けない。

しかし、平成~令和と子育てや兼業主婦をしている中で、
・弱い自分を認めて、受け入れる。
・できないことは、人に委ねる。
・頑張らなくてもいい。自分がまず生きることが大事。

という、今まで自分の辞書のどこにもなかった、新たな概念が私の心に吹き込まれた。

当初は自分の固定概念とのあまりの乖離に、受け入れることができなかった。
(甘えるな)
(もっとやれるはず)
(頑張ればいつか報われる)
こんな気持ちだった。

でも、もう時代は変わった。
今は、
『個の時代』

しかし、個々に好き勝手で、自由に、というわけではない。
個々のできることを大事にし、苦手なことや無理なことは委ねる。

昭和が、
ひとりひとりが最大限以上の力を出す時代なら、
現代は、
ひとりひとりができることをやり、できないことは委ねてより良い社会を作り上げる時代
なのではないだろうか。

無理をせず、頑張りすぎす、お互いを認め合う…

理想の社会じゃないですか?

もう、苦しみがやってきた時は、無理して戦わなくていい。

苦しみと戦える範囲で戦う。
受け入れらる苦しみだけ、受け入れる。
手に負えない苦しみからは、逃げましょう。
それを担える誰かに委ねましょう。

逃げたことを責めなくても、大丈夫。

あなたが手放した苦しみを、引き受けたい、と心から思う人はたくさんいる。
(それが仕事であったとしても)

そして余裕ができて、気が向いたら、苦しみだったものを見に行ってみましょう。

もう苦しみではなくなっているかもしれません。

大丈夫。
絶対、大丈夫。

幸せに、生きましょう。

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