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SNS苦手な私がどうしてSNSアドバイザーになったか?①

SNSが苦手な私どうしてSNSアドバイザーになったか?①

私は、音楽教室を主宰しています。
音楽大学を卒業。声楽学科ですが、世にいうイップスといいますか、スランプに陥りました。
原因は分かっています。それを言い訳にするのは、今はナンセンスだと思うようになりました。

ピアノが好きなわけでも得意なわけでもなく、音楽が、歌うことがとにかく好きだった幼少期。小学3年生の時、やっとピアノを習うことを両親に許してもらいました。
しかし、歌が好きな私はピアノの練習は全然していかない生徒でした。
某大手ピアノ教室に通っていましたが、先生が6年間で3回くらい変わったことと、人見知りな子どもでしたので、まったく先生になじめず、一人も先生の名前を覚えることはありませんでした。
ピアノはあまり好きではなかったのですが、とても不思議なことに『ピアノの先生になる』夢はずっと持っていました。
それ以外の将来の職業の選択はなかったです。
高校は音楽専門の高校に進学したものの、周りのレベルの高さに圧倒する日々。さすがに練習に火が付き、高校まで2時間半かかる道中は、勉強や宿題をこなし、学校にいるときはピアノの練習の時間を見つけては練習に明け暮れ、帰宅後は夜中11時まで練習する日々を過ごしていました。
なんとか音楽大学を卒業することはできましたが、世の中で一番好きなことである『歌うこと』ができなくなっていたので、卒業後は音楽とは全く関係ない仕事(パート)をすることにしました。
大学卒業後、数年後には結婚・出産を経験し、音楽とは無縁の生活をしていました。
専業主婦になって2年後、実父が病気で他界。大工だった父は、私がまったく音楽教室を開講する気持ちがないことを知りつつ、自宅の一室を音楽教室として使えるように改装してくれていました。
父の他界後、その改装した部屋を眺めることが多くなりました。
「何も言わなかったけど、きっとお父さんはピアノの先生になってほしかったんだろうな・・」と思うように。
しかし、音楽から離れている期間が長くなればなるほど、音楽で食べていく自信がなくなってきました。
歌が歌えず、ピアノもそこそこの私が講師になれるわけがない。
私は子どもとの時間を大切にしたいとも思っていたので、出産後は子どもとの時間を楽しむことに決めました。


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