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強迫観念か、心の豊かさか…

いつもありがとうございます。竹中三千代です。
今回のテーマは「強迫観念と心の豊かさ」

私、ずーっと前に茶道をひとかじりして即やめた経験がありまして…

なぜかと言うと当時の私は心が「恐怖」ベースだったため、茶道とは強迫観念だ!と感じて恐ろしくなってしまったのです。

お点前は完璧を目指さねば、間違えてはならない、角は直角に曲がらねばならない…いや、そこまでではありませんが、とにかく恐怖ベースで体験したため、何一つとして楽しくなく苦痛以外の何物でもありませんでした。

ところが最近カジュアルな茶道を学び始めたのですが、驚くことに全く違う印象を受けたのです。

教えていただいた中で印象的だったのが、千利休さんが無駄を極限までそぎ落としたという話。無地の掛け軸や、花を活けていない花器が飾られることがある…つまり「心で見る」ということ。

最終的には薄暗い茶室の中、黒い器で茶を点てることで器を消し抹茶の色を引き立てるということをなさったそうです。

西洋の華やかなティータイムも素敵ですが、無駄をそぎ落としたからこそ経験できる「心の豊かさ」というのでしょうか。それを初めて感じることができ、なるほど!と感動したのでした。

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ちなみに私、「本質美容家」とかカッコつけて言っていますけど、一般的にイメージされるような美容家の華やかで煌びやかなイメージとはほど遠く、本当は職人という表現の方が合っている感じもします。

見栄を張り、外見ばかりにこだわりまくった先に土台がなかったため総崩れして引きこもり、心の土台をコツコツ固め直したタイプなので、密かに血まみれだったりします(笑)

その経験を経て仕上がった本質美容、茶の心と相通ずるものを感じたのでした。

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ところで千利休さんってロクロで作られた器よりも、手びねりで作った味のある器を好まれたそうです。

美容も同様に、シワのない完璧な美しさも素晴らしいと思いますが、ありのままの自分を受け入れシワも含めて美しい…そんな美の追究もありなんじゃないかなと思ったのでした。

それでは、心豊かな美しい毎日をお過ごしくださいね。
ミチヨ



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