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森を訪れるなら雨の日がいい@屋久島

 鹿児島県南の洋上。樹齢千年を超す杉の原生林を擁する世界遺産、屋久島。島の生態系を支えているのは年間1万ミリを超える雨だ。世界でも類を見ないこの大雨は、多種多様な生物に恵みをもたらし、海へ流れ着くと蒸発して雲となって再び島に大雨を降り注ぐ。昨年、私は初めて屋久島を訪れた。

 屋久島の森に足を踏み入れると、「自然」に対する固定観念を何度も揺り動かされる。土の中に伸びているものだと思っていた木の根が、この森では眼前に姿を現し縦横無尽に広がっている。足元に土はない。大量の雨水が土を流してしまうのだ。代わりにあるのは栄養の乏しい硬い花崗岩。けれど、その表面には美しい緑色のコケがびっしりと敷き詰められている。水にあふれた湿気のある森はコケにとって理想的な環境であり、屋久島には約650種ものコケたちが生きているという。豊かな森はまるで大きな盆栽のようだ。

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 大きな杉の倒木や切り株の上に新たな杉が覆い被さる様に根をはり、重なり合って生きている。世代を繋いで同じ場所に杉が生えることから二代杉と呼ばれ、このような光景は森の至る所で目にすることができる。なかには三代杉もあり、三千数百年かけて命を紡ぎ、40m近い高さにまで成長している巨木もある。七本の枝が見事な、樹齢 1700年の屋久杉は七本杉と呼ばれ、ヤマグルマ、ナナカマドなど実に8種類もの植物が着生している。この森では、さまざまな木々が複雑に絡み合い、水や栄養を補完しあいながら命を支え合っているのだ。それは植物同士だけではない。南方の植物であるアコウの木の実はそのままでは発芽できず、その実を食べたヤクザルやヤクシカの糞からしか芽を出さない。アコウにとっては、猿や鹿がいなければ、命を繋いでいくことができないのである。

 イチジク属の植物であるガジュマルもまた独特な方法で命を繋いでいる。通常、植物が受粉するには風や水、チョウやハチなどさまざまなものを利用するが、ガジュマルの花は閉じているため通常の方法では受粉できない。この木はガジュマルコバチと言われるコバチたちと不思議な関係を結び受粉を行っているのだ。コバチたちは穴から花の中に入り込み、交尾をして花の中でメスが卵を産み落とす。そしてメスは体に花粉をつけて飛び立っていき、また別の花の中に入り込み、体についた花粉によってガジュマルの花の受粉を行なうのである。ガジュマルは、このコバチたちがいなければ滅んでしまい、コバチたちも花の中で命を繋ぎ続けているのである。

 屋久島の動植物たちの生態を知ると、自然界では、「不必要なものなんて何もない」ということがよくわかる。

 そんな豊かな自然を抱える屋久島だが、世界自然遺産の登録地は島面積のわずか21%。映画「もののけ姫」に影響を与えたともいわれる「苔むす森」を有する白谷雲水峡などは含まれていない。

 実は今から50年ほど前の屋久島は、かなりの地域がハゲ山だった。

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 美しい緑のコケに覆われた白谷雲水峡を進むと見晴らしのいい太鼓岩という山の頂にたどり着く。標高1050m。目の前には屋久島最高峰の宮之浦岳(1936m)をはじめ、黒味岳、永田岳といった山々を仰ぎ見ることができる。太鼓岩と宮之浦岳の間には緑豊かな森が広がっているが、この森はすべての杉が切り倒された後、植林によって復活した森なのだ。

 屋久島は、中世時代は種子島の支配下となり砂鉄資源が持ち出されていったそうだ。やがて豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、奈良の大仏より大きな大仏殿を作るために全国の大名に木材調達の令を出す。九州薩摩藩の島津家が目をつけたのが「小杉谷の屋久杉」だったのだ。島津家は屋久杉を”薩摩杉”として大阪の市場に出していった。屋久杉伐採のはじまりである。

 明治時代に入ると、屋久島の山林面積の80%が国有化された。やがて昭和に入り、チェンソーの時代がやってくると屋久杉の伐採は急速に進んでいった。江戸時代から400年かけて切り倒された杉と同じ量がたった15年でチェンソーによって切り倒されてしまった。結果、最盛期の1割程度しか屋久島の杉は残らなかったという。

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 世界でも突出した降水量を誇る屋久島の雨は、山から川を通って海へ注がれ、蒸発して雲となり、再び山に降り注ぐ。絶え間ない循環が繰り返されてきたが、島民の1人は、山と海を結ぶ川が合成洗剤を使い始めたことから目に見えて汚れ始めたという。

 私たちが使う水の量は1日に約200リットル。そのうち飲み水はわずか1%。食器を洗い、服を洗い、風呂で体を洗い、大量の合成洗剤を使って私たちが綺麗になることと引き換えに川は汚れていった。

 川だけではなく海も同様だ。

 数年前、海のサンゴが白化し死滅してしまったことがあった。例年なら台風が海水をかき混ぜ海水温を下げるのだが、その年に限っては台風の上陸はおろか接近することもなかったため、水温が下がらずサンゴがほぼ壊滅したそうだ。この島では台風すらも含めた自然現象を前提として、すべてが関わり合い、成り立っている。山も川も海も、そしてそこに生きるあらゆる動植物たちも。その共生の環の中に、人間は入っているのだろうか。

 屋久島の森では、枝に大きなコブのある杉をいくつも見かけた。枝が折れたりすると、そこに栄養=油分をつぎ込んでばい菌が入らないようにして治療しているそうだ。自然の自浄作用の力に驚いた。

 栄養が乏しい花崗岩の山地に生きる屋久島の杉の成長は極めて遅い。けれど、ゆっくりと育つことで材質が緻密で樹脂分が多く、腐りにくいという特性を手に入れ、何千年という寿命を実現している。倒れた後もすぐに朽ち果てることなく、数百年という時を刻み、ゆっくりと土に還っていく。人間には想像もつかない時間をかけて、この森は循環している。

 倒木に生えたコケの上に、1cmほどの小さな杉のタネが落ちていた。また一つ新たな息吹が数千年先の未来に向かって、芽吹いている。

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