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震災10年チャリ縦断旅⑦念願の再会。土砂降り。福島へ。

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朝7時。塩釜の謎ホテルを出発。

仙台まで車で10分だけあって、早朝でもなかなかの交通量。

北上する雨雲に向かって南下する。大雨にぶち当たるのは避けられない。まだ雨の降っていない午前中にできるだけ進もう。

といいたいところだが、七ヶ浜へ。どうしてもご挨拶をしたい人がいるのだ。とはいえ、予定は未定の旅なのでアポはとっていない。しかも早朝。もうお仕事に行かれているかもしれないが、訪ねる、という行為が重要なのだ。

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奇跡的にいた!

呼び鈴を鳴らして、「あの、早朝からすみません、小林と申します」と外から声をかける。

扉が開き、こちらの顔を認めて、1秒ほど静止した後、「あーあーあー、何、何、どうしたの、あーらららら、小林さんでねーの」

と懐かしい早口。

覚えていてくれてよかった。

「ちょうどね。この前、あなたが茂木先生と対談した雑誌。あれを読み返したばかりだったのよ」

3年ほど前に婦人公論に掲載された記事だ

あの時は読みましたよ!とお手紙をいただいた。その雑誌をまだお持ちだったとは。

七ヶ浜の鈴木さん(本人希望により仮名)は、震災直前、数メートルだけ高台に引っ越し、被害を免れた。

以前住んでいたエリアは壊滅的だったので幸運とも言えた。

だが、鈴木さんは「自分だけ助かった」という後ろめたさに打ちのめされた。

家が無事だっただけで、被災していることには変わりないのだが、地元の方々のために支援活動をはじめたのだ。

その流れで当時NGO職員だったぼくとも繋がりができ、拙著『震災ジャンキー』にもご登場いただいている(仮名の鈴木さんとして)。

以来、10年。

「小林さんの名刺は、いつも財布に入れてるから!」と冗談か本当かわからないが、忘れずに覚えてくれていて本当に嬉しかった。

ここでのやりとりを記すと長くなるので割愛するが、仕事もバリバリ続けていて、お元気そのものだった。

「もう永遠の恋人みたいね」とおちゃらけていたが、鈴木さんの方も突然の来訪を喜んでくださっているようでよかった。帰りには、また七ヶ浜の海苔をいただいてしまった。帰ったら、また焼き海苔にして食べよう。

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以前、でかいコンテナが転がっていた浜もきれいになっていた。

防潮堤も台形タイプで圧迫感がなく、道路から海までの導線が自然。

サーファーや犬と散歩する人たちもいて、きっと震災前の光景と近いのではないだろうか。

何度も大津波に襲われた経験を持つ岩手などの三陸地方とは、防潮堤に対する考え方に地域差があるに思った。


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いざ、仙台方面へ。

信号で止まった際、ふと目に入った浸水の痕。

道中、この痕を至る所で目にすることができる。自然災害に終わりはないのだ。

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震災遺構の荒浜小。

知人が卒業生で、ようやく来ることができた。

小学生たちが見学に来ていた。震災後に生まれた子もいるだろう。

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1時。いよいよ雨雲がやってきた。

そして大雨となる。

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ポンチョ型のレインウェアだったので、下半身は恥ずかしいくらいびしょびしょ。手袋も靴も靴下も絞れるほど。

これほど雨に濡れたのは、台湾1周の時以来だ。

暗くなる前に福島へ行きたいので、雨宿りなどせずひたすら走り続けた。

2時間後。

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震災遺構の中浜小に到着。

無料開放のところもあるが、こちらは400円。

保存のためにも当然だし、ガイドさんがしっかりと説明もしてくれる。しかも、びしょ濡れで入っていったら、余計に暖房をつけてくれるくらい優しい。

料金は取った方がいいと思う。

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ここは震災直後に訪れたが、ほぼそのままの形で残っていた。

大雨でも訪れる人が何人もいた。

止まない雨の中、旧常磐線の線路あたりにできた復興道路を爆走。新しいので走りやすい。

日も暮れた 17時。

福島県相馬市に到着。

これまで何回と訪れた街だ。が、暗くてよくわからない。

急な連絡だったが、知人たちが快く駆けつけてくださった。

書くと長くなるので割愛するが、皆さん元気そうで何より。

楽しい夜を過ごすことができました。

ありがとうございました。

いよいよ明日はゴールの浪江だ!



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