ちょいちょい書くかもしれない日記(ネコノゴハン)
今日も学校。
先日、車がパンクした日に休講を余儀なくされたので、今日はその補講だ。
学生さんの時間をこちらの都合で使わせてもらって申し訳ない。
教師業も長くなり、いささか特殊な学校で教えているがゆえに、あちこちに教え子がいて、たまに戸惑う。
先日お世話になったJAFのサービスマンも、あやうく私の教え子になりかけた過去があったことが発覚して、ふたりで驚いた。
レッカー車の助手席で、「受験しようかと思ったけど結局他分野の学校にした」という文脈で、自分が出勤できなかった学校の名前が出るとは。
世界は広いようで狭い。
そのくせ、離れてしまって、いつか会いたいなあと心から願う人には、なかなか繋がらない。
そんなものだ。
今、いちばん長く勤めている学校には、大好きな事務員さんがいる。
お互い、学校ができた頃から働く旧友のような人だ。
彼女がいるうちは、そこでの仕事をお引き受けしようと思っている。
立ち上げ時期の学校というのは一種独特な雰囲気があって、先生も学生も、これからこの学校を作っていくぞー! という気概に満ちていた。
学校生活を楽しむことにとても貪欲だった当時の学生たちのことは、特に心に残っている。
よく、カラオケだ飲みだ花火だと呼ばれて、担任と「これ放課後部の部活っすね」と言い合いながら付き合った。
色々あって、「人間追い詰められると、なんでか北上するんですわ」と言って北海道に渡った、いちばん仲良しだった担任の先生は、お元気だろうか。
情熱と皮肉とはにかみを適当にブレンドして煮しめたような、へそ曲がりだけど優しい、愛すべき人だった。
今は先生も学生もシステムに沿って粛々と……という感じなので、私も仕事以外の時間を学生のために使うことはなくなったけれど、今も変わらず、学生たちが楽しそうにしていると嬉しい。
隔離部屋の猫は、ご機嫌に過ごしている。
お世話しに入るたびに、末っ子猫がやってきて、ほぼ交流しないくせに同じ部屋で過ごしたがる。
実を言うと、我が家に今いる6匹の猫の中で、血縁関係がないのはその末っ子猫だけなのだが。
会った瞬間に意気投合、みたいなことはまったく期待していないので、同じ部屋でそこそこリラックスして過ごせるなら上々である。
学校の帰り、コンビニに寄った。
猫のいつものカリカリにちょっとトッピングしてやる用に、小分け包装になっているキャットフードがとても便利なのだ。
ネパール人の店員さんが会計をしてくれたのだが、キャットフードの小袋に変な感じに指先が当たって、床に落ちてしまった。
すぐに拾い上げた彼は、丁寧に埃を払いながら、「ネコチャンノゴハン……」と呟きながら私を見た。
「ネコチャンノゴハン」
復唱して、私は頷いた。
何故こういうとき、自分までつられてカタコトになってしまうのか。謎である。
彼は小首を傾げて、小袋と私を交互に見てこう訊ねてきた。
「ユルサレル?」
あ、なるほど。
人間用なら新しいのに交換するんですけど、猫のご飯なんでワンチャンこのままでいけそうですか? って訊いているのか。
「ユルサレル」
厳かに返事をして、私は再び頷いた。
彼はとてもいい笑顔で「アリガトウゴザイマス」と小袋を手渡してくれた。
別に猫のものじゃなくても、きちんと包装してあるものがちょろっと(あからさまに激しく汚れているわけではない)床に落ちたくらい、何でもない派である。
帰ってトッピングをしたカリカリを、猫たちはみんな、大喜びで食べた。