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実家での生活で『「違うこと」をしないこと』を考える

幸せな里帰り生活ではありますが、「違うこと」をしちゃってるな…と思うときがあります。

吉本ばななさんがこちらの本で「小さい頃は家族の調整役だった」と仰っていて、私もそうだなと。

HSP気質なので、意見を通すよりも共感や同調を優先してしまうんですよね。
父、母、妹、それぞれの想いも、長年一緒に生きてきたからこそよく分かるし…

たいていのアドバイスは、私のことを心配して、私のためを思って言ってくれていること。
また私を信頼しているからこそ、心の深いところにある悩みや家族に対するもどかしさを打ち明けてくる。

そのような距離の詰め方=家族ならではの特権というような考えが、うちの共通認識のようになっている。

これが息苦しいんですよね…
私が何も気にせず自分の意見を言える性格だったら良かったのですが。お互いリアルタイムで言いたいことをぶつけ合うという生活には向いていないと思うんです。

そう気づいたのはつい最近だし、このことを家族の皆に説明できる自信がなくて、私が思っていることとやってることにどんどんズレが出てきてしまっています。

『「違うこと」をしないこと』ではっとさせられたのは、
・自分の魂が感じていることを無視するのは、自分の魂に失礼。そういうスタンスでは相手の魂へのリスペクトもできなくなる。
・自分の初期設定はいつでも書き換えられる。
ということ。

子ども時代の私はたまたま調整役ができる力を持っていて、それをむしろ喜びに感じていた。これがその頃に決めた初期設定。

ただ、年月とともに皆の人生がどんどん複雑になってきて、調整役であることを苦しく思うようになってきた。
私の魂が、自分の人生を生きたいのになあと感じ始めてきた。

でも、どうしても距離を詰められると相手に流されてしまう。
とくに家族は、「こう言ったらこう言い返されるだろうな」ということがこれまでの経験から分かってしまうから。

だったら様子見で自分の心を守ったほうがいい。波風立てないほうがいい。

…という心境です。家族は私を信頼してくれているのに、私は皆をあまり信用してないんですね。それは悲しいというか不甲斐ないというか…できれば悟られたくないものです。

皆を傷つけてまで私の意見を通すというのは、私にとって「違うこと」。
かといって、心の境界線への踏み込みをこのまま許し続けるのも「違うこと」。

いまはバランスをとろうと、初期設定の微調整をしています。
家族への愛情は伝えつつ、寄り添いはほどほどにしていけるように。
話を共感しながら聴くのは得意だけど、家族から受ける相談は内容がなんとも重くて気力を消耗するので…これを我慢して続けていたら精神が削られるし、あてにされていざできなくなったときに家族は動揺するでしょう。お互いにとってよくないです。

まあ、もうすぐ娘が産まれて余裕がなくなると思うので、こんなふうに頭で考える必要もないのかもしれませんが…そのときになったら自然にできてくるというか。

でも、なんか違うなー、ズレが蓄積してストレスになってるなと思ったときに、こうして考えていることを整理するのは私にとって大事です。

吉本ばななさんの本のおかげで、こうありたいと思う地点に戻ってくることができている気がします。


出産予定日から3日過ぎましたが、娘が出てくる気配はまだありません😂
前駆陣痛は毎日あるんだけどなー…

明日は健診、何か兆候が分かればうれしいな!!

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