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アラフィフになった今の私が一番好き!!

今のはたらき方

4回目の年女まであと少し。

会社を辞めて、ゼロからのスタート。

今は仕事の幅を広げる勉強をしながら、コーチングの仕事をしている。

私のめざす未来は、『働く女性をはじめ、ダイバーシティ&インクルージョンの社会実現のため』に

微力ながら、今の社会で頑張っている人を応援する仕事。

ここに至るまでに人生の半分近くかかってしまった・・・。

1.何のためにはたらくのか?

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親の敷いたレールをほぼ走ってきた。

教員の父を持ち、父に勧められるままに理系コースを選び、

大学に進み、なんとなく地元に戻って就職。

自分が本当にやりたいことが何なのか、就職してもまだわかってなかった。

職場結婚して子どもを持った時、私の価値観に少し変化が生じた。

なぜなら、子どもが大病を患い病院への付き添いのため、退職を迫られたから。

その時初めて考えた。

「私にとっての仕事って何?」

この時の私の答えは

「社会とのつながり」

だった。

当時は今のようにネット環境が発達しておらず、

地方に住む専業主婦は、社会生活から断絶されているかのように感じたのだ。

子どもの病気が快方に転じたのを幸いに、私は仕事を継続し、

当時はまだ周りに少なかった育児しながらの共働きを選んだ。

仕事は継続したいと思ったけれど、どんな仕事をやりたいのかはまだ漠然としていた。

もちろん、仕事は会社だけでなく、家庭でもたくさんあった。

育児だけにとどまらず、家事全般も私の仕事であった。

夫は、九州男児。家に帰ると全く動かない人だった。

2.相談できる相手が欲しい!

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子どもの看病から復帰して以来、

フルタイムの共働きの女性で相談できる相手が近くにいないことが苦しかった。

幸い上司に恵まれ「県内の他の企業でそういう仲間を作ればいいじゃないか」と提案され、

私は県内で同じような悩みを抱える女性たちの異業種交流の取り組みを始めた。

「私と同じように悩む女性を作りたくない!」

今や、私を動かす気持ちはこれだった!

県内で同じように悩む女性たちが集まり、同志とも呼べる友人もできた。

県内だけに限らず、都市部の先進企業を訪問し、事例などを学ばせていただく機会もあった。

出張の際は、車で1時間かけて母に来てもらい、家事・育児全般をお願いし、

全国どこにでも出張することができた。

3.育児との両立

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出張に行くことに対して夫の理解はあったのだが、家事育児への協力はごく少なかった。

やはり私自身、母に甘えていた部分が大きかったと今、反省している。

3人子どもを生んだが、普段の家事育児全般は、母である私だった。

フルタイム勤務で会社の始業時間が早かったため、朝の時間は毎日戦争だった。

自分自身の身支度も、子どもの身支度も中途半端。

バタバタ保育園に送り込み、

子どもが小学校に上がると、朝から鍵っ子。

私の方が先に家を出ないといけなかったから。

もちろん帰ってからも鍵っ子。

小さな頃は本当に寂しかっただろうと思い、想像すると泣けてくることもたびたび・・・。

時短勤務の制度もあったのだが、

上の子の時は誰も制度を利用してなかったので、言い出せなかった。

2番目、3番目の子の時は、使うことをなぜか会社に言い出せなかった。

今でこそ思うと私は「優等生」でいたかったんだろうな・・・。

4.進まない社内へのダイバシティ

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女性活躍推進の社外との窓口業務は幸いにも私個人についたまま、

私はさまざまな部署を経験し、会社員生活は20年近くになり、数少ない女性管理職の1人となった。

私個人の女性活躍推進、いわばダイバシティへの知識や人脈は増える一方で、社内への浸透はほとんど進まなかった。

ダイバシティを社内へ浸透させる部署もなく、私はダイバシティとは無関係の部署ばかり経験させられた。

「会社は何のために、私にダイバシティを学ばせているんだろう?」

いつもどこか満たされない私。

ダイバシティをやりたいのに、踏み出せないもどかしさ。

いつの間にか私を動かす原動力は「ダイバシティ」や「女性がもっと働きやすい環境を作りたい」に変わっていた。

そしていつも「このままでいいのか。こんなとこで終わっていいのか、私。」と自問自答してきた。

希望しない与えられた環境の中で、何とかもがいていた時、

拠り所としていた私らしさを否定され、何かが壊れた・・・。

5.私のやりたいことって

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『2020年までに指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%程度』という政府目標が示されてからも、

私の会社では気の遠くなる程、高過ぎる数値目標だった。

それに向けて努力する姿勢も全く見えなかった。

管理職のため、社内では当たり前の男性らしいマネジメントを求められた。

私は「押さえつけ管理する」マネジメントではなく、

私らしく「応援しサポートしながら進める」マネジメントをしたかった。

なのに、それを否定される。

そんな日々の中で苦しみ、もがいている私がいた。

会社ではそんな私の姿は一切見せず、

家に帰って悶々と悩む日々。

「私は何のために働いているんだろう?」

毎日のように自問自答していた。

「後に続く女性たちが働きやすくなるため」

後輩たちのために、頑張ろうと思ってやってきた。

でももう限界だった。

6.コロナがきっかけとなった気づき

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地方である私の周りにも、コロナが影響してきた。

私の会社でも、対応できる部署は在宅でのテレワークが認められた。

テレワークのなんと快適なこと!

朝、学校に行く子どもを見送り、「いってらっしゃい」と「おかえり」を言うことができる!

嫌な上司もいなくて、ストレスフリー!!

隙間時間に家事もできる!

私の中にいろいろな思いが溢れてきた。

「私自身が楽しくないとダメだ!」

「私自身がやりたいことをやらなきゃダメだ!」

「私自身が潰れそうなのに、他の人を応援するなんてできない!」

「上の子はあと2年で巣立っていく」

「もう後悔したくない!」

会社のことを考えると眠れぬ夜を何度も経験し、だんだんそう思うようになった。

それから何度も話し合い、最初は反対していた夫も

私が退職し、在宅で仕事を始めることを認めてくれるようになった。

このままでは、私が潰れてしまいそうだったから。

7.私らしいはたらき方

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会社に退職の意思を伝えると、周りみんなが驚いた。

私がそんなに悩み、苦しんでいるように見えなかったから。

「まさか、今のこの恵まれた環境を捨てて退職するとは?」って笑われもした。

でも私は、自分らしさを抑えてまではたらきたくなかった。

私らしくありのままの自分を楽しめる、今のはたらき方を選んだ。

辞める前と比べ、収入は激減。

だけど人生90年。人生はまだ折り返したばかり。

私自身の専門性をより高め、コーチングを世の中に広めつつ、

社会の中で苦しんでいるママやパパの力になりたい。

私のように苦しんでいる人を1人でも多く救って、

性別など全く関係なく、自由に生きられ、イキイキとはたらける社会実現のために

私はコーチングを使いながら、はたらきかけていきたい。

それをコツコツ続けていたら、収入は後からついてくるだろう。

会社を辞めて変わったこと。

子どもとの時間が増えたこと。

そして、コーチングで学んだスキルが子どもとの会話にも大いに役立っていること。

毎日のささいな会話の中に、コーチングスキルをさりげなく使って、子どもの気持ちを掘り下げていく。

「あー、そんな風に思っていたんだね。気づいてなかったなぁ。」

とちょっと嬉しくもあり、もっと早くに気づけばよかったと少し後悔もあり。

そして私自身の想いを子どもにも夫にもきちんと伝えること。

想っているだけじゃ伝わらないんだと痛感。

子どもが巣立っていく時間まであと少し。

限られた時間、少しでも近くで子ども達を見ていたい。一緒にいたい。言いたいことを言い合いたい。

子どもが望んだからでもなく、家族のためでもなく、自分がやりたいことをしている今の生活は本当に素敵!

だから、私は今のこのはたらき方に大満足です!!

ただ、1つだけ心残りというか気がかりなのは、会社に残してきた後輩女性や部下達。

途中で放り出したように辞めてしまった私をどう思っているだろうか、不安や不満に思っていないだろうか、ということ。

辞めてからしばらくたった今、私が感じていることは、それはもう私が気にすることではなく、後輩達が考えて決めて行動していくことに他ならない。

そして会社の外からでも応援しようと思えばできるんだってことを、これから身をもって示していきたい!

最後に。

まだ口では言えてないけど、少しずつ家事育児に協力してくれるようになり、

私の新しい出発を応援してくれた夫に深く深く感謝しています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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