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北日本文学賞と樋口さん


先日、第55回北日本文学賞に応募しました。

去年の北日本文学賞は【相好】にて4次選考通過(30/1037篇)。2度目の最終選考手前での落選だったため、非常にくやしさが残りました。

とはいえ、この【相好】が僕にあたえてくれた影響は多大なものがありました。

この小説はnoteの有料記事として販売させていただきました。ありがたいことに購入してくださる方もおり、自分の文章がお金になるというのはほんとうにすばらしいことだなと実感しました。

そして購入してくださった方のなかに、小説家であり料理家である樋口直哉さんがいました。


樋口さんとは以前から相互フォローでほんのすこしばかり交流がありましたが、

まさか!!! まさか小説買うかね!!! 

と精神がおだやかであることをゆるさない。

そしてこのタイミングを逃すまいとすぐさまDMを送ります。

「ぜひお会いしたいです!!」

とお願いしたところ、即、

「いいですよ」

とのお返事をいただき。ありがたい......

そして3月の都内某所。顔をあわせた際に、

「飲食業界で文章書いてるひとってほとんどいないからおもしろいなって思ってましたよ」

と言ってくださりました。そのままさっそく小説の話になり、

「文章はよく書けていますし、終わり方もきちんとしています。でも、だからこそ惜しいんですよね」

そう言った樋口さんが手元から出してくれたのは、【相好】を印刷して、そこに赤ペンで添削を加えてくださったものでした。

群像新人賞作家であり、芥川賞候補にもなった作家が...こんなのは手が震えてしまう。こんなことをしてもらえる期待値が僕にはない......

そこから小説にまつわる話をあれこれしていたら3時間くらい経っていました。つぎ書きたい題材についてや、それを書くうえで参考になるだろう小説まで紹介していただくなど至れり尽くせり。頭があがらん。僕がんばります。


そして7月。入社予定の会社の店舗が一部廃業になり、内定をなくした僕はひとまずアルバイトにならざるを得なくなってしまいました。本来なら今年は小説執筆のペースをおとして本業に専念するつもりでいました。そのために4~5月で新作も100枚ほど執筆しました。今年はどこの賞にも送るつもりはなく、蓄積の年であることを意識していました。

ですがあるとき、

文章を書かない自分のどこにアイデンティティがあるのか?

と思いました。これはほんとうにおそろしい問いでした。自分はなにも持っていません。文章でさえまともとはいえません。そして、書こうとする意思、挑戦する意思をここで持てないとしたら、今年はそのまま腐っておわってしまうだろう。そして、最後の最後まで腐りきってしまうだろう。そう悟ったのです。

コロナによって人生の方向性はおおきく変わってしまいました。ですが、書く書かないはあくまで自分の問題です。いっしょにしてはいけません。

だから、北日本文学賞に送ることにしました。


しかし北日本文学賞は原稿用紙30枚縛り。29枚でも31枚でもいけません。30枚きっかりで作品を作り上げないといけないので、非常にシビアです。ただ書き散らすばかりでまともな推敲もできない僕には物語を30枚目で終わらせる器用さはありません。去年もかなり苦しみました。

でもやると決めたからにはやるしかありません。自分を空っぽにしないためにやるのです。


いちばん最初にやったことは樋口さんへの報告でした。北日本文学賞に向けて小説を書くので読んでいただきたいと。

こちらも即承諾のお返事をいただくことができました。ほんとうにやさしい方です。


やると報告したからにはほんとうにやるしかなくなりました。とはいえ、イチから創作するのは無理だと判断しました。そういうスイッチみたいなものが切れていることを自覚していたからです。それがつくまでにしばらく時間がかかることもなんとなくわかっていました。

だから去年に書いたボツ原稿を引っ張り出してきました。原稿用紙35枚。仙台文学賞に送る予定だった原稿です。去年の5月にはほとんど完成していたので、1年以上寝かせていたことになります。

仙台文学賞は11月締め切りだったのですが、去年のそのときは太宰治賞の執筆に追われていてこの小説の推敲どころではなく、結局出さずに終わってしまいました。出来もそれほどよくなかったのが原因です。


だから、今回はこの小説を賞に応募し、『成仏させる』というかたちできちんと向き合おうと思いました。

まず枚数オーバーの5枚をカット。これだけの作業がきつい。35枚の短編は5枚削るだけで話のいたる部分に矛盾が生じます。

自分なりに話をまとめ終え、樋口さんにPDFで送りました。

それに対する樋口さんの返答と添削はおそろしいほど的確なもので、いかに自分の小説がつたないかを思い知ることになりました。

そしていきおいで、お会いできませんか、とお願いして、その翌日にお会いすることになりました。指摘された部分を夜中に直し送信し、翌日樋口さんとお会いしました。

直接話し合うなかで、

・登場人物をひとり削る。
・導入の文章(原稿用紙3枚ほど)を削る。
・そのかわりに会話文を足し、人物を掘り下げる。

などの変更が決まり、それにともない余分な文章をがっつり削りました。残った枚数は24枚。6枚あったらまったくちがう小説になるな、などと思いながら帰宅。

残り6枚。物語の展開は決まっているものの、印象的な場面、会話文をどうしていくか。おそらくめちゃくちゃ悩むだろうなと思っていたのですが、これが案外スムーズに文章になりました。もはや余分な文章はなく、削りきったスマートな文章が完成しました。

数日後、樋口さんに完成形を送らせてもらい、

「めっちゃよくなっているではないですか」

とのお返事をいただいたときのよろこびはたぶん忘れられないだろうな。


そして先日、締め切りにだいぶよゆうを持って原稿を送ることができました。これで今年も賞レースに参加できる、よかった!

なにより、今回の小説をとおして得られたことはとても大きかったです。いちばんは推敲の仕方を理解できた感覚が得られたことです。

これまでなんとなくやってきた推敲は、ほとんど推敲の体をなしていなかったことに気がつきました。必要な文章と不要な文章。そのちがいがわかるようになりました。もちろん感覚の話であって、まだまだ見当はずれな部分は多々あると思われますが、7年やってきてやっとこの領域なのかと思うと、文章ってほんとうにむずかしいなと切実な気持ちになります。

そして、僕は自分のためにではなく、もはや樋口さんのために賞がほしい。それが樋口さんに対する恩返しになると思っています。感謝しきれません。そして今後ともよろしくお願いいたします!!!

受賞できるのがいつになるかはわかりませんが、小説を書きつづけたいと思うあらたなきっかけをみつけた日々でした。


ミチムラチヒロ

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