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Essay:選択と採用と幸福
こんばんは。今日はとても冷えましたね。
気持ち的に負担の多い日々が続いている方がとても多いかと思います。
一つ一つの重みのある事柄は、その時その時でしっかりとしまう場所を決め、新しい毎日を迎えていきたいですね。
さて。
「リスタートを切るのであれば、なるべく早く切らせろ。」
よく耳にする言葉です。
昇り詰めるタイプの方がある程度のところまで行くと、さまざまな自論や持論を打ち出して生きているのだなぁと感じる昨今。
その中で私自身が自身に採用(受容)させたmottoのひとつが上記の言葉です。
これは挑戦や仕切り直し、方向転換や変化変容を行うためには年齢が必須条件である。ということではありません。
何事も生物としての身体的年齢が若ければ=成功率が高い、負荷や負担が少なく済む、しあわせが手に入りやすい、というわけでもありません。
ではなぜリスタートが早い方が良いのか。
私なりの今時点での考えでは
「自分の芯が侵され、自身の譲れないものが回帰不能になるまでそこにしがみつくな。(その前に)一刻も早く切り替えてリスタートを切りなさい(=切り替えて自分が求めるものを構築しなさい)。」
こんなところじゃないかなと考えています。
ここでの私なりの解釈からpointを抽出すると
A:自身の先天的な感覚(心地よいと感じるもの)が圧迫され、それにより自身のこころや気持ちが歪曲した時、その人は極端に幸せから遠ざかり、回帰不能になる場合がある。
B:我慢忍耐の必要な場面でも、自身の感覚に従った方が良い・従うべき時が存在し、その場合はリスタートを切ることが改善に繋がりやすい。また、その場合はAを意識し、その結果からリスタートは早い方が良い。
この2点かなぁと考えています。
物事って、結局その決断や行動がどうなのか(良い、悪い。有効、無効。等)って、その人がその時点でどう感じ判断しているかでどんな色にでも変わるんですよね。
それを前提にすると、AとBもまた考えようによっては別の訴えを持つ回答を生み出せるわけです。
A→別の視点でのA:自身の先天的な感覚(心地よいと感じるもの)が圧迫され、それにより自身のこころや気持ちが歪曲した時、自身のしあわせの定義を変化させることができればその状況下でもしあわせは継続し、むしろより強固なものへと成長していく。
B→別の視点でのB:我慢忍耐の必要な場面で、自身の感覚・従うべき時として受け止め、その場合は転換ではなく自身がその空間や環境等に染まれ。そしてスタートは既にこの環境で切っているためリスタートではなく走り続けることに集中せよ。
とかね。
よくわからない想いの羅列になっていますが、ここで私が伝えたいことはリスタートの意味も、今現在未来過去の物事への感じ方受け止め方も、結局自分自身の価値観や、価値観として採用している自身の考え方(眼鏡、思想)によりますよ。ってことなんですよね。
で、冒頭のAとBを採用している私からすると、ある人の放った「リスタートを切るのであれば、なるべく早く切らせろ。」は、「自分の芯が侵され、自身の譲れないものが回帰不能になるまでそこにしがみつくな。(その前に)一刻も早く切り替えてリスタートを切りなさい(=自分が求めるものを構築しなさい)。」になる訳です。
ここをもう少しわかりにくい表現を貫きながら述べると、私の文章の中にある
◎自分の芯が侵され
◎譲れないもの
◎しがみつくな
◎自分が求めるものを構築しなさい
ここらへんを見れば、どんな価値観を自身が採用したことでひとつの訴えをその様に解釈しているのかが、うっすら見えてきます。
で、それが成り立つためのキーは
★どんな価値観を自身が採用したことで
ここなんですよね。ココ。
常にどんな場面でも必要となってくるのは、つまるところこの★要素なんだと思うのです。AなのかBなのかではなく、もっと広い意味を持つ訳です。
で、この★を念頭に置いておくと、傍から見ても自身から見ても相当な損失・失敗というネガティブに捉えられることって、シンプルに片づけられるので悩んだりしなくなってくるわけですよ。
そもそも損もしてないし得もしてないし、あるがままだなぁ。って。
★によって今時点の結果があり、またその結果でさえ先々採用する★次第で良い結果ともなり得る(捉えられる、採用できる)し、その逆もあり得る。
であれば、いちいち一喜一憂してると、自身に振り回される人生の時間が増えていくだけなんですよね。
自身が後ろ髪をひかれる形でその物事を保存・完成させるのか、あの時のあれが成功の種だったと捉えられるのか決めれちゃうわけです。
簡単ですね。
そしてここで冒頭の内容に突然遡ると、リスタートを切るか否かや、切るなら早く切る!ということの意味合いだって自分で決めれちゃうわけで。
切らない理由(継続の選択)をとるのであればそこに対して自分で存在価値を付加すれば良い。
無駄だと思える何かにだって、成功の種は多分に含まれている。
そこを採用するか、自身の感覚に沿ってリスタートを切り別の種を採用するのか。
そんなとこじゃないのかなぁ、人生って。
しあわせになろうと思えば現在持っているものだけでしあわせになれるのが、人間のしあわせなところであると、私は思うのですよね。
で、感性を信じるかどうかって、その人のタイプにもよるし。
私は自身の感覚に沿ってぶっちぎるタイプなので、あ、違う。って思ったら短期間で深いところまで潜って悩んで
「違うものはちがーう」
と平均の何倍速ものスピードで地平線まで上がってくるタイプです。
結局自分の感覚を信じられるってことです。
そういうタイプの方は、感性に従っても良いだろうし
後々窮地(と、その時点では捉えている)に陥っても、まぁいっか。で済むと思うのです。
無駄って存在しないしね。
そんなことを唐突に書きなぐりたくなった冬の入り口。
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