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CASE9:乾いた風にのせて

ーあたたかな心と共に歩く彼女と、乾いた秋の風が美しいー


彼女は一人で歩いていた。

田舎ではあるが、人口がそこそこでそれなりに住みよいその街を。

いつも訪れる公園には、100m程の銀杏並木がまっすぐに続いている。

彼女の足元から延びる葉の煌めきは、乾いてひんやりしている空気を伝って空へ拡がっていくいくようだ。

今、彼女のこころは晴れやかだ。


足元は数年前に自分へのご褒美と称して購入した、社会人になってから初めての値の張るブーツがお伴している。…値が張ると言っても、セールで購入した1万円弱のものである。30年前であれば、今の働き方と年齢からすれば3倍ほどの値段がするものを購入できていたのかもしれない。彼女は社会人10年目だ。専門職でそれなりのキャリアを積み上げてきた。

(私のお気に入り。秋が来ればまた会える。とっておきの大好き。)

彼女はブランド物でもないその地味なブーツをとても大切にしていた。

ブーツ購入当時。正社員が当たり前の職場から畑違いの分野に身を移し、派遣社員という雇用形態で働き始めた彼女は、ありえない程の環境で四面楚歌のような状況に陥っていた。


二人きりを狙ってセクシャルハラスメントを定期的に行ってくる役職者たち。

二人きりを狙って陰湿で攻撃的な嫌がらせをしてくる労務担当者。

そんな訳の分からない人たちに巻かれに巻かれ癒着した挙句、妄想的解釈に溢れ言葉のキャッチボールが不可解な言動にまみれた高圧的な先輩。

指揮命令もとれない上司は馬鹿にされることを恐れ、全く関係のない彼女に自身の業務を押し付けてくる。

唯一善良寄りな人柄かと思っていた他所からやってくる専門職者も、結局二人きりになると環境因子に流され性的な言葉をぶつけてくる。

この状況のおまけときたら「あんたみたいなブスでデブが?自意識過剰過ぎない?」と言わんばかりの嫉妬を捨てきれないover40&50の女性たち。見た目や地位で異性の魅力をはかってきた部類の女たちだろう。彼女たちこそ、見た目はそれなりなのに、誠に残念である。


彼女はとても俯瞰的で冷静で、おまけに正義心が強かった。

(色眼鏡で見てはいけない。)

毎回、人と会うたびにこころの中で一人、そう唱えていた。

同時に、とても素直でだまされやすい彼女は、常に人を疑ってかかっていた。元々とてもあたたかく思い遣りに溢れた彼女のこころは、めっきり疲れ果てていた。


よくわからない最近の日常に揉まれつつ、今足元にあるお気に入りのブーツは彼女の気苦労を労うかのように、銀杏の絨毯の上を軽やかに歩かせてくれた。

ブーツは彼女がクリームで色付けし直し、綿の布で丁寧に磨き上げただけあってとてもしっとりとした穏やかな黒色で息づいていた。

光の当たり具合で箔のかかったように煌めく橙がやや混じった黄色の銀杏の葉は、黒い革ブーツと絶妙な組み合わせだ。甘すぎない、大人の組み合わせ。

「さくっ。さくっ。」

歩くたびに形を変えて音を奏でる銀杏の葉。

軽やかなその音に合わせて、たれ目の彼女は更に目じりを垂らし、口角を上げながら歯をのぞかせながら笑う。

「私は、負けない。卑屈で妬み深い人間たちには、負けない。」

彼女は独りで呟いた。

瞬間、大きく風が吹く。絨毯の葉たちは空へと軽やかに舞い踊る。

より大きく口を開けて笑った彼女は、景色の容貌をひっくり返した目の前の風景に、全身を委ねた。

眼前には視界いっぱいの銀杏のカーテン。

空の薄いブルーと白いいわし雲、そして銀杏で彩られた自然と感性の季節のカーテン。


彼女の瞳は少し透明感を取り戻し、ビー玉のようにきらきらと輝いた。


彼女はそれらを抱きしめた。両手を広げたまま、力強く抱きしめた。


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