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#97結婚証明は参加者がする脱宗教の二人のアレンジした結婚式の新機軸
結婚式は従来、宗教がからむし、一番多いのはなんでかキリスト教の形式が通常だと思っていたら、これはもう過去の話しらしい。
先日ある結婚式に参列した。そこは教会でもなく宗教性はなく結婚セレモニー専用の会場。
式は司会者が統括して、式を挙げる新郎新婦の二人で考えた音楽とビデオと進行という内容。ある程度はキリスト式で西洋的な宗教モデルに準拠しているけど、参列した人が拍手で2人の婚約を確認するという。神の前に神父が契約を認めるという様式ではない。
音楽はリアルなバイオリン・フルート・オルガンの演奏。
こういうのは、人面結婚式というらしい。周囲にみとめられるということだから、それは意味があるのだろう。神の前の誓いだって破られるのだから。
ここまでの脱宗教もすごい。
自分らで自分らの式をあげるという世代の感覚に仰天とともに納得もした。もはやややこしいしがらみはいらないということなんだろう。神は死んだんだろうね、とニーチェに呟きたくなる。だって二人が納得してない結婚式では困るし。
ただご二人の名前と共にご両家付け加わり、それぞれに紹介があるところなどは和洋折衷のいいとこどりではある。
いいかえると、そこまで宗教性が否定されるような宗教しか巷にはない、ということでもある。西洋キリストの世界の信仰の自由とは、当初、本来は、何を信仰してもいいじゃないか、だった。信仰しない自由という意味が当初もちあわせてなかったはずである。
信じられるのは当の2人でもよい時代となった。
披露宴もエンターテイメントされていて、参加者をおもてなししてくれる内容がプログラムされもてあます時間は皆無。新緑を背景にしたテラスにディナースタイルの食事もあり、花束・お色直し・ケーキ入刀。時間内に終了した。
こちらとしては、料理も多くなくてほどほどでちょうどよかった。運転するからお酒も飲まない。ききたくもないカラオケらしきものもない。形式ばらないという別形式にこんなものもあるのか、と感じ入った。
で、じつはあともう一回、おそらくこのような結婚式にでることになっている。Z世代の式とはいかなるものか。やや憂鬱でもあるが、見納めということで出席することになる。
さて人生のイベントといえばもう一つの死の儀式がある。葬儀。これはなぜか仏教形式が多い。しかしそのお経の意味も分からず戒名もわからないのに儀式のみ進行するのに疑問もある。こうなると、自分の葬儀も自分で決めることになるのだろうか。
たしかにお葬式も、お墓も、自分の考えでやっていい時代。ただ問題は、その葬式の主人公はもはや死人に口なしだから、結局のこされた家族がやるしかない。どういうのがいいのか、自分で生きているうちに決めていくことになるんだろうか。
生前葬儀もあるし、これはやっておいてほうがいいかもしれない。いいたいことも言えるし。飯も食える。死んでから金をかけてもしょうがないから。
坂本九が日航墜落事故でなくなったとき、もっとはやくに生前にやってあげればよかった、と黒柳徹子と永六輔は思ったらしい。というのは、二人は、水之江滝子の生前葬儀をやっていた経験があったから。いろんなありがたいお経や音楽あっけて好きな音楽きけて、お世話になっていたひと声をかける。あるいは一声もかけてもらう。
ちなみに個人的にはカトリック教会で信者さんにお世話になって式をあげた。20人ほどの信者さんの小さな木造教会。その牧師さんはいまは北海道にうつってしまった。オルガンを知人の音楽教師に弾いてもらい、司会を体育の先生に、仲人は父の入院もあり叔父夫婦と今は亡き臨床検査技師夫妻。急遽の式に東京から叔母もきてくれた。写真にうつる親族の多くは鬼籍にはいった。
こうなると、自分としては、離婚はないと思う。
あとは葬儀か。考えます。