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#66 季節は新幹線 あまりの速度についていけてない

この夏は異常に暑かった。屋上屋根で一日一時間ほど、ダラダラ2か月ちかく、防水加工の作業をしてたのだが、さすがにその疲れが最近でてきてた気がしないでもない。

私が子供のころは、せいぜい夏の気温は30度である。スイカも食ったし、プールもしたし、甘いトマトとキュウリの漬物を賞味する夏である。

それがどうだ、37度か40度とか。経済のごたごた、教育のごちゃごちゃ、紛争と戦争をやっている場合だろうか。

漁夫の利がある。いまに例えると、争っている人間が、あれあれ?地球という漁夫にやられてしまうのがおちではないか?

国連は地球沸騰といっている。こわれているのである。地球がではない。人間の思考が、である。人間もそもそも自然の一部だというのは、気候や災害を科学的に調整できなことからも明らかである。

そういえば地震も起こりそうな予兆がある。9月の中旬に地元FMラジオの開局9周年であった。特番をやるという。開局理由は地元の災害ラジオのポジションである。そこでヒントを得てというか、豪雨災害のあった地域で学校勤務していた当時の私、と、当時の生徒会長していた女性とで、被災した友達や家屋、学校生活について30分ほど語っては?という提案をした。

提案はあっさり通過し、当日のスタジオで機器操作を適当にしつつ音楽もいれて、二人で当時の様子を語った。局の一人から、初めてとは思えない安心して聴いてられた、と賛辞?を受けた。まあ、授業のノウハウと相手の女性(教え子なのだが)が聡明であったからだろう。

災害は忘れたことにやってくる、とは寺田寅彦先生のお言葉。こうもおっしゃる。「戦争は回避できても地震災害は回避不能」(あくまで意味訳)。その戦争すら回避できない人間では、どうしようもない。

どうも人間が劣後している。困ってないし悩みもしないし、現実に向きあっていない。現実というのは不合理で不条理である。それに向き合うだけの合理性・論理性。ないより情熱がいる。

つまりは生まれたとたんにぶつかる面倒くさい問題を、うまく回避するのが教育だとかんちがいしている。面倒なことは避けるが勝ち、と思っている。テストも授業の効率重視の方法が盛んだ。

たしかに、人生に面倒は多い。面倒見がよいというのは、面倒を見る観点がが身について、その面倒の本質を知っているということである。面倒は他者にほどこすものではなく、自分が抱えるものだ。心底黙って抱えるうちに面倒の意味が変わってくる。情けは人の為ならず。

さて、季節は秋で朝夕寒くなってきたし、畑の白菜や大根の葉も順調に育っている。それにしても、季節は突然すぎるほどに気候変動が激しい。ゆっくり風の音に驚いている暇がない。新幹線か?

季節が新幹線になってしまって、普通列車に乗る自分としてはなんとなくものたりないまま秋をむかえている。自然がだんだん面倒なことになっているのだ。面倒見てほしいといっている。


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