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#94【世の中と世間と社会が一緒こたになった日本に生きる方法】

日々生活するとストレスや軋轢がある。そのことについてのお話。「智に働けば角が立つ・・・云々」と漱石がいう。まさに日本人の生き方の問題ではないか。

世の中も世間も世界も英語ではすべてworldと表現される。しかし社会だけはsocietyという。では、英語でsocietyとはどういう意味なのか。あるいは、日本語の世の中と世間はどう違うのか。どういう認識で日本人のわれわれはそれを使い分けているのか?

なぜこうしたことをいうのかというのかとうと、実際に生活してみると自分の思っていないような小さいトラブルがあってそれがストレスになる。それはほぼ人間関係である。その原因の一つは人間の集まりである集団の命名において、個々人の認識がことなっていることに気づく。あるときは会社で社会人であり、飲み会では世間話をする。世の中の動きというとなんとなく空気と気配を感じる。

もともと、日本には社会はなかった。社会と訳したのは明治初期。日本には英語を漢文の素養から意訳しているものが多い。中江兆民の「民約」というのもそうだ。意訳であってもそもそも日本にはそのもののの実態がないから、意味に応じて後で実態を作ることになる。似非実態にしろ。それは外来生物のようなもので日本古来の生物の亜種のようなもの。そういえば、清の末期を見聞した確か植木枝盛だったか、清には社会がない、と書いていた気がする。つまり西洋の言う社会ではないということだ。

原典のルソー「社会契約論」に根拠を求めるなら、社会とは個人が契約によって成立する集団ということになる。個人が独立して扱われる。世の中とか世間とかいうのは、人間集団の概念が違う。そこには社会がない。それに気づくと日本という国が複層で構成されていることがわかる。

そういえば、以前カナル君が「この国は好きだけど日本は嫌い」という表現をした。郷土や山紫水明の国土とそこに生活する人々の民俗学的な生き方としての国。一方、政治的な行政政治組織として日本。そこに差異を感じるということだろう。いうまでもなく、今の日本は国家が優先される民主国家である。一方で日常生活がある。

世の中と世間では独立した個人はない。人との契約以上に社会通念と慣習がある。仮に個人に目ざめたとする。おそらく集団から排斥されるか既存集団を忌避して生きていくか反乱をおこすことになる。漱石の「私の個人主義」はそこに原点がる。また、江戸末期封建社会の地方下級武士は幕府に忍従していたから、その反動で幕末に反乱をおこし、その結果、明治という、社会をつくる。

反乱でいうなら最大のものは革命である。マルクスは歴史を階級闘争の歴史といったけれど、それは個人が自分の生き方を模索し自分らしい生きかたを闘争することから始まる。個人の闘争を組織化したものが革命である。人の内部にはいつも小さな革命がある。それを言語化して構成して伝達して共感をえて行動化すれば革命がおこる。

個人の内部の革命?それはXでの呟きでもある。呟きの一端から革命になることもある。もっとも下劣な革命は炎上というやつである。呟くとは自分の内部の声を外化することである。外にだすと誰かは聞いているかもしれない。音声であれ文字であれ、匿名性のある個人がこれほ呟くことがこれほど自由で氾濫した時代はあっただろうか。しかも無責任に。このnoteもそう。

世の{中}、世{間}とあるように、そこには、【In、relation】という意味合いがある。そこには何らかの関係性であり、それを察知しつつ生きていく集団規範がある。それが行き過ぎると封建的とかいわれに。封建的な部分が近代にもあってそれは曖昧のまま残っているし曖昧がよいとする集団規範がある。要は変化を嫌うというものである。

曖昧をよしとするとき、問題解決の選択肢にグラデ―ションがあることに気づく。最大のグラデーションは時間である。時間が解決する。だから間延びした議論がなんとなく結論不明確のままに継続する。最大の悲劇は太平洋戦争の末期の状況だろう。あるいは江戸末期のペリー来航と開国の混乱である。いずれも相手は社会を形成した米国である。お米を食べないでパンを食べるのに米国とは此れ如何に。その米国のペリーは契約のない日本という世の中に契約を持ちこむ。日米和親条約。おそらく幕府には契約という観念は欠落していたのだろう。

会議にでると問題の解決よりもだらしなく話してなんとなく決めていることがある。しかも決めているにもかかわらずそれはのちに各自勝手に変更・解釈されてそのうち換骨奪胎されて慣行となって世の中と世間に収斂していく。こういうのが玉虫色という文書。マジックワードである。

時間の間延びはいわば、成すにかませるというやり方。その曖昧な時間は休息でもあるし寄り道でもあるつまらない談話でもあり、ため息でもある。やれやれ、こんなもんというあきらめの境地を理解したら大人だ、という人もいる。それをポジティブにとらえるかネガティブにとらえるかは人それぞれになる。それでいいのが世の中であり世間だ。それで困るのは社会だ。この2つの対立をどう転換統合するかが今の時代の課題だ。もはや生活は巨大なネット会社に覆われている以上、世の中と世間だけでは生きていけない。

社会は個人が判断し契約し法令に従い政府をつくる主体的一般的抽象的人間を想定する、それゆえその人間はひょっとして他にも代替可能である。AIだ。その方が正し判断ができている可能性がある。その場合の正しいとは社会にとってであって、世の中と世間とにとってではない。だからその正しさに何かしらの違和感を覚えるかもしれない。そうはいっても・・という。

こうなると社会に生きる私は世の中と世間の処世を身に着けなけなくてはならない。愛想よくあいさつし経営に一刀両断をくだし、丸く収めて実を採る。そういう自分に統合することが求められる。下手すると鬱になりそうだ。

日本語の用法として歴史的時間軸でみるなら、世の中・世間・社会の順序性がある。世の中については、731年といわれる山上憶良の貧窮問答歌。世間は1642年の井原西鶴の世間胸算用。社会は明治8年、1875年の東京日日新聞。

つまり、それぞれの時代ごとに日本人は世界を使い分けていたということになる。この重層構造のなかで生活しているという認識があると割合と気楽にできる。そうなんだよね、という感じ。だから無理して社会変えようというのは相当に難題である。3つの関わりを調整しなくてはならない。面倒くさい。面倒くさいから3つはいまだにバルカン半島状態で日常に鎮座している。