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今さら気づいた日本の学校教育の素晴らしさ

海外に出ると日本の素晴らしさに気付きます。やはり物事一度失ってみないと、ほんとの価値はわからないものです。親元を離れて初めて親の有り難みに気付くとか、病気になって健康の有り難みに気付くとかそういうものとおんなじ構図。当たり前だと思っていると有り難みって本当にわからないんですね。

ずっと憧れていたカリフォルニアに家族で短期間住む機会を得たことがあります。毎日環境の素晴らしさに感動して過ごしてましたが、知り合った看護師さんに大自然が、とか人々のマインドが、とか教育環境の素晴らしさがとかの感動を力説してみたところ、ふーん、私はここしか知らないからよくわからないわ、と返されました。印象的な場面でした。

今の日本に、なんとなくもう日本はだめだだめだと言い合う風潮がありますけど、皆な、一旦途上国に滞在してみればわかると思う。実は気付いてないだけで、日本って感動的に素晴らしい国なんだって。勿論改善点も同時に見つかると思いますけど。でもでも素晴らしい国。

特にもし日本で鬱病になるほど辛くて悩んでいる人、社会がイヤで不本意に引きこもっている人(好きで引きこもっているならそれは別に良い)、途上国に住む体験は、効きますよ。旅行だけじゃわかりませんよ。旅行じゃだめです。なんというか生きる意味が濃くなるというか、なんでもやってみよう、と思わせる効果があると思います。ローカルの特にある一定上の年齢の人たち、色々足りない残念で過酷な環境に囲まれつつも、それを笑い飛ばして前を向いてたくましく生きてる人多い。そういう人たちに会うと、日本に日本人として生まれただけで自分がいかに恵まれているか、日本の生活が実は以下にイージーなのかということが身に沁みると思う。私がそうでした。一度すべて失うために、有り難みを実感するために途上国に来る運命だったんだと、今は思ってます。

日本の教育も、昔は当たり前だと思っていたけど、本当に素晴らしいと思います。当たり前のはずのことが与えられないストレスを、子どもの通うローカル校でずっと感じていました。もう十分過酷さを見たので、別の学校に転校させました。(ローカルには当たり前の環境が日本人には、足りなくて足りなくて、辛いんです)

マレーシア、割とぱっと見た感じ、発展してます。首都は少し先進国?のようにも見えます。英語もバンバン通じるしおしゃれな都会です。新しいサービスも豊富。なーんでもある。

それなのに公立小学校では、以下の現実が待ち受けていました。貧富の差があるから。イヤなら私立かインターかホームスクール行かせなさいという話です。

先生に日本人のような責任感、無し。皆無ですよ!教え方がどうとかのレベルじゃないです。授業に先生が来ない!!!!!!!!!!!!!!!! 理由の開示一切なし!!!!!!!!!!!!!!!!いわゆるNo Showというやつです。現れないんです。自主的に自習という名のただのカオス。これ物凄く頻繁にありました。知識に問題がある人も。

カリキュラムに問題がある。教科書が終わらない。教科書の内容や設問設定自体が、明らかにおかしい。知識の詰め込み型。

設備がとにかくない。理科室、体育、図工、音楽など、ほぼ何もありません。あっても使い方のわからない先生ばかりです。もちろん体育館もプールもありません。年中蒸し暑いのにエアコンどころか天井扇風機もなく、保護者がお金を出し合って扇風機を買い足しました。

衛生面。まずもってトイレに石鹸がない。他は推して知るべし。食堂は、コロナの前は子どもが押し掛け、押し合い圧し合い状態が常態でした。マスクや咳エチケットなどなく、様々な風邪が流行る。なんと一部の1年生女子にシラミ!が流行り、髪の毛は短くカット。あり得ない。第二次世界大戦の戦中じゃないですよ。21世紀、令和でこれですよ。

今ではコロナでマスク必須やソーシャルディスタンスと言われ、皮肉にも環境はマシになったようです。

他にもまだまだ言いたいことはあります。その昔は教諭の給料が低く、教師が副業として有料の補習クラスや自宅で塾など開くのは普通だったそうです。生徒の成績が教師自身の成績(や昇進や給与)に連動するため、成績の良い子を明らかな優遇。そして一年の学期の最終テストが終わって結果がでると、それ以降はいくら教えても自分の身になりませんから、もう自分に関係ない、とばかりにさっさと貸与の教科書を回収します。そこから約ひと月は、なんと学校に行っても授業一切なし。自習という名の一ヶ月のカオス。なのに外で自由に遊んだり運動する事は許されず教室に閉じ込められたままという。意味わからない。信じられますか?誰でもわかること、時間の無駄だと思いませんか?もちろんわざと休ませる親も結構います。一ヶ月間、さっさと旅行に行ったり田舎に里帰りする教員もわんさか。

他にもまだまだ勿論あります。本当に、昭和の頃の私の日本の地方の公立校でもこんなレベルあり得ません。教師は、社会的ステータスとお給料を得るためになる職業のようです。子供の成績を保ちたい場合は、家で親が教えるまたは塾や家庭教師に頼るんです。公立校の教師や学校に期待してはいけません。


では、良い所も書いておきます。

多民族国家なので複数言語が割とすんなり習えるし身につく。授業料が安い。以上。


最後に、日本とは違っていて、良い悪いではなく興味深かった点を書いて、終わります。

テスト史上主義。公立なのに1年生の初日に試験があり、順位が出ます。点数順のクラス分けです。勿論成績が良い子優遇なので、下のクラスの先生のやる気の無さは推して知るべし。

成績史上主義。年度末に盛大な一日かけた表彰式があります。各科目、冊子に順位が出ます。小1でこんなの、意味ありますか?(今は小3から)成績の悪い子はハナから呼ばれません。


最後になりましたが、

これは私の実際に見た学校生活であり、聞いただけのものではアリマセン。ただし、私自身の見方であり私的な感じ方です。もっと良い点もあるかも知れません。

過酷な環境の中で、欲しいものがあれば自力で身につけ手に入れるしかない、という教訓が得られる社会の理不尽さを子供の頃から実感できる修行の場所にはなっていると思います。

もし、日本語のできるマレーシアの方がこれを読まれて不快に思われたらごめんなさい。悪口ではありません。ただ日本からやって来たおばさんにはこのように見えた、とかかせていただきました。。


タイトルの日本の教育の素晴らしさについては、上に書いたここの現実とあなたが日本で受けた教育を比べてみて頂ければ、自ずと身に沁みてご実感頂けると思います。

私を教えてくださったあの先生、この先生、悪い態度の生徒で眠そうにしたこともありました。ごめんなさい。子どもに真摯に向き合い、熱心にひとりの人間の心身両面を、長い時間かけて育ててくださった私のすべての恩師の先生方、そして日本全国の全教師の皆さん、あなた方に心から感謝します。日本の教育と教育者は素晴らしいです。涙。大げさね。でも涙。

最後までお読み頂きありがとうございました。


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