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梅が咲き始めた頃に

夫が今日、勤続30年のお祝いの席に出席します。

父親が遺したカシミアのコートを着て、付き合い始めた頃に私が初めてプレゼントしたネクタイを締めて出かけて行きました。

コートは肩が少し大きすぎるし、真冬ならまだしも温暖な静岡ではちょっと季節的にどうかなと思うし、
ネクタイはもはや、やや毛羽が立っている。

昨晩あれこれ意見を求められたので、やんわりと言いたいことは言わせてもらって(笑)...
(それでも着て行きたいんだなあ…)と、彼の姿を眺めてました。

私たちは趣味のアウトドアの活動で知り合い、それからかれこれ20年以上の付き合いになります。

結婚したわけですから、ある意味今世での修行の同志であり、魂の昔から何かしらご縁があった方のひとりなんだろうな、と思っています。

知り合ってしばらく経った頃、まだ付き合う前のことでした。

アウトドア仲間が「〇〇(夫)は仕事の世界しか知らない」って、私に言いました。
そう言ってきた当人は、過去に世界中を1人で渡り歩き、危険な場面を乗り越え、山のこと、海のことも熟知していて、どうすれば生き延びられるか、どうすれば食べていけるのか、理論だけではなくそれを地でやってる逞しい方です。

私は、(確かにそうかもしれない)と心の中で思いながらも、とても嫌な気持ちになりました。そして怒りを感じている事に気付きました。

(どうして私はイライラするんだろう)と内観していました。
そしてしばらくたって、「”仕事の世界しか知らない” 私はそんな風に彼のことを思っていない」と、まるで大切なものを卑下されたかのように思って腹が立ったのだ、ということがわかりました。

心や魂の世界を知るようになって、
日常的にその世界を意識しながら暮らすようになった今、

あの頃の私がなぜ、その言葉に怒りを感じたのか、もう少し踏み込んで理解することができています。
(このまま言葉に綴るには膨大なエネルギーが必要ですので割愛します…)


”怒りの感情は、自分の本質を知る指標となる”

そんな風に今の私は捉えています。

怒りを感じた時はチャンスなのです。


ただし、本質に気づくことは、場合によっては恐ろしいものです。
変化の糸口となるからです。だから、目をそらそうとします。

それでも諦めず、「本質」は、“気づいて欲しい”と
私たちに行動や言動を使って体験させて感情を揺さぶり、三次元の世界で見えるようにアプローチしてきます。「見えるように」というのは、人間は兎角、見えるものしか信じられないからです。

本質に気づけば、生きやすくなります。

魂はそのことを知っています。

だから何度も何度もアプローチをしてきます。

目の前のできごとは、本質を知るための宝ものなのです。


さて、今夜は地元のお魚屋さんでお刺身買ってきて、お寿司ごはんにするつもりです。

いってきます。



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