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父を看取りました

3月15日
大好きな父が天国に旅立ちました。

「大好きな」と表現することができるので、なんか良かったなと思います。
表現するの難しいのですが、「大好きな」と言える、思えることに、私と父の関係性やたくさんの思い出、感謝が詰まっているのです。
「大好きな」と言える自分で良かった。
伝わりにくいと思うけど、ただそれだけなのです。


父は今年になって、急にガタガタと体調が悪くなり、なんだかあっという間に行ってしまいました。
病院に入院することになった時、すでに状態は良くなく、父が私達に気持ちの整理をつけるための時間を残してくれたんだなと思っています。

亡くなったことはもちろん悲しいし、寂しい。
けれど、私は父が残してくれたこの最期の時間に、「父が死ぬ」ということの覚悟を持ちながら、娘としてやれることはやったな、と思える時間の使い方ができたので、「悔い」はあまり感じていません。

ただ、覚悟をしてはいても、自分の親が死ぬということは、私の中で『第一幕が終わった感じ』であり、想像していたよりも感情が大きく揺さぶられるものでした。
そして自分の【死生観】が大きく変わりました。
それと、すごく変なタイミングですが、父の死を通して、私がずっとモヤモヤ抱えていたものがストンと腑に落ちるという経験もしました。

父は、死をもってしても、最期まで私に教えを遺してくれた。

父は、最期は病気で苦しかったと思うけど、臨終の際に私と母が父にかけた言葉は、

「楽しかったね」
「幸せだったよ」
「ありがとう」

でした。
それが父の人生の総てだと思います。


これから、父と最期の日々を記録しながら、知っているようで知らない、だけど必ず誰もが避けて通れない「死ぬこと」について、綴っていこうと思います。

親の介護
死生観
介護施設
親の看取り
相続
お墓
母のフォロー
亡くなってからが遺族は大変


などなど、
よく聞く言葉だけど現実どんなんか想像もつかない、みたいなことを、私は書き残しておこうと決めました。
なぜって、大変だったからです。
まだ渦中ですが。
家族のプライバシーもあるので全てをここに書くことはできないけれど、【死ぬ】ということについて、ちゃんと考えておいた方がいいよ、と思うので、問題提起ですね。

私たちは、死に向かって生きています。
私は幸せな死を迎えたいので、そのために満足した残りの人生を生き抜きたい。

どんな人生だったかは死顔に表れるな、と、父を見て思った。
いや、実際は父に聞いてみないとわからないけれど、でも、微笑んだような顔をしていた父の人生は決して悪くなかったのだろう。

そして、周りの人からどういう言葉をかけられるか。
これもけっこう重要だな、と思った。
これは評価とは違う。
この、他人からの言葉がけは、遺族にとって重要なのだ。

「やりたいことやって、それなりに楽しい、いい人生だったんじゃない。」
と言われた父。
「苦労ばかりで大変だったよね。ようやく解放されたね。」
と言われるより、よっぽどいいのだ。
「そうか。父はいい人生だったのか。それなら良かったよね。」
と思えることの方が、私にとっては嬉しかったし、私が知らない時代の父を知っている人からそういう風に言われるということは、私だけの独りよがりな慰めではなく、父の人生はいい人生だったんだな、と思うことができた。

父は生き切った。
もうちょっと長く生きたかったとは思うけど、概ね満足。

きっとそういう人生だった。


それは、私の理想の生き方、死に方となりました。


みんな「生き方」は考えるよね。 
でも「死に方」は考えないし、語られることも少ない。
怖いし、考えたくないもんね。
でも、どういう最期を迎えたいかを真剣に考えることで、自分にしかわからない「幸せな生き方」が見えると思うんだよ。
情報過多な時代だけど、情報や他人はそれは教えてくれないよ。
掘って掘って、自分の中から見つけるんだよ。
私は今はそれを考えたいし、それを伝えていきたいなと思っています。


ここまで読んでくれてありがとう。


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