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まずはじめに -自己紹介-

まずはじめに自己紹介させて頂きたいと思います。

藤川迪子
ウィーン在住9年。
兵庫県西宮市出身。神戸女学院中高部卒業後、東京音楽大学声楽演奏家コース、同大学院オペラ科を給費奨学生で卒業。第80回読売新人演奏会、チョン・ミョンフン指揮「リゴレット」(演奏会形式)を始めとし、在学中数々の演奏会に出演。その後ウィーン国立音楽大学大学院オペラ科(MDW)、ウィーン市立音楽芸術大学(MUK)オペレッタ科に在籍時も、シェーンブルン宮殿室内歌劇場のドイツ、スイス、オーストリア国内公演に伯爵夫人(フィガロの結婚)、フィオルディリージ(コジ・ファン・トゥッテ)として参加するなど、数々の公演に出演。現在はオーストリア人の夫との間に2女をもうけ、指導活動や育児に邁進中。

と公式にお堅く書くならこうなのですが、現在の私自身を端的にまとめると2つの側面があり、1つは

輝かしい学生・留学時代を送ったが、継続的な仕事に結びつかなかった副業ソプラノ歌手

もう一つは、

海外でもう一つの家族に出会い、家庭を持ち、結婚生活や子育て、仕事を通して、幸せを感じながらウィーンで「生活」している日本で生まれ育った人

です。

自分で輝かしいと書くのはどうかとも思ったのですが、今思い返すとやはり当時の私は相当ラッキーで恵まれていたと思います。今後詳しく書いていく事になると思いますが、ウィーン国立音楽大学時代もほぼ主役級の役で沢山の公演に出演させて頂きました。同じオーディションを受けた当時の共演者達が現在ウィーン国立歌劇場ベルリン国立歌劇場ケルンフランクフルトリンツ歌劇場等でソロとして専属契約を結んでいる状況を垣間見ても、あれだけの経験をさせて頂けたのはラッキーだったとしか思えません。(書ききれないほど本当に皆活躍しています!!!)

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*コジ・ファン・トゥッテ(フィオルディリージ役)

ではなぜいくつもチャンスはあったのに継続的な仕事に結びつけられなかったか、というと、様々な細かい理由はあるとしても一重に私の圧倒的な努力と精神力が足りなかったからだと思います。(それを才能というかもしれませんね。)
第一子妊娠を希望した4年前、ソプラノ歌手の一つのリミットと言われている30歳を目前に、周りの若く、才能もあり、努力家で、そして舞台で生きていく天性のエネルギーがある人達を間近で感じて、これは私では勝てないな…と思ってしまったのです。もちろん全ての仕事が勝ち負けで決まっている訳ではありません。しかしやはり契約というものは勝ち取っていくものです。

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*ジャンニ・スキッキ(チェスカ役)

もちろん今でも歌は大好き、演技することも、舞台も大好きなので、単発のコンサート、ミサや録音のお仕事、お声をかけて頂いた時には、ピアノ科や指揮科の授業のお手伝い(伴唱)や子供の為のオペラ公演などに参加することはあります。「常に」ではなく「たまに」なので純粋に楽しくて、ウィーンで世界中から集まる音楽家と演奏しているというのは私にとって人生で最高のエンターテイメントで、とても幸せな瞬間です。そのご褒美のような時間の他に、基本的にはレッスンやこちらの母子センターで親子歌唱・リトミッククラスなどをいくつか指導して、主婦をして、子育てをしています。

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*人間の声

今の人生に後悔があるかと言われれば、今の所ないのかな、と思います。それはもう一人の側面の私が、家族と友人達、周囲の人に非常に恵まれているからでしょう。子供が生まれる前からそう思っていましたが、子供が生まれてからはもっと強くそう感じます。最近の長女はお互いがお互いの1番の応援団のようです。(もちろん夫も!!!)

つい先日も歌なしの演技のお手伝いをしたのですが、演出家や共演者、カメラマンの方々とも邪心なくポジティブな気持ちで非常に気持ちよく関わらせて頂け、このメンタルが当時あれば、と思いつつ、リラックスして楽しめている状況に非常に満足したものです。でもそこにいくのに私にはオーストリア人と家庭を持ち、オーストリア人を産み、育て、文化の違いに時に苦しみ、喜びや幸せを沢山感じる必要があったのです。

そんなこんなで長くなりましたが現在はオーストリア人の夫との間に2女をもうけ、指導活動や育児に邁進中の時々副業ソプラノ歌手の私ですが、この度、ウィーン国立音楽大学時代の恩師(演出家)オペラ演技・演出法についての著書の日本語翻訳のお手伝いをさせて頂くことになったので、(今すぐ、というわけではないのですが日本語訳出版を目指しています)今一度翻訳作業と並行して、私自身の執筆力アップと少しでも多くの人にご興味を持って戴けるように!!自分自身の経験をつづらせて頂きたいと思います。



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