辻井伸行さんに感動‼︎
色んなものを洗い流していただいて参りました。
|思っていることが現実に起きる
|感じていることで見える世界が変わる
【最近の私のこと】
普段TVを一人では付けない
3月に一旦大阪を引き払って体制を整えに別府に住まいを移した
寝ても覚めても思考が動いてるから静かな環境を好んでTVはつけない
実家の2階を借りて、購入して1年も経たない家具は寝室に入れられないから全て大阪で処分して、デスクは懐かしいことに小学6年生の時に使っていた真っ黒いシンプルなデスク。
幼少時から変にこだわりのあるところがあって、環境を整えないと集中できず、ピアノに合わせて部屋は家具はもちろん壁紙から電気の傘まで白と黒で配色していたけど、
ここは私が育った家屋ではなく、今在るのは父が生前建てていつか帰ってこいと残してくれた家に、母が一人で暮らしていて、使い勝手があまり馴染まない新しい環境。白と茶と黄色がかったベージュがベースになっていて、カーテンは私が持ち込んだ白いカーテンに変えさせてもらった。
14年毎日触れたピアノと向かい合わせになる位置にデスクを置いて、
目に入ると艶やかさと蓋の美しいカーブに触れたくなる。
楽譜を引っ張り出して練習したいと過ぎることもあるがそんな暇がない。
PC作業の合間にYouTubeでピアノ協奏曲や交響曲を奏者によって音色が違うから気分で選んで聞いたりしていた。
3月1日に越してきたけど、家の間取りに慣れず、母と生活リズムを合わせる必要もありつつ、仕事はリモートでどこにいてもできる代わりに際限がない。
際限がないことを苦に思えばそうなるが、このご時世、お仕事をいただけること、どこにいてもどんな環境の変化でもお仕事があることが有難いとも思う。
できるだけ集中できるように2階の仕事部屋にポットやコーヒーのセットは用意しておいて、お手洗いも2階を使うから一度仕事につくとほぼこの部屋を出ない。寝室も朝出たら夜寝る準備が終わるまで部屋でゆっくりすることはない。
8年前に父が入院したあたりから頻繁に別府に戻るようになって、ピアノを置いた部屋に施術用のボディベットとテーブルセットを置いて簡易サロンにしていたが、この3月から移ってくるために、そこを片付けてデスク周りのものを置けるように棚をAmazonで注文して自分で組み立てた。
施術もピアノもまた将来の夢に変わってしまった。
時間と気力が追いつかなくて本棚はまだないから、本が詰まったダンボールが8箱も積まれたままで開く気にもなれずにいる。
そのくせ読みたい本を買ってしまうからまた増えていく。
どうしようかなーなんてぼーっと考えるのはお風呂の時間くらいしかない。
人と暮らすのってなかなかパワーがいる。私には。
母と一緒に暮らし始めて、どうコミュニケートして良いものか、お互い探りながらの1ヶ月、母にできるだけ昼食と夕食を作って安心させてやれたらと思うから30分ずつくらいは中断が起きる。
一緒に食べなくても作ってあげるだけで母の不安はだいぶ解消するらしい。
自分を避けてるのではないか、とは思ってほしくないし、悲しい思いをしてほしくないけれど、25年も自分のペースで仕事を中心に生きてきてしまったから、リズムが崩れることのものすごくストレスを感じてしまうのも事実ではある。
昔は逆で、私たちがいると仕事ができないから、と職場が休みでも家を出て職場に行って仕事をする母は、朝のうちにワンプレートにおかずを置いて出掛けた。40年ほど前のことだから携帯なんてなくて、帰ってくるまでいつ帰ってくるのかはわからない。
お腹が空いたとぐずる弟に、まだ料理もよく出来ないのに小学校3年の頃に初めて作ったオムレツは、冷蔵庫にあったのが”こんにゃく”だったから”こんにゃくオムレツ”にしてみたけど、まずくて食べれたものではなく、不味いと泣く弟に、どうにもしてやれず一緒に泣いたのをすごく覚えている。
私は人より寂しさアンテナが敏感だと思う。
だから、ちょっとでも寂しそうにされると、放っておくことに罪悪感を覚えてしまう。
そんなことも冷静に見れるようになったのはこの1ヶ月のおかげで、
対人関係の失敗が私のどんな心の癖から始まってるのかの一つは見えた気がした。
【母と私のこと】
母と接していると「俺と仕事どっちが大事なの?」と仰れたwww
メンズのお顔が数名思い出される。
その発言によって基準が違うことがわかってしまって、一緒にいることが苦しくなってお別れしてきたし、母にもその時の話を用いて説明をしたりしてみている。
興味関心の矢印が同じ方向を向いていれば、もしくは別々でもそれぞれ前を無ていてたまに寄り添って一緒にいるのはその時間が楽しい時間になるけれど、矢印が私に対して常に垂直に刺さってくるとそれはとてもしんどいのだというような話を手振り身振りを入れながら話してみたりしている。
そうすると理解してくれるけれど、今母の興味関心の矛先はまっすぐ私に向かっていて、これは電線に電線が触れてショートを起こす干渉のような現象になってしまっている。
悲しませたくないと思うと、自分が我慢するよになって限界がきてしまう、たった1ヶ月に2度も私は幼少時と同じような閉塞した症状が出てしまって参った。
母は私が幼少時の頃からやり直せるような錯覚にあって、私が一人の人格として存在している感が少ない。
小学校教諭を経て幼稚園の先生をかれこれ50年以上もしてきていて、子供に関わることはプロフェッショナルだけれど、我が娘がもう40も越えている現実はあまりピンとこないらしく、聞いてみると一心同体だという。
お腹を痛めて産んで、かわいい赤ちゃんのままで止まってるんだと思う。
私が四六時中一緒にいた2歳までのことをよく話してくれる。2歳の誕生日と同時期に弟が生まれて、3ヶ月で仕事に復帰した母はその後、研究発表会などの大役を長年任せていただいて、私にとっては母ではなく社会の人となった。
たまに帰省するくらいなら仕事も傍に置いて尽くし切れるけど、24時間毎日いると、かわいそうな思いをさせてしまうことが多くて、ここにいるのがなかなか苦しい。
【どうやら願うと叶うらしい】
3月29日、もうすぐ1ヶ月経とうかというのに、どこにも出掛けていない。
お仕事のお話はほぼオンラインだし、別府大分でアポイントで訪問することはあるけれど、指定された場所に行ってお話をして、そして限られた交通手段で予定を大幅にずれてまた深夜まで仕事に集中してしまうから温泉どころか市街地にすら出ず。
毎日葛藤してしまう。。。やっぱり一人で部屋を借りようか。。。
そんな時に聴きたくなるピアノ
辻井伸行さんをyoutubeで、そこそこの音量で眺めながらコーヒーを淹れて休憩をする。人間としての違いはなんなんだろう、、、、とか考えたりする。
何が違うとこうやって本能の赴くままに思いと現実が一致して生きていけるんだろうと思いながら眺めている。
話を聞いてみたい。。。いつもそう思いながら見ている。
努力とは全く別の世界で何かが違っているんだと思う。
存在を知ったのは随分前にニュースでちょっと見たことがあったが、その時には音楽を聴くなんて余裕すらなかった。
2020年、コロナで東京都内は緊急事態宣言で西新宿のサロンも休業しないといけなくなった頃、いい機会だからと端から端まで大掃除を、真冬だと寒くて暗くてできないところまで、
大掃除をしながら、むしろそんなことでもして気持ちを高めておかないと先が見えずに落ち込もうと思えばどこまででも落ち込めるような状況下でBGMにジャズをかけていたけど、
久しぶりに英雄ポロネーズが聴きたくなってyoutubeで検索した時に、あ!!!!この人!見えないのに優勝した人だ!と思って、
見始めたら止まらなくなって、大掃除そっちのけで夢中で追ってしまった。
ラフマニノフを何度も何度も観た。
喝采を浴びる姿を見て涙が出た。
コロナ休業なんかでへこたれてる場合じゃないわ!
と、ものすごくチアされた。
それからは、心がしんどい時には辻井さんの音をかけながらお掃除をしたり、作業をするようになった。
実際はCDよりMacでyoutubeの方が音はいいけれど、
動画編集が増えてきて音が多少悪くてもBGMにCDの方が都合が良くなったりもした。
そんなこんなでこの1年は特に、
他にも色んな都合で人にも会わず、
天職だと思っていたがそれでは天井ができてしまうので新しい境地を見ようと思ってカウンセリング業務からも第一線外れることも良しとして
裏方に回った。
姿形が見えずとも、届けた先のお客様が私が編集した動画を見て、日常に意欲を持ってくれるようになったらいいな、と思っている。
名も無き戦士でどこまでできるか
神様と自分だけは知っている。
誠実に生きていればいい。
だけれどそんな籠った世界で、
私は特にこの1年余りで自分がとりわけ偏屈になっているような気がする。
今まで積んできたものは世の中ではミジンコにも通用しないような体験をしている。
私は頭がおかしいのかな、今更だけど。
世の中の普通というものに適応していないらしい。今更だけど。
ほんの1年ほど前までは割とどこに行ってもそれなりに会話が成り立っていたと思うが、この一年ほどは私ったら本当に何をしてもなんて能力の低いことかしら。と、やる気は削げるし全く力も湧かない。
そのおかげで、今まで「大切なものを大切に」ってとても大事にしていたことにも執着もなくなった。いいのか悪いのかわからないけれど。
脳科学や心理学、遺伝子とか歴史とか、そんな本ばかりが楽しい。
ちょっとまずいかもしれない。。。とも時々思う。
夢や希望や夢中になれることがあったこの40年余りのパワフルな人生が奇跡だっただけで、それが特別だっただけで、人間のデフォルトは無気力無感動、無刺激なのかもしれないとすら思う。
期待するから苦しいだけでそもそも無いと思えば苦しいはずもないじゃないか、なんて思っていたらちょっと息抜きにコーヒーでも・・・・
そんな時に辻井さんを見えいると、
さ、がんばろ。と気持ちを切り替えることができる。
そんなこんなで、まだ数時間動画の編集に追われる予定の22時半を過ぎた頃、ポットのお湯がなくなって、お水を汲みに一階に降りたら母が見てたTV画面に突然CMが流れた。
ざっくり、「ピアニストの辻井伸行さんが大分に来る」と言っている。
手帳を見て、夜、スケジュール取れる、今しかない!チケット、、、調べて、取れる!それはすぐに取るでしょ。思考停止ですw
体調とか仕事の体裁とか他の都合とか一気に吹っ飛んでしまいました。
なんてすごいタイミングなんだと思った。
一所懸命生きてると思いがけない嬉しいことはちゃんと空から降ってくる。
もしお湯汲みに一階に行くタイミングが15秒ずれてたら、大分に来ることも知らなかった。
一人で、自分のためだけに出かけるのはもう随分久しぶりで当然別府に越してからは初めてのこと。
自分の娯楽は罪悪が伴う。
そんな人生を生きてきてしまった。
この感覚って随分小さな頃から持ってる。
いつつけてしまったかな。。。
しばらく体調を崩していたのもあって、立っているのが辛かったから、
ちょっと長くなるけど、乗り換えがなくて良いバスでの移動にした。
雨が朝から降っている。
前々日に取れるチケットってどいうことだろう。
空いてるのかな・・・
せっかく来てくれるのに大分会場空いてたらがっかりなさるだろうな
なんて思いながら会場に入ると、
とんでもない。
下から上まで人の湧き立つようなざわめきで埋め尽くされている。
満席のようだった。
座席の指定ができないチケットだったからどこになるかと思えば
私の目の先に、辻井さんのお顔も手元も真っ直ぐに見えて、
オーケストラもほぼ全容が見渡せる。
手すりのバーも邪魔にならない、とてもいい席だった。
3階、1列、9
思わずエンジェルナンバーを調べてしまったw
終わりと始まりを告げる他に5つのことが暗示されていて
どれも当てはまった。
そして納得した。
今日のこのご縁には、何か不思議な力が働いているような感じがした。
二部構成で
休憩が終わって
辻井さんがサポートされながらステージに姿を見せると
ものすごい音の拍手が鳴り響いて、
座るとスッと会場が息を呑んだ
虚ろに遠くで鳴る鐘の音が少しずつしっかりと聴こえてくると
重く暗い大地が目の前に広がる現実に引き戻されていくような
途方もない向こうを眺めるような、
過去と今とまだ見ぬ未来を行き来するような
私はそんな絵が浮かんでくる
辻井さんの生ラフマニノフ
オーケストラと一体になった瞬間に全身の血が逆流した。
全身で奏でる姿を見ていて
体の内側から音が鳴り響くような体験をして
人に影響を与える人って
一日一生ってこういうことかと思った。
その姿にもうずっと涙が出て、
どんな世界から生まれるんだろう
どんな景色を見てるんだろう
楽しそうな辻井さんを見てて楽しい
一瞬一瞬の音の世界で
今どんな景色を見てるんだろう、
音が私に見せてくれるのは柔らかくて温かいもの
どんな景色か聞いてみたい...
CDとも過去の動画ともぜんっぜん違った
自然と涙が流れたり、思わず微笑ましかったり
どんな世界だろうか、
何もない、そこに黒というものは存在しているのだろか
お話を聞いてみたい
光を見たことがないと思ってしまうけど、
光を見ている人の音がする
飛び込んでくる音を全身で捕まえて大きく体を揺らしながら
気持ちよさそうに音と戯れていらっしゃるように見える
楽しそうにおしゃべりしているような、オーケストラとのセッションが
心地よくて、私の体の奥のドロドロしたものを洗い流してくれているよう
もし私が目が見えなくなったら、この方のようには生きてないだろうな、
今の私のままだったら、きっと、見えないことの苦しさの中に生きているだろうと思った。
今やれないことは状況が変わったからといってきっとやれないだろう。
そんな私でも命を燃やすように夢中になった時期が人生に何度かはある。
もう一度あの時のように生きていたいと思ってしまった。
こんなふうに生きたい。
今どんな状況にいたとしても、たくさんの喜びに胸膨らませて、誰かと喜びを分かち合うような生き方がしたい。
やっぱり、夢中になれるものがある人生がいい。
どんなことでもいい、
人にどう思われてもいい。
自分が心から笑顔でいられるような生き方をしたい。
色んなことを
あーもういいやと思えた。
結局、誰かに評価されたかったのかな。。。私。とか
つまんなくなってるのって喜び合える人がいないって思ってるからってこと?それってどういう基準なわけ?とか
色々、問いかける時間にもなった。
今これを読んでくれている人は、YouTubeでもいいので聞いてみてほしい。
体に響く感じを味わってほしいので
PCで音はできるだけ大きい方がいいと思うw
そんなこんな色んな感情が巡りながらも、
とにかく楽しくて幸せな時間。
全身で感じて、耳も目も心も、何一つ取り零したくなかったw
一緒に走った大運動会みたいなw
そんな充足感で満たされて
こんな方だったんだぁ辻井伸行さん
今日、時間作って行ってよかった。と思った。
最高のご褒美になった。
ふと指揮に目を向けると
こんな指揮を今まで見たことがない( ゚д゚)
なんて楽しそうなんだろう、
優しい方なんだろうな
一家のお父さんみたいだった
オーケストラも辻井さんのことも、全身でチアしてる
もうそのお姿がすでにエンターテイメントだった
あー、指揮者ってこういう方のことだ、って思った。
このすごく暖かい空間を創り上げているのは
指揮者:沼尻竜典さん
辻井さんもオーケストラも
全身全霊ってこういう感じ
凄かった
ファミリーに参加してる気分になって
幸せだった
実は私存じ上げなくて本当に失礼なことだったと一鑑賞者としては申し訳ない三浦文彰さんのStradivariusは
艶かしいというか、
生き物だった、歌ってるみたい、バイオリンと奏者がセッションしてるみたいだった。
このStradivariusがそもそもそういうソプラノを歌う可憐な歌い手が宿ってるようなものなのかもしれないけれど、奏でられるかどうかは奏者との相性なのだろうと、素人ながらに思う。
他にもヴァイオリンソロを聴いたことは幾度かあるけれど、
こんな感覚は初めてだった。
音が体の中を這う感じがして、すごい、なんだろか、ちょっと、また聴きに行きたい、思わず休憩中にすぐ調べてしまった笑
三浦文彰さん、NHK真田丸のテーマの方だったのね!
TVを見ないできてしまったので真田丸もタイトルしか知らないのですが、
真田幸村は存じ上げてますので、これからちょっとNHKオンデマンドで見てみようかな、なーんて思ったら!!!
別途有料でしたw
機会があったらまたコンサートに行ってみたいな。。。やっぱりLiveがいい。全身で体感するのがいい。
アンコールが終わっても鳴り止まない拍手、
会場が明るくなってオーケストラの最後の一人がドアに入ってもまだ拍手が続いて
その拍手はアンコールを要求するのでもなく
労いなんていう遠いものでもなくて
言葉にならないけど
とにかく何かありがとうが伝えたかった
会場中がありがとうで包まれた感じがして
きっと皆さんもそうなのじゃないかなと思った
誰も席をたたない
明るくなっていて、きっとそろそろアナウンスが始まる
「本日のプログラムは全て終了しました・・・」云々・・・
って思ったら!
拍手が弱まることもない、アナウンスが流れることもない、
その一瞬、
なんと、また辻井さんと三浦さんとお二人揃って出てきてくださった!
こんなコンサート初めて見た。
ラフな感じで座って、拍手が一瞬でやむ
三浦さんの代表曲だと分かると会場から歓声が沸いた、
会場中が嬉しそうだった。
拍手する手がもう一つほしいくらい、
お二人に届けたい、ありがとうを届けたい
すごかった、拍手の音がもう、
会場が破れるかと思った
自分にありがとうとごめんね、って言いながら、
新しくなった大分駅発、二両しかない別府までの電車🚃に少しの寂しさと時間の経過を感じながら、
ねこバスに乗るような気分でもあり
22時を過ぎた頃、私の帰りを待ってくれていた母の顔を見て、
ごめんね、ありがとうって伝えた。
もう少し、私に心の余裕があったらね、
きっとお母さんを笑顔にしてあげられるのね、
少しずつ、変われる努力をするね。
時々は、一人になる時間を作って
私自身にも隙間つくってあげないと
逃げ出すのは簡単
またこの地を離れて生きやすい場所にいけばいいだけ
18歳の頃そうやって家とこの地を離れた
でももう年老いた母
こんなに小さくなった
寂しそうにしないで、悲しくなる
今度選択を間違えたら私は一生後悔する気がするから
私は今この自分の心の癖を乗り越えないと
本当に人に優しくなんて生きられない
大切な人を笑顔にできないのに
他の誰かを笑顔にできないだろうと思う。
どんなに知識をつけてもどんなに社会性を磨く努力をしても
脳は自分と人とを区別できないから
自分への関わりがそのまま人への関わりになっていく
大切な人を大切にできる自分でいたい
それがなんの屈託もなく
当たり前になれた頃には
きっと私も心から笑顔で溢れてると思う
どこで何をしていても
幸せな人生だと言えるだろう
数日経つけど、あの時の辻井さんの姿が焼き付いていて思い出される。
あんなふうに今一瞬を最大に生きれたらいいな
※写真はCD、良かったら聴いてみてください
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