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『肉を食べないという選択肢』 12 〜GGRKS〜

「GGRKS」という表記?アルファベット列??をご存知でしょうか?

「殺して感謝する前に」「殺し方をググレカス」「逆さにつるすなカス」「これが安楽死かカス」。とこのGGRKSという文字と共に牛のイラスト。そんなトートバッグをいただきました。送ってきてくれた方が送って来てくれた方(笑)なので、なにげに喜んで使わせていただいてはいました。が、何日も経ってしまった今日、ようやくそのGGRKSの意味がわかりました(遅っ←自己ツッコミ)。

「GuGuRe、KaSu」ググれカス

最初からググれば良かったのですが、今更ながらWikiさんによると『ググレカス(Guglecus、 生没年未詳)は、1世紀頃の 古代ローマの博物学者・思想家。検索システムの開祖として知られているだけでなく、「知」を重んじ、それを得るための情報の重要性を初めて認識した古代最高の知識人として、近年 ...』 爆笑。これくらいの面白さが人生には大切だと思うのです。お時間の許すときにでも偽歴史的人物読んでみてください。

話を戻しますと、このトートバッグのGGRKS文字以外は理解できていました。これは屠殺場(とさつじょう)で殺される牛を描いたものです。そんなことを考えていると、多くの人が食している牛の命に関する想いが頭に浮かんできました。

今まで「いただきます」という感謝は「殺して感謝する」、命をいただくこととどこかで聞いた覚えがあります。しかしそれが殺される牛に対しての感謝なのか?殺してくれる人間に対しての感謝しているのか?は考えもしませんでした。これもGGRKSで、語源、意味をググってみました。まず最初に出て来たのがallaboutさんの記事。

そこにあったものは、食事に携わってくれた方々への感謝「料理を作ってくれた方、配膳をしてくれた方、野菜を作ってくれた方、を獲ってくれた方など、その食事に携わってくれた方々へ感謝」と「にんじんの命を」「の命を」と食材への感謝と書かれていました。しかしそこでまず引っかかったのが文の中に「殺して食す」、命をいただくがあまり伝わって来ない無難な食材ということでした。食する前に殺傷する行為自体に嫌悪感は感じないであろうものばかり。それこそ殺されるのにギャーギャー叫ばない魚、沈黙をたもつ野菜や卵しか出て来ず、『殺生』という意識を持たない食材ばかりでした。GGRKSには程遠い。そこでやはりググり直しはなぜ「ウィキる!」にならなかったのが不思議なウィキペディアさん

日本人の「いただきます」という言葉それ自体も独特らしく、ほかの国や言語には存在しないらしいのです。さすがここは「神仏の国」である実感。ただそんな中でもベトナムには事例があるようで、探せば新たなる日本人のルーツがまた出て来そうで楽しいインターネット。

そしてウィキさん、肝心の意味は、前出のallaboutさんと同様に食事に携わってくれた方々への感謝ではあるが、食材の命奪い説は薄そうなのだそうで・・・。余談ですが、私の幼き頃、父の仕事中に流れていたTBSラジオの永六輔さんの声。そのときは「誰かとどこかで」という番組でしたが、その永六輔さんの「永六輔その新世界」で言い出したという話も紹介されておりましたが、その根拠はないのだそうです。

父の仕事場の記憶は記憶を紐付けさせてくれます。記憶当時の時代背景が定かではありませんが、のちに私が通った高校の脇には渡良瀬川という川が流れていました。その川沿いを行くとそこからは豚の悲鳴が毎日のように聞こえてきていました。そこは近寄ってはいけないとされていた地域であり、そこで暮らす人々は差別された部落民と言われていました。部落民との結婚は親族をあげての大反対にあうのだと幼きころに刷り込まれ、それはのちの仕事仲間、在日韓国人が結婚する時に相手方親御さん一族に反対された記憶に繋がりました。

幼き頃から聞かされていた部落、実際にそこの地域に足を踏み入れたことはありませんが、世界各地を廻るとそんな感じの同じような光景に出くわすことも多々ありました。「そこには近寄るなよ」と脅されながら。

そこの悲鳴をいつ聞いて、いつの間になくなったかは記憶の中では定かではありませんが、それが同和問題を初めて知った時でした。幼き頃に記憶された決して綺麗ではないイメージ、映画『風の谷のナウシカ』にあった「この手を見てくだされ。ジル様と同じ病じゃ。あと半年もすれば石と同じになっちまう。じゃが、わしらの姫様は、この手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと言うてくれましたわい」の場面が実際にこの目にすることなく成長した記憶とダブります。

もしかしたらこの同和問題は肉食問題とも切っても切れないのかもしれません。簡単にいうと士農工商えた非人、それ以前の鎌倉時代から端を発した武士や農民、商人以外の「人にあらず」の方々に残されていた一芸に秀でられなかった人々の生きる手段。想像の中にある在日としての朝鮮人、韓国人に許された職業ともだぶります。それが動物を殺して食肉としたり、皮を剥いで販売することだけだったのかもしれません。

お役所の文章ではケガレと記載されている「汚れ仕事」である屠殺、改めてウィキる!とこんな感じでした。

『1867年(慶応3年)5月、外国人に牛肉を供給していた中川嘉兵衛が、江戸荏原郡白金村に屠牛場を設立したが、これが日本における近代的屠場の最初であろう。明治以降、屠場を設立する者の数は増え、日露戦争の時には全国で約1,500を数えた。しかしその設備の不完全、また衛生上、保安上改善を要する点が多く、1906年(明治39年)に屠場法が制定された。』

日本人は仏教の伝来で平安時代中期から肉食はタブー、明治時代に入り外国人に対しての提供するためのものであったことが日本の最初の屠殺と知りました。そして日本人の欧米人に対する憧れで肉を食べることになったのでしょうが、日本人特有の思想の中には神様と仏様が常におり「動物を殺して商売にする」というジレンマに挟まれ、後ろめたさから逃げるために自らの手を汚さず、差別階級とされた人に屠殺させるという卑怯な手段をとったのだろうと容易に想像がつきます。

そして大正、昭和、平成と過ぎて令和、有り難がることにより、動物を殺して食べるという残虐な行為を正当化するために肉食がハレ用の行為で、非日常であるかのようにとして『贅沢品であるようにして「動物を殺して食べる」という言い訳』を作ってきたのだと思います。体力を奪う行為なのに体力をつけるためにと偽り、まるでそれが薬であるかのように病の内臓部分を食べたらそこが治るとしたりして。

人が人を殺して食べるというカニバリズムがなくなった(表面的?!エリート階級は下民を食している?)ようにそのうち牛や豚、鶏や馬羊も陰に隠れて一部の方々が集まり、闇で食して警察の手入れが入るなんてことになっても不思議はないのだろうと思います。

スピリチュアルではない伴侶がいうとりました「屠殺場のある場所は災害が多い」と。屠殺場の場所を調べると驚くほどに納得できます。スピリチュアルが効いているかのように。そこにあるのは怨念が牛や豚の声鳴き声の染み込んだ災害か?!

屠殺場と部落の問題は深く、私の知識を元ではまだまだ浅過ぎますのでこれからも継続課題です。都内各地でも部落問題は現在進行形らしいです。一例に屠殺場のある品川区役所公式をGGRとこんな感じ。

考え方はいろいろだと思います。スポーツ競技のボールの縫い方がパキスタンが秀出ており、パキスタンの少年が学校も行かずに働いて家計を支えているのに、その少年の稼ぎであるボール縫いをやめさせるのは残酷で非人道的だ!少年の仕事を奪うな!!と想う人はそう想うでしょうし・・・。

ですから、提案。

例えば、1週間だけでも肉食をやめてみて、ついでに白米や小麦から玄米を主食にしてみてください。騙されたと思って1週間、1週間終わったら戻して良いので試してみてください。1度自分の身体で比べてみてください。

あなたの人生の1週間だけ肉抜きで玄米食をしたとしても残りのん十年、好きなもの食べられるのですから(って肉食べてたら色々な弊害でそこまで長生きしないでしょうけれども・笑)。

驚くほどお通じが良くなり、キレも良くなり、ウォッシュレット使わずともトイレットペーパーに最初からつかないですから。しかも血液がサラサラになって身体の動きも良くなります。

でもそんなことする前にこれ↓観たらまず最初に何はなくても肉食止めます。きっと。

そして言うでしょう「GGRKS」と。


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