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秋葉原 後編 (小説)

 わたしたちは、地上に降りると、東京のはげしい日照りを浴びる。その日は、太陽から降りて来た自然光というより、ビルをつらねる電気街に乱反射した、上からも、下からも、横からも、斜めからも来る、人工の光りに感じられる。
 そんな光りにひたされた道をいくほど、るしあの目の放っていた、生命の光りの粒が、わたしの目の裏でよみがえる。もう、記憶の中の彼女は、おぼろである。かろうじて、その目の光りの粒だけが、記憶の内でたしかな輪郭を獲得している。わたしは、彼女の目の形状をも忘れている。ひときわ強い人工の光りに視界をまっしろにしながら、るしあの像がぼかされる、忘却の過程を歩いている。最後は歴史と化した目の光りだけが、星のように遠く冷たいところから、わたしに届くきりになる。

       ○

 しかし、るしあは、わたしたちに次なる道を照らした。メイドカフェの体験が、るしあという経験に結実して、るしあの放った生命力が、わたしたちの背中をさらなる体験へと押し上げるのである。
 わたしたちはメイドカフェの高揚感も冷め切らぬまま、次なる挑戦に足を伸ばした。とりわけ、友だちは人間関係の軽業師だけあって、未知の領域を秘めた新しい人間に接していくことは、朝飯前なのである。
 わたしたちが外神田一丁目の目抜き通りを歩いていたとき、高架駅の陰のなかで、凛然と立っている、浴衣姿の女の子をみとめた。
 友だちはその子から何かを感じとったのか、例によって、まっすぐにその子に近づいていった。その感覚的な足どりは、容赦ない日照りの砂漠から、しめやかな木陰を求めてみえた。
 女の子に話しかけるとその子のテンションは変わらない。陰のように静かである。女の子はメイドバーで働いていると言った。わたしたちはメイドカフェにさっき行ってきたと告げると、メイドバーならずっと付きっきりで話せるから断然いいよ、と低めのやわらかい声で言った。
 女の子は言いたいことをはっきりと言うタイプにみえる。友だちが名前は何て言うのと聞くと、白血球って名前なんだと静かに笑った。
 白血球。
 名にしては、なかなか、破壊的であった。
 自分で付けたのとたずねると、そうだよとすぐに応じた。『はらたく細胞』という漫画が好きで、ほんとうは血小板が好きだったけも、何となく白血球にしたんだと美しい顔をかすかに笑わせた。
 わたしたちはメイドバーで白血球と話すことに決めた。白血球は白ちゃんと呼んでほしいと言いながら、少し遠くのメイドバーに案内してくれた。白血球は風が吹いても背が揺れない。黒檀こくたんいろの下地にたわわな牡丹ぼたんが散らされた浴衣をはためかせるきり、杉の柱材ちゅうざいかなにかが動いているように映った。
 わたしたちはエレベーターのところで一旦お別れした。エレベーターに客とメイドを混ぜないルールでもあるらしい。わたしたちはひと足先にビルの八階にあるバーに到着した。玄関口のコルクボードにチェキがいくつか貼り付ついている。折れ曲がったチェキの一枚に、「白血球」という名の女が、やわらかく曲がった唇を青黒く光らせて、するどい眼で映っていた。反社会的な眼差しである。わたしたちはその眼がみつめる世界はどんなものかと気になっていた。
 白血球が来ると、わたしたちはバーの中に案内された。店内はどことなく暗かった。バーカウンターが向かい合わせに二つあり、木づくりの丸椅子がならんでいる。客は誰もいない。ガラスドアの冷蔵庫には、シャンパンだの、ビールだの、発泡酒のガラス壜が、古い城に残された騎士の甲冑かっちゅうのように、にぶい青さで光っている。フランス風のレンガ模様の壁につたが這っており、天井は涼しい緑が折れ曲がったり、垂れたりしていた。
 わたしたちは丸椅子に腰掛けると、白血球は机をはさんで向かい側に立っていた。白血球の肌はみずみずしさがあり、彼女の生気は滝のように机に流れ落ちている。
 わたしたちはこのメイドバーが創出する世界観に、ともかくは海のように浸かるしかないと首肯しあった。
 それこそが、わたしたちが真にやりたい「文化に浸かる」ことに違いないからである。
 わたしたちは白血球の飲み物代を払いつつ、三人で最初の乾杯をした。キレのあるジンジャーエールが、ほどよい冷えを喉に残していった。白血球は、落ち着いたまま、わたしたちを楽しそうに見つめている。白血球は、わたしたちがどこで知りあったのか、ひとまずわたしたちに問いかけた。
 わたしたちは大学のサークル、それも留学渡航前に日本を深く知ろうとするサークルで知り合ったのだと告げた。友だちが、わたしの書くものに興味を抱いたため、それから、ひんぱんに会うようになったんだと。友だちが二〇一九年の夏にウィーンに留学したとき、わたしが彼の家に泊まり、絵画を見たり、劇を見たり、音楽を聴いたり、芸術に浸かるような日々を送ったんだと思い出を告げた。
「仲が良いんだね」
 白血球は切れ長の目を光らせた。
 わたしたちは照れくさくなり、耳の裏を染めながら、そりゃ、ねえ、まっ、なあ、などと、おたがい見つめあって、気色の悪い苦笑いをした。
「白ちゃんは何をしてるん?」
「私は、大学一年生」
「ほお」
 わたしたちはそんなことを話すんだと驚いた。だが、そうしてはっきりと自分を見せることで、場が深まることを心得ているような、大学一年生らしからぬ、落ち着き方であった。
「若いね。そのわりには、落ち着いてる」
「ありがと、でも十代が終わるのが、最近、哀しいな」
「十代ねえ。まあ、十代も、二十代も、変わりないけどね。やりたいことはやるしかないし、自由な時を楽しむしかない。世間に染まると退屈になり、欲にまみれると罪を味わう。なんにも、変わらんさ」
 わたしは十代と比べて知っていることは増えたが、同時に、自分の生命力を閃かせる、自由な時間がなくなってきていた。歳なんか、と、思っている。今を死ぬ気で生きろ、と、へんに強気になっていた。
「おもしろいこと言うんだね」
「まあね、そういうひとだからね。ちなみに、白ちゃんは、何を専攻してるん?」
「芸術思想。でも、専攻しといてあれだけど、語れることはないよ」
「面白い分野じゃん。これからの芸術思想、考えだそうよ。みんなはどうせ昔の思想を学んでお終いだろうけど、白ちゃんは何なら新思想を生み出しちゃったらいいよ。研究と創造、これ案外、紙一重だぜ」
 わたしは無茶苦茶なことを言う。白血球は黙って頷いている。ほんとうに研究と創造が紙一重なのか疑ったのかもしれないし、自分に新思想の提唱ができるのか疑ったのかもしれないが、思うよりか好意的な反応であった。友だちは助け舟を出すように白血球に話しかける。
「白ちゃんは、それこそ芸術とか興味あるの」
「まあ、表現するのは好きだよ。手を動かすのも好き。ネイルとか、裁縫とか」
「へえ、表現の側なんだね。芸術を味わう側ではなくて」
「まあ、たまに美術館にも行ったりはするけど、人の作品は人の作品だし、自分で作らなきゃとは思ってる。なるべく自分の世界観を保ちたいからかな」
「ふうん、世界観ねえ。白ちゃんはどんな世界観をもってるの?」
「……人に迎合しないで、自分ひとりの力で生きぬく世界観? なんというか、今の私そのものが世界観かもね」
 白血球は浴衣のえりを合わせた胸もとに手を置いてわたしたちを凛と見つめている。わたしたちは時をるごとに白血球の澄み切った生気にしびれていった。目の奥が不思議と絞られて白濁した涙がわきそうだった。
「歩く世界観、白血球か。センスあるね」
 わたしは酔漢のように大笑いして白血球を褒めたたえると、彼女は恥ずかしそうに笑っていた。だが、彼女は、何かに思い当たるのか、まるで棘の刺さった喉をさするように、胸もとから首を撫でて、どこか切ないような哀しいような顔を浮かべた。その顔はわずかに上向きになり、天井の蔦を見上げてみえた。友だちは人の感情のひだに気がつくので、白血球をすかさず気にかける。
「なんか、顔が暗くなったね。悩みでもあるの」
「いや、悩みってほどでもないけどね。でも、ここのところ、親に辞めろって言われててね」
「辞めろ? ここを?」
「そう。危ないから辞めなさいって。ほんとうはバレずに一年間だけ続けて辞めるつもりだったけど、二ヶ月でばれちゃった」
「辞めるの?」
「辞めない。一年間は続けたいと思ってる。おもしろいもん。いろんな人の話を聴けるしさ。でも、母親はこの仕事を認めてくれないんだよね」
 わたしたちは、彼女の接している家庭環境が透けて見えた分、世のなかの深みをみとめた。彼女は、白血球でありたいが、だが、白血球という世界観は、さまざまなところにまたがっては、彼女自身を傷つける因子でもあるようだった。胸に世界観を抱えると、人間はそれを梃子てこにして自らの生命力を奮い立てさせられるが、胸といううつわに苦い汁が渦巻くようだった。
「親に何て言われるの?」
「戻ってこれないって言われた」
「この世界から?」
「そう、でも、抜け出るつもり」
「抜け出たいんだ?」
「うん」
 白血球は素直に頷いた。友だちは、白血球の表情をよく見つめている。
「抜け出たいことを話してるとき、少し自然な顔になったね」
「そうかな?」
 白血球は虚をつかれたように、驚いた顔つきで友だちを見ている。
「まあ、それはたしかに、抜け出たい気持はあるよ。常に。確実に。いつかはしっかりした仕事で、生計を立てて行きたいもん。でも、同時に、ここにいると、いろんな人が来てくれる。シンガポール人の経営者だったり、インド人のプログラマーだったり、車椅子に乗るおばあちゃんだったり、トランスジェンダーの活動家だったり、私の知らない世界をいっぱい見せてくれるから、辞めたくない気持がいっぱいある」
「そういう思いがせめぎ合ってる中で、親の言葉ってのは、きついものがあるね」
「そう、そうなの。正直、親は世間的な心配だけで、私に強い言葉を浴びせるのがたまらなく悔しい。私なんかきちんと見てなくて、世間の常識に私をめようとしてる。それがほんとうに悔しい」
「悔しいんだ」
「うん。私を深く見てくれなくて、腹が立つというより、哀しいし悔しい」
 わたしは、白血球が親思いの子にみえてきている。自分がやりたいことと親の思いを天秤にかけつつ、自分の立ち位置を決めているからである。
「親を振り向かせたいって思いもあるんだね」
「それは、ちょっと、ある」
「まあ、悪くないと思う。振り向かせたいという意志が時に人を奮い立たせるし」
「うん、そうだといいな」
 わたしたちと白血球の三人は手元の杯を傾けつつ、穏やかな沈黙を始めた。三人は落ち着けるほどに繋がっていた。
「しかし、こんな形で会うしかなかったけど、正直、こんな形で会いたくなかったな」
 しばらくすると、友だちはぼやいた。
「どうして?」
 白血球は口を小さく動かした。
「ずっと話してたいなあって」
 友だちが上目遣いに白血球を見ると、白血球は照れくさそうに「なにそれ」と明るく言って、うつむき気味に笑っていた。
「もちろん、お金を払えばね、ずっと話続けてられるけど、そういうのじゃなくてさ。ここに来て、白血球に会ったら、もう白血球とはふつうの友人関係も築けないから、そうと思うと淋しくなって」
「それは私も同じだから、淋しいのはわかる。まあ、ネットで会える時代だもんね、もしかしたら、ネットで会ってたかもしれないのに、秋葉原の路上で会っちゃったからね。でも、白血球はさ、この場にしか居ないよ。白血球は、この場でしか表せない私自身だよ。だって、リア友の前では、白血球じゃ居られないもん。へんな話していい? 白血球ってさ、結構すぐ死んじゃうみたいなんだ。知ってた? 赤血球がね、だいたい百二十日、血小板が、だいたい十日、でも、白血球はさ、数時間から数日だけなんだって。私の『白血球』も、血の中の白血球みたいに、この世に長く生きられないからさ、今の私に会ってくれたことは、私からすると大きな意味があるんだ」
 白血球は声をわずかに震わせながら、胸を張って自論を述べた。わたしたちはまたしても彼女の生気の嵐に晒されて、横殴りの雨に打たれたような、大自然の力を肌身に感じる喜びが胸に噴き上がってきた。
 白血球はるしあより遥かに生命力に充ちていた。しかもそれは、刹那的せつなてきな生気の氾濫はんらんであった。彼女はずっとこの場に居ないからこそ、この場でこれほどの命を賭けられるんだとも感ぜられた。してみるに、白血球の名前を借りて、白血球として命を賭すという生きざまは、どこまでも美しい調しらべをかなでて止まない音楽のようであった。
「人を圧倒するものがあるね。将来が楽しみになる」
 わたしは、白血球を崇めるように、清らかな声になるように努めた。
 友だちは、惚れでもしたのか、頬を紅くして、白血球を仰ぎ見ていた。
 白血球は、自分の持っている力を持て余すように、わたしたちに恥ずかしそうな表情ではにかんでいた。
 わたしたちは、白血球の生きざまに触れながら、自分たちの生きざまを振りかえる、重要な機会を得たと意見を一致させた。メイドを通じて人生をあらためて考え直すことが、メイドバーの醍醐味かもしれないなと意思を交わし合っていた。
 わたしたちはエレベーターのところで白血球と手を振り合った。わたしたちと白血球は、別れの匂いの深く立ち込める、「またね」をゆっくりと告げ合った。
 人と別れた後は、力強く自分たちの生きざまにひるがえる必要があった。人との別れは、自分たちの人生に帰ってゆくことだからである。一日の大半を人と関わりつづければ、独りで何かを創る時間は失われてしまう。自分の世界観の芽は、わが身の生命力を賭して独りで育て上げるしかない。いくつも、いくつも、自分で水をやって、ひょろりと長い茎からみずみずしい葉を幾枚も幾枚も開かせるしかない。そして、独自の呼吸を始めた世界観を、他人の生命力に照射しながら、熱い呼吸をますます厚ぼったく豪快に響かせるしかない。それは、きっと、人に快感と不安をもたらし、喜びと哀しみの始まりにもなるだろう。だが、世界観は、その荒削りの枝葉をばさばさ落としながら、その大いなる陰のうちがわに人を呑んでいき、人をかつてなかった体験のトンネルに落とし込んで、人の想像の翼をむりやり羽ばたかせるだろう。
「おれさ、ちょっと、コンカフェで働いてみようかな。彼女たちの見ている景色が、ちょっと見たくなってきた」
 友だちは今日の影響をそのままに新しい行動に繋げるようだった。
「へえ、いいんじゃん? 男性だけのコンカフェもあるんかな、ホストみたいな?」
「ホストとは違うと思うけど、女子高生とかも気軽に来られるコンカフェもあるって聞いた」
「ほお、また新しい世界が開けそうじゃん。おれも、今日の体験はたぶん小説になりそうさ。うん、そんな気がしてる。時間はかかりそうだけど、きっと、なにかに結ばれそうさ。ただ、素材だけだとお粗末だから、おれなりに素材を深掘ってみる」
「いいね、今日、誘ってよかったよ。お、もう、秋葉原駅か。おれあっちだから、またねだな」
「ああ、そうか、また会おうぜ」
「おう、小説できたら、読ませてくれ」
「あたぼうよ。なんとか、印象に残るものを書いてみせるさ」




 

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