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691/1096【願望実現】目の前のことを使って欲しい未来を演じる

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で691日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

691日目。700日目まであと少し!!あんなに遠い遠い境地だと思っていた700日目まで、いよいよ10日を切ってしまう!!やーーーーやっていると本当に訪れるものなのですね。当たり前なんだけれど、不思議な感じがする。始める前は、とても不可能、とても届かないだろうと思ったというのに。

夢って夢じゃないのだと思う。夢は、それを見る本人が「叶える」と決めた瞬間、夢ではなく「達成できると見なされた”ターゲット”」となる。夢というものを、ターゲットと呼べればいいのだ。いや、なんなら「やってりゃ叶う」と見なし、今後起こる「現実」と呼べばいい。予言であればいい。

夢を、「夢なんかじゃない」と見なす。その最初のキックオフが9割を決めるのだと思う。あとはやるだけ。3次元物理現実レベルで、この地球のグラウンドで、それを本当にしていくだけだ。(地=グラウンドに足をつけて現実レベルでモノを見る意識を持つことを”グラウンディング”と言うんですよ)

どうやら、始めると宣言した日に「とても無理ではないのか」「無謀すぎないか」という親切な心配のメッセージを何通もいただいたこの三年間の毎日投稿は、もはや実現可能の色のほうが濃くなってきている。

ああ、それが叶った時の、原子力発電所ひとつ分くらいの喜びを放つ最後の日が楽しみだ。楽しみでならない!!だから書くのだ、そしてどうせ書くのなら、どうか、誰かの幸福につながるものを書かせておくれ、神よ!

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今日はこの一昨日の記事の補足をしようと思う!

上の文を書いていてつくづく思った。今のわたしは、以前の自分が”夢のまた夢だ…”と思っていたたくさんのことを体現している。そしてそれは、夢を夢のままにしておかなかったからだと思う。「いや、そりゃ夢のようっちゃ夢のようだけどね?でも現実的にやれるっちゃやれることじゃん?!」という図々しさがあったからだと思う。目の前に現れた夢のようなことを、そんなふうに見てきたと思う。

でもわたしは、ずっと以前から今の自分を夢見てそれを追って実現させたわけではなかった。つまり夢という”自分の未来のため”ではなくて、その時その時の”目の前の現実”にこそ一生懸命だった。わたしは夢に向かって動いてなどいなかった。もっともっともっと、超目の前のことだけを見ていて、ある意味でそのときそのときの「今」だけを見ていた。超短絡的だった。未来より、目の前のこと。それがまずわたしたちのすべてではなかろうか。

夢を叶えたあとの自分はどう動いているだろうか、と考えてみてほしい。するとまず当然ながら、”その夢をもう追ってなどいない”のではないだろうか。それよりも目の前の自分の取り組みのことを考えているのではないだろうか。そのマネを今する。現実を楽しんでいる自分になりたければ、たった今、今の現実に楽しんで取り組む。これが大切だったと痛感する。

誰にも存在を知られていなかったわたしがアメブロに自伝を綴りはじめたのは、2016年の1月のこと。なんと、たった4年前のことなのである。当時のわたしは、貯金ゼロ、職なし、資格なしで、安月給で働くイタリア人男性と再婚した、一児の母、貧しい主婦だった。本当に誰もわたしのことを知らなかった。それまでだってブログは書いてみたことはあるが、ちょろっと日記や詩を書いたって、もちろん誰にも読まれなかった。心のことを勉強していたけれど、それについて何かちょっと書いてみても、着目する人などいなかった。

わたしは誰かに師事したわけでもなく、バックや人脈があったわけでもなく、日本にすら住んでおらず、完全に無名の一般人だった。パソコン一台でお金を稼ぐ方法を見たりしたこともあるけれど、アフィリエイトなどの方法を読んでも、ノマド成功者のメソッドを見ても、わたしには無意味だった。試したこともあったけれど、一銭にもならなかった。

当時のわたしは思っていた。今のままでいてはいけない。なにかしなくてはならない。このままで骨になってはだめだ!!と。そして考えたのだ。
①イタリア語を勉強してカフェなどで働けばいいのだろうか。
②義父の会社で働く夫の給料を上げるために、義父の会社に尽くして盛り上げればいいのだろうか。
③それとも、離婚して日本に帰って仕事をすればいいのだろうか。

目の前にあった選択はだいたいこんなものだった。これしかなかった。
今のような自分になろうとなど、頭をかすってもいなかった。
だから、当時から夢を追って今のようになったのではないのだ。

当時のわたしは、重度の貧血と、良性なのか悪性なのかが摘出するまでわからない唾液腺の腫瘍を抱えていた。体力が落ちていて、イタリアでどこかにお勤めに出るのはすでに不可能だった。かといって、離婚して日本に帰るのは不本意すぎる。だから、残るは義父の会社にできる限りのことをすることだ。会社が良くなればほら、わたしたちも優雅になろう?(安易!!w

わたしはまず夫に言われた通り、義父の会社の仕事であるプラスチック再生の仕事につきものである、廃プラの手作業での仕分けなどの手伝いをはじめた。夏は真っ黒に焼けながら、冬は凍えながら外や倉庫の中で仕事をした。そしてフォークリフトの運転を覚えて倉庫内で働いた。当時は、全身が筋肉痛でない日がなかった。

それから、夫に頼まれて彼らの会社の”ホームページ作り”に取り掛かった。プログラミングのプの字も知らなかったわたしは、グーグルで「ホームページの作り方 はじめて」と検索してみるところから始めた。そうして独学で覚えた知識で、プログラムを手書きしてホームページを作りだした。

他に、イタリア語での請求書の処理や管理、その計算表づくりもやった。ファイル整理をし、その間も外仕事をした。こうしてやれるだけのことを数年やって、そしてわかった。それらのことは無駄であった。同族会社である義父の会社では、わたしの働きに一切の報酬もなく、義父と義妹は迷惑だと拒絶するばかりだった。彼らはわたしの作ったホームページを使って収入を増やしながらも、なんの価値もない、勝手なことをされた、と怒り出した。

わたしはそれから、夫を助けるためだけに彼を手伝い、しかし心の中では夫の家族を見限った。悪気はないのだろうけれど、なにか、ボタンを掛け違えてしまっているのだろう。だから、キッパリと見方を変えたのだ。以降は「もうちょっとやり方があったのでは、頑張るべきだったのでは…」という心残りも気がかりもなかった。やり切ったった!と思ったから。

そして、ホームページの勉強と更新を続けながら、夜中に自分のブログを本気で書き始めたのだった。娘が小さかったころは家事も忙しく、外仕事もプログラミングの勉強もあった。夫から、ホームページに新たになにかを実装したいと言われたりすると、それができるまで気が狂ったように調べて試して解決していたから、それで一日が終わってしまう。わたしが自伝を綴ったのは、家族が寝静まったあと、夜中の12時を過ぎてからだった。

ブログを書き終えるともう外が白み始めていて、失神するように机に突っ伏して眠ってしまう。そんな日々を2ヶ月ちょっと続けて、自伝を書き上げた。

当時わたしは、ネットで知って大好きになった憧れの人を応援していて、他の人にも知ってもらえたらとシェアしたりしていた。最高だったから、無償の気持ちだった。ところがある日、なんとその人が、まだ中途までしか進んでいなかったわたしの自伝を読み、SNSでシェアしてくださっていたのだ。

そこでわたしの人生は変わった。次々にインフルエンサーと呼ばれる人たちからのブログのシェアが続いた。ここでわたしの現実は、ひっくり返って思い切り破裂したかのようだった。

突然ものすごい数のアクセスに襲われ、大量のコメントやメッセージが届くようになって、パニックに陥った。当時のわたしは、もうこれ以上は無理だと自信を持って言えるほど、自力を使い果たしていたころだった。そして突如、他力に助けられた。まるで、泥の中から引きずり出してもらったかのようだった。

その憧れの人が、講演家、作家、カウンセラーであり、認知心理学、脳科学、コミュニケーション、セラピー、コーチングなどを研究され、かのLDM(ライフ・デザイン・メソッド)を開発された、一般社団法人LDM協会代表理事、株式会社シンクロニシティ・マネジメント代表取締役社長の堀内恭隆さん。大好きな記事を書いてくださる、雲の上の、憧れの有名人。彼がわたしにとって、Facebookで最初にフォローした著名人だった。遠くイタリアから、本気でファンになって応援した人。

あれから4年が経ち、わたしは今、その憧れの堀内さんご本人と一緒にお仕事をさせていただいている。これが奇跡でなくて、なんなのだろう。

この4年の間、わたしは自分の怖れを超え続けてばかりいた。
小説家の吉本ばなな先生という天界にいるお方との2度に渡るワークショップの開催をはじめ、この毎日投稿を約2万5千人の方にフォローしていただき、自分の仕事を確立するなど、奇跡ばかりを目の当たりにしてきたと思う。

わたしは、自分なんてどうせダメだという考えを採用しなかった。
そんな考えは放っておけばどこまでもこんこんと湧いてくるものだ。湧いてこない人になってみたかったけれど、湧いてくるものは湧いてくる。スゴい小心者だった。

けれども、それは止まった。止まったのだ。

これは、自然に止まるのを待っていても無駄だ。どうやって止めるのかと言うと、行動すること。その弱気に反した行動を取る。無理だと思ったら、始める。怖かったら、怖くないフリをする。

余裕でできる人として、最後まで嘘を突き通して、自分までをも騙し切ってしまうこと。正解のないこの宇宙で、なにを本当にするもあなたの自由なのだから。

自分なんてダメだと思ったままでいいから、その弱音泣き言を、鋼の意志で無視する。シカト力(りょく)、これである。シカトする。なにがなんでもシカト。そんなクソ面白くもない話は聴こえなかったフリをするのだ。だって、いちいち聴いていたらなりたい自分にはなれないじゃない?それ、嬉しいの?美味しいの?楽しいの?

だから、聴こえないフリ。それで、そんなことが心に湧いてこない人のように行動する。優雅に、自信に満ちた様子でいる。その演技とそのハッタリを貫き通す図々しさをもつ。厚顔になるということ。わたしはそれを一貫していたらばそっちが本当になってしまった。

今も、わたしなんて大したことないと思おうと思えば、いくらだって思うことができる。でも、それを一部の自分が思ったままでいいから、それを鋼の意志でシカトするのであーる。知らないフリ。相手にしなくていいのです。
え?難しい?いやいや、意外とそんなことはないぞ!!

どんな感じかと言うとね、

◯嫌いな人に笑顔で挨拶する感じ(嫌いなままでいい)
◯頭痛があるのに痛くないふりをしてパーティーにいる感じ(頭痛くていい)
◯好きな人に気のないふりをして普通に接している感じ(下心あっていい)

みたいな、みなさんだってめっちゃ上手にできる(失礼!)、あの感じだ。自分の弱気を、隠し通して違う人として存在すること。

ごまかし力、嘘つき力、ハッタリ力、装い力、演技力。
いろんな呼び方ができるけれど、幸せになりたい人は今から幸せな人のふりをすること。不幸だと感じる今の現実の中で、幸せぶること。目の前のことを楽しみ、満足している日々が欲しかったら、「今の現実のままで」それをやること。やる内容が、外仕事だろうとなんだろうと、そういうことはどうでもいいのです。それに負けちゃダメなのです。過去の自分の気分が創り出した今の現実から逃げていると、その逃げている今の気分が先の未来を作ります。なによりも、「今」が大事なんですね。

今のわたしたちが気に入らない現実にあったとしても、その現実の中で、未来の材料となる「気分」を良くしなくてはなりません。意外とやれるから!嫌なおばはんに挨拶するときと同じだから!大丈夫よ!!

有名な言葉に

二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。
ひとりは泥を見た。ひとりは星を見た。

というのがありますよね。このあと二人の運命は大きく別れていくのです。同じ鉄格子の中にいても、ひとりはその目の前の現実の景色に負けて、それに準じて泥を見てしまったのですよね。意思を使っていないのです。もうひとりはその目の前の景色に負けず、目線を上げて星を見たのです。

星を見る行動が、ハッタリでいいのです。このハッタリ、つまりただ気分に流されるのではなく、その反対をするのが”意思”だということです。

行動が最初、ハッタリでも構わないんですね。なぜならそれで実際に物理的に星を見さえすれば、わたしたちはつい思うのです。ああ、星って綺麗だな、と。美しい気分になりますよね。それが現実になる。だからそのきっかけは、ハッタリで構わないのです。

ハッタリかまして元気なふりをしないと、悲しい気持ちをシカトしないと、誰も刑務所から星を見る気になんてならないからです。まずは気分はどうでもいいから、違った行動を取る。ラグジュアリーなホテルで窓際にいたら、気分がいいものだから、誰だって苦もなく自然と星を見るでしょう?その真似を「刑務所にいても」するということです。

というわけで今日は、一昨日の記事の補足でありました。欲しいわたしたちのマネを、今からしましょう!できるできる、一日ひとつからでもはじめましょう!!あなたは、どんなあなたになりたいですか?

それではまた、明日ね。

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