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762/1096【二択の幻術を破れ】優先すべきは、相手か自分か

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で762日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

762日目。鬼滅の刃の大旋風が起こっていることが嬉しい毎日です。鬼滅の世界観に触れる人が増えるのは、心から善きことと思います。

あの物語に涙する人が、わたしは好きだ…!!わたしは、作者の呉峠さんの成されたことを、まるで現代の世直しだと思っています。とてもとてもひと言で言えるものではないけれど、”善良である”とはどういうことなのか。それを改めてドッカーンと世に投げてくださったと思うのです。アニメを観ながら漫画で読みながら、我が身を振り返って、懺悔ばかりしました。

あの世界観を知った人を、わたしはある種の仲間だと思っています。そしてまた、ある種の役割を担った人だとも。

わたしも勝手に、自分の中の鬼と戦ったり、鬼殺隊の在りかたから受けた刺激をこの毎日投稿に生かしてみたいと思います…できるかぎり、憧れを追って。。

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今日は昨夜から心に決まっていたことを書こうと思います。それは、自分を優先するのか相手を優先するのかという、このお仕事をしているとよくテーマになる話題について。

わたしは個人的には、人にズバズバとものを言って傷つけたりしてまで、自分の勝手ワガママやその場のすっきり感を通さなくていいと思っています。いや、意外かもしれませんが!!けれどもそこを、あまり重要だとは思っていません。

しばらく前にユーチューブで聴いた、斎藤ひとりさんの「大抵のことは我慢しな」という言葉がわたしは大っ好きです。なぜなら、「はっきり物を言ったほうがいい」という人の言い分も場面によっては大切なことだしよく分かるのだけれど、あらゆる場面でそれだけが正解だとは思わないからです。

わたしはある時、知人とレストランに入りました。そこでその知人が、未熟なスタッフに対して遠慮のない言葉で未熟さを指摘し、客としてこちらの要求を当然のこととして迫ったことがありました。もちろん、お金を支払う側が対価として得られるものと見れば当然の権利だとも言えるだろうし、そのスタッフさんが慣れておらず完璧でなかったのは事実でもあるのだけれど、わたしはその場に居て、いたたまれない思いでヒリヒリしました。そのスタッフさんは傷ついた様子で慌てながら謝って対処しました。知人は「したいようにするわたし、いいでしょ」と言わんばかりだったけれども、わたしはそこに同意しませんでした。

いいじゃないか、損をしたって、ちょっとサービスが足りなくたって。相手にまだ慣れがなくてサービスが優雅でなくて、気遣いがなくて失礼で、それでこちらの望んでいた快適さが損なわれたって、それが、どうしたというのだろうか。自分のことしか見えていないのだろうか。そう思いました。あと少し優しく、少しだけ丁寧に、できたら相手のめっちゃいい思い出になるように、仕事が面白くなるように、心遣いをしてみるほうが、ずっと気持ちがよくなる場面だったじゃん、、、と思いました。

とはいえ、そう言うわたしこそがいい年して本当に少しも人格者になれずに自分に呆れてばかりいるから、立派になれたらいいとは思いながらいつも失敗しています。ウウ…お恥ずかしいかぎりです…でも、少なくともそういうときに「このちょっと困った相手にどうやって助け舟を出せるか」と考えるほうが、自分の気持ち的にもふんわりしていいなァとは思うのです。

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きっと今の「個の満足」を追求しよう!というブームの中でこういうことを書くと「それは違う!」と怒られてしまうのかもしれないけれど。でもそんなことはいいのだ。わたしはそこに刃向かっているつもりはないのです。

わたしたちが、自分の喜びを純粋に追うことはもちろん大切で美しいことだし、それがおかしいと思うと言いたいのでは断じてありませぬ。反対の意見なのではなくて、むしろその枠を破ってみるということについて、お伝えしたみたいのです。

とても大切だと思うのは、誰かを思いやって、自分がなにかを通すのを遠慮して譲ってみたり、自分が言いたいことをちょっと引っ込めて笑顔を送ったりしたときに、決して自分をダメだと思わなくていいと思う、ということ。そこで、自分をとった、他者をとった、どちらを優先した、というふうに分けて考えることそのものを、まるっと見直してみると、スピリットがとても喜びますよ~!ということ。これから先の時代は、その分けて考える概念を溶かすほうをやっていってみませんか?とお誘いしたいのです。

”相手を優先した”と考えるから、嫌な気持ちになるのですよね。でも、だったら自分を優先する!と考えると、そこに”戦い”を含んでいるのです。自分か、相手か!となってしまうと苦しいのが、わたしたちなのですよね。人間って優しいんです。やさしいどうぶつ。

相手か自分か!ではなくて、”相手を優先することによって自分が得たもの”に目を向けて、「それを得たくて自分を優先したんだ」と考えてみる。このひっくり返しのほうが、人類のハートにはとても親和性があります。

自分か、相手か、の勝負をやめていくことって、なんだか相手のために我慢をしていくことのように捉えられがちなのですが、そもそもその我慢がほんとうに終わるのは、自分か相手か!という枠が自分から落ちてからです。

自分が笑顔になったとき「だけ」が、わたしたちの満足じゃない。
相手を笑顔にしたときに、自分が「失った」わけではない。

自分か相手かどっちを優先するか、の勝負に疲れた人はこう考えてみて。
相手の笑顔も選択肢に入れて、さてそこから、自分の奥から自分をほんとうに喜ばせる、心地の良いほうを選ぼう、と…!

”自分の思いを無視した”のではなく、”自分の思いをしっかりと受け止めた”と気がついていられる意識でいることなのです。波動も細かくて高くて、でもしっかりとグラウンディングしているでしょう?!

わたしは、『自分のワガママを通すことだけ』が、良い選択なのではないと思います。嬉しい感覚って、もっといろいろありますね。個人だけの満足よりも、他者を巻き込んだところから探る満足のほうが豊かなものですね。

わたしはしょっちゅう、先のレストランのスタッフさんの例のような場面で、内心困ったなと思うような場面でもキッパリと笑顔で「ありがとう」「大丈夫ですよ」と言ったりします。相手が悪かったり、失敗されたり、ずさんだったりしても、そういうことは、大したことではないのです。もしかしたらその人は、その日とても辛い思いをしたのかもしれない。だから、希望は丁寧にお願いをするし、叶えてくれたら頭を下げます。

それを嘘や建前と言う人もいると思うのですが、わたしはそうは思わないのです。それが本音なのですよね、笑顔のほうが奥の奥の奥からの本音です。「なんだァ?あのスタッフ!なめあがったな?!んにゃろんにゃろ~~(鼻息暴風)」というのはわたしの表面の反応で、少し待てば通り過ぎていくものだから、本音などではないからです。わたしにとっては、それを優先するほうが結局は後味が悪くなってしまいます。「言ってやった、当然だ」というのは、胸の真ん中では心地よくなくて悲しいからです。だからまあ、結局はある意味でぜんぶ、自分のためですよね。ダハハ…

「間違いを指摘して相手を直すべき」という人も居ますが、仕事の態度の悪い人は、寂しいか、つまらないか、悲しいか、虚しいのだと思うんです。まずもって、ハッピーな気分じゃないのです。辛いのです。そこに対して横柄な態度に出ると、相手を直すどころか、その人はますます仕事が嫌になっちゃうと思うんです。

でも、一度実験として全力やってみてほしいのですが、そういう人に対してこそ、笑顔で、楽しく話しかけて、ありがとうありがとう、と応援の心を込めて伝えて、自分の中の優しさをぜーーんぶかき集めて爆裂させて接してみてください。

「ふっふっふ出ましたね。あなたの不機嫌力は5万程度ですか…しかしわたしに勝とうというのは不可能な話です。わたしのご機嫌力は53万です」と、フリーザの声で脳内再生すればいいのです。あくまで脳内ですからね?!声に出して言っちゃうとちょっとまずいです。

するとなんと、ときに相手からも笑顔が出たりもしちゃいます。それどころか逆にそのモンスターさんが一生懸命にサービスに当たってくれたりすることもあったりしますよね。勝負じゃないけれど、でももうそのときこそ、オラたちの勝ちです。相手の不機嫌に負けちゃダメ。巻き込まれちゃダメなのだと思うのです。考えてみてください、このとき「自分か相手のどちらかが優先されている」のでしょうか?

すごいマンモス級(古)の、半端なく態度の悪いモンスタースタッフさんに出会ったらば「こちらのご機嫌&優しさ」と「相手のモンスター級不機嫌&悪態」と、どちらが勝つかの勝負をする、という遊びにしてみると面白いですよ。でもこの勝負をする人って、相手を優先するか、自分を優先するか、ではなくなっている。もうもはや「相手か自分か」という枠を超越しているのです。

というわけで今日は、優しいってカッコいいねという思いをこめつつ、これからはもっと意識を自由に広くして、「相手か自分か」の枠を突破するチャレンジをしてみないかい!というお誘いでありました。

相手の『不機嫌波動術』が強いのか、それともあなたの『ご機嫌菩薩斬り』が勝つのか。勝負をするのなら、このほうがわたしたちの運気を上げてくれます。ぜひ己の心の鬼を鎮めて、菩薩の呼吸・全集中にて…
ご武運を!!

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)