613/1096 あきらめて、神の潮流に乗る
吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で613日。
(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)
613日目、note上の記事が自伝なども合わせてこれで700記事目だ!
もはや1記事目から読み直すのが大変な量になってしまった。
みなさんも見たことがあると思うのだけれど、漫画の絵の巧さが1巻と10巻ころではだいぶ違ってきているように、以前の記事を見ると自分でも今との差を感じる。
同じ作業を積み重ねることは、自分の元々持っていた可能性を引き出す作業なのだと思う。なにかを得ていくと言うよりは、元々持っていたものを磨く作業のように感じられる。人は繰り返してみないと出てこないものをたくさん持っていて、有限の時間で出会える自分もまた、限られているのだろう。
自分の人生の時間をなにに当てるのか、それを決めて動くということが、貴重な時間を裂いて引き出す自分を決めているのだと覚えていたいと思う。
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2011年の4月に移住してきてから、イタリアに住んで丸9年が過ぎた。もう10年目に入っている。知らぬ間に時間が経ったようで不思議だ。
移住後の生活で、自分がここに住み続けることをギブアップせずに、自分なりに適応してこられたことで、なにが一番大切だったろうかと考えると、「あきらめる」ということだったと思う。
わたしは海外生活を送るために、ものすごくたくさんのことをあきらめてきた。そして、あきらめることの強さや潔さを知ることができた・・おかげで「受け入れる」ということを深く学ぶことができたと思う。
日本にいるころは気がついていなかったけれど、わたしには同じところにいたために持っていたたくさんの依存症と中毒があって、ここに住むためにそれらをあきらめてきた。
日本のコンビニをあきらめたし、TSUTAYAをあきらめたし、日本語の本のたくさんある本屋さんをあきらめたし、日本の食べ物を、日本人の行き届いたホスピタリティを、日本語を話す人々を、祖国にいる安心感をあきらめた。
夫と仲が悪かったころ、夫を変えるのをあきらめた。
自分が病気ばかりしていたころ、いつも健康体でいることをあきらめた。
あきらめてばかりだ。でも、あきらめて初めて見えてくるものに、どれだけ自分が救われてきたことだろう。それは、今の自分の環境を受け入れることであり、今の自分を受け入れることであり、とても幼かったころに持っていた「なにをも否定しない前向きな心」を思い出させてくれた。
あきらめる、というと多くの人が後ろ向きな心だと思うことだろうけれど、あきらめることから広がる可能性は、ひとつの可能性に執着することと対極にあるのだと思う。
日本のコンビニが無いことを不便で苦痛に思っていたわたしが、それをあきらめないとすると、日本に帰るしかない。コンビニのためにイタリアを捨てる、という選択だ。
あきらめられずにいる間、イタリア人はあの便利さを知らないのだ・・!という気持ちがあった。なんという上から目線!でも、きっぱりとあきらめてしまうと、コンビニがなくても楽しく生活しているイタリア人のことがようやく見えてきた。彼らはコンビニがなくても陽気だ。そしてわたしにもそんな部分があったということがふんわりと溶け出してきて、そこに落ち着く自分がいた。すると、なぜあれほどまでに自分がそれを求めていたのかが不思議になってしまった。今思えば、その執着に多大なエネルギーを注いでいたのがわかる。なくても困らない、となってみたら、握りしめていたものを手放したような安堵感があった。
こうしてあきらめて手を離してしまったものが、この9年でいくつあっただろう。そのたびに、それまでそれを握ることに使っていた領域がフリーになるのがわかった。そうとは言えわたしは便利な生活がくれるものが大好きだけれど、それにガッツリと中毒になったとしても、環境が変われば適応して解除できると知ることができたのは、嬉しいことだった。人は何色にも染まり直せるものなのかもしれない。
このことからわたしは、こんな考察をするようになった。たとえばもしわたしたちが、今自分の持っているもの・・・環境や自分自身の性格や執着にいたるまで、なーーーんでもかんでもあきらめてしまうとする。
ぜぇーーんぶ、自分のせいじゃないと思ってみる。
なにもかも変えなくて良くて、変える責任も自分にはなく、変えられるものでもなく、問題を解決するのは自分という個ではなくて、この宇宙全体の働きだ・・
ただただ野に咲く花のように、今ある環境と自分を携えて、そのままの自分で生きる。なにかを変えるのも解決するのも、すべて宇宙任せ神さま任せ。
ここひとつパラドックスを含む点があって、それは「なにかをあきらめたくない」と感じる自分さえも、あきらめるということ。
そんな感じも湧いてくるし、それでいい。あきらめずに頑張ればいい。
なにもしないわけではなくて、なにかをしたいと感じる自分にも「へえ、こんなものが湧いてくるんだな」と受け入れてそこにつきあってあげる。
たとえば経済的に苦しいとしても、それを苦しいと思う自分も、なんとかしてもっと豊かになりたいと思う自分も、そのために動く自分も、なにもかも「神さまの計らい」として受け取る、受信装置になってみる。
日常生活を変化させずとも、仕事をいつもどおりするのだとしても、なにひとつ変えないままで、ただ「そういうものなのだな」と思ってみる。暮らしに変化をもたらさずともやれることだ。
合言葉は、「へえ~、そうなんですね」だ!
わたしは仕事に行く。行かなきゃならんと思うから。
へえ~、そうなんですね。
わたしは英語の勉強をする。ペラペラになってみたいから。
へえ~、そうなんですね。
わたしはいろいろあきらめちゃいけない気がする。あきらめたら自分が駄目になる気がするから。
へえ~、そうなんですね。
そうなんですね、神さま。
これでいいんですね、知りませんでした!
送信される人生を、ここで受信してますよ~!
自分に湧かせてくれているものを受け取っていますよ!
用意してくれた宇宙を、味わってますよ~!
いろんな意思が湧いてきますが、それをやってしまっていいんですよね。
何もかも任せて、安心しちゃっていいんですよね!
もしこれを、ほんとうに想像し、ほんとうにそんな気持ちになってみるとする。そのときあなたに、どんな抵抗が湧いてくるだろう。それすらも、あきらめてしまっていい。(想像はタダだし、試しにやってみて!w)
そこで「ああ、それなら自分を責めなくてもいいね」「なんかそしたら、ゆるんじゃうな~」「神さまのやることに間違いはないっしょ!」「仕方ないもんね、変えられないならもう神さまの好きにしちゃってよ、わたしはお先に解放されるわ~あとはよろしくね~」という安心が生まれたとしたら、
どうかそれを覚えていてほしい。好きなときにいつでも発動して欲しい。その安心こそが、あなたの現実にそのまま染み出してくるのだから。
沈まないように一生懸命泳いでいたところで、もしそれが辛ければ、あきらめて潮に身を任せる。
「もういいよ、神さまの作った潮がどこに運んでくれるのか見てみたいわ~
自分にはどんな岸が用意されているんだろう、港ではなにが起こるんだろう、楽しみにしとくかあ~」とゆるんでみる。すると、力むのをやめた身体がプカプカと水に浮かんでくれるのと同じように。
今不安に思っていることも、あきらめてみたら安心となって帰ってくるのだ。方法なんてわからなくていいから、先に安心してあきらめてしまうこと。その執着へのバイバイにこそ、先に取り組んでみることだ。そして湧いてくるものをただ受け取って動いていく。
湧かないことはやらなくていい。湧いてきたことをやっていればいい。自分を否定して戦わなくていい。自分や現実をやりこめなくていい。ハンドルを離してしまっていい。もし自分が今の現実に対する身勝手な操縦をあきらめたところからそう思えたら、それは操縦席に始めからあったのに、これまで見えていなかった、「安心発動ボタン」を見つけたということだ!!見つけたらポンっと押して、これからの人生を映画のように鑑賞してみて。
その「じゃあなんでもいいんじゃないの~~あはは、あはははは(お花畑で蝶を追いながら)」の感覚が、あるがままの自分を受け入れた感覚。興味があったら、ただ何もかもをあきらめて任せるということを、心を預けて想像してみてね。これはすべての人が取り組むことのできる、偉大なワークです。宇宙というクッションに、思い切って倒れ込んでみましょう!
というわけで今日は、宇宙にすべてを任せる感覚についての、シンプルな解説をしてみました。なかなかに怖い気もすると思うけれど、執着はまたいくらだって握り直せるのだもの。タダだし(しつこいw)、外からは誰にもわからないし、この記事に出会った運命を信じてどうかやってみてね。
わたしたちはひとり残らず神の潮流に乗っていて、頑張ってそれに逆らわずとも、たゆたいながら運ばれるところがあるのです。
どなたかの、今すぐでなくても、あと効きして心の解放につながる知恵となってくれますように。
それではまた、明日~!
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