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609/1096 不幸力を幸福力にすり替える

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で609日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

609日目、、朝から鬼滅の刃のキャラクターであれこれと最終回後の妄想などをしてしまったため、朝から脳内がすっかり大正時代に飛んでしまった!もう今後は、特技はなんですかと聞かれたら、妄想ですと答えよう。

わたしは「まぐにぃ」さんというYouTuberさんが大好きで、まぐにぃさんのゲーム実況を毎日超絶楽しみに見ているのだけれど、それと鬼滅関係のイラストを見たりするだけで超幸せで、うっとりしたりときめいたりできるものがあることが、自分の幸福の鍵だと思う・・・はあ~いいなあすごいなあ♥

自分の「うっとり」にはいつもどこかで「尊敬の念」が伴っているのだけれど、みなさんはどうだろう。わたしは、尊敬というのは快感なのだと思う!

今日はこの尊敬のこもったうっとり感に満たされたまま執筆だー
にゅふふふふふ(キモ

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今日は上のことを書いていた流れで(?笑)、幸福力、というものについて書いてみようと思う!

みなさんの身の回りに、幸福そうな人はいるだろうか。幸福そうな人を観察してみると、その人はきっと大富豪だとか、有名人のようにモテモテだとかいうことはなく、その人の置かれた環境に満足を見出している人ではないだろうか。

わたしたちはついつい、「あの人は定職があって毎月けっこういいお給料をいただいてるみたいだし、ご主人はいい会社にお勤めみたいだし、親も元気で面倒がないみたいだし、子どもだって良い高校に行ってるらしいわよ、そりゃ幸せよねぇ」みたいなことを言ってしまいがちだ。ちょっと近所の嫌なおばさん風になってしまったけれど(笑)、つまりこれこれの条件が揃っているから、その外部条件があってこそ幸せなのだと思ってしまいがちだ、と言いたかったのだ。喩えが悪かったかしら!!

わたしももちろん長年の間そう思っていた。まず子どものころは、くせ毛だと不幸で、直毛に生まれることがまずは幸福の第一条件だったと思っていた。それを、かたくなに信じていた。すなわち、自分はくせ毛だからまずは不幸だ、と思っていたのであった・・・・・

思春期の頃には、それに加え、自分は恋人ができないと不幸で、恋人ができることが幸福の条件なのだと心から信じて疑わず、、、いや、心で抱えきれないほど、辛い真実として信じ込んでいた。だから、恋人を失ってしまうことに対する危機感がとてつもなく高く、恋人ができた時点で蜘蛛の巣にかかった昆虫の気分だったのだ。仲が良くても、蜘蛛が今はまだこちらに気がついていないだけで、ちょっとでも危機が訪れると、ああ蜘蛛が来る、逃げなくては、なんとしても逃げなくてはーーーー!!ともがいて、ますます糸に絡まって状況を悪化させる哀れな虫だったのである・・・

結婚してからは、子どもを産むことを自分の幸福の条件としてしまい、それが叶ってくれますようにと神仏に祈るほどだった。

こうして、わたしにはいつだって、自分の幸福に対する条件があったのだ。

でも、よくいろいろなところで言われるように、真に幸福な人というのはその反対で、条件がどうであろうと幸福を見出すことができる。
幸福力の高い人は、環境が変わっても結局幸福を見出すことができるので、ちょうど目に「幸福フィルター」がかかっているようなものなのだ。

ここでちょっと話は飛んでしまうのだけれど、わたしの祖母はいつもいつもどんなときにも、愚痴と不平不満をこぼしている人だった。
祖母はリウマチに侵されていて、まだ20歳にも満たないころに発症したそれに、生涯苦しんだ人だった。手の指は痛みとともに恐ろしく変形し、膝に至っては四六時中強い痛みがあった。祖母の人生は、走ることはおろか、歩くことすらままならないものだった。

わたしはそんな祖母が不憫だった。だから、祖母の心が嘆きと不満に満ちていることをしかたがないと思っていた。

しかし、驚くことにこの不平不満設定のマインドは、母を経由してわたしにまでコピーされていたのだ。母もわたしも祖母のようなリウマチを持っていないというのに、つい意図せずとも目の前の現実から不満ばかりを抽出してしまうのである。わたしは自分のこれに気がついたとき、祖母のそれとそっくりであることに戦慄した。もうほんとうに、まったくそっくりなのだ。

くせ毛だから不幸だ。幸せな恋愛ができないから不幸だ。仕事が見つかっても嫌な人がいるから不満、お金が入っても豪邸を買うほどではないから不満、雨が降れば不満、寒ければ不満、もうなんでもかんでも不満不幸の裏付けに利用してしまうのである。それがもう、悪気などないのだけれど、まったくの自動反応なのだ。恐ろしいことだ!!

これに気がついたときに、この不幸の連鎖は、自分の代で断ち切らなくてはならないと思った。子どものためと言うより、とにかく自分がまず嫌だー!!と思ったのだ。

冷静になってみると、つまり自分は幸福力ではなく「不幸力」が高かったのだと思う。まず、どんなものにも不幸査定をすることができ、すぐに不満ポイントを見つけて認識して言語化できるのだ。その能力の高さときたら。不可能はないほどなのだ。

恋人ができればすぐに疑いを持ち、引っ越せばすぐに家の構造に不満を見つける。どんな物事にも大変な面や嫌な面を見つけることができた。人は言い訳をするときに最もクリエイティブになれるそうだけれど、それと同じようにわたしは、不幸面を見つけるために、自動的にものすごくクリエイティブになれるのであった。その精度、パワー、スティーブ・ジョブスのプレゼン力に打ち勝てたほどであろう!!

でもこれを、単に幸福面を探すほうに使ってみると(最初は無理やりだけれども)、やはりその敏感さ、クリエイティブさはそちらにも使うことができるのである。

こういうときに、わたしは不幸力のことは放っておくのがいちばんやりやすかった。不幸力を「消そう」とか「変えよう」などと考えて、不幸力のことばかりを見てそれにばかり関わってしまうと、それは続いてしまうどころかますます強まってしまうから。

不幸力の強い自分のことは、とりあえず査定方向を変えれば相当の能力の持ち主だ、と思って放っておいて、そのままやらせておいて、うんうんそうだね育った間に受け継いだものだし、仕方ないよね、と、むしろ自分に優しく味方をする材料にしてしまい、

それとは別のところで勝手に幸福面サーチをまずは頭だけでやってみるのである。ちょうどそっくりな意識の使い方として、モグラ叩きや間違い探しをするときのように。はい見つけたー!って感じでまったく構わないのだ。

そこに深く幸福を感じ、その間は不幸をちゃんと忘れ・・・とやれないとダメかと思われがちなのだけれど(それだとそこでまた不幸力のほうに気が向いている)、単にサーチして見つけていくだけでいい。これが最大のコツである!!じつは見つけるだけならあまり感傷的になる必要はなくて、感情を使おうと意図してしまうと、やはりいつもの不幸感がいつものように顔を出し、心を支配してしまって邪魔をする。モグラ叩きでいいので、まあこう考えればこの部分では幸せって言えるかもね~と見つけるだけでいいのだ。

思考回路を水路に見立てると、干からびて水の流れていなかった幸福サーチ水路に水を何度も流すのだ。いずれそこは水路として開通し、実感が伴うようになり、感情とも繋がり始める。だから、まずはサーチをしてみよう。見つけたときに書き出すようにすると、さらに強力。

そうやって、自分の目ざとさを幸福面サーチに使うことを癖のようにやってみるようになると、慣れとは恐ろしいもので、ついついあまり考えずともそちらを見つけて目を向けてしまうようになるのです。
そこで徐々に湧いてくる「よかったな~」「嬉しいな」「そう思えばありがたいな」などという感覚は、いずれ現実にも鏡のように現れてくるのです。嬉しいことですね!

というわけで今日は、不幸力をそのままに、それを幸福力にすり替えていく方法についてのわたしの好きなアイデアをシェアしてみました。
ポイントは、不幸力は高いままでいい。幸福サーチは心を伴わなくていい。モグラ叩きのように、間違い探しのように、あった!こういう見方ができなくもないねえ!というように、思考から入ってゲームのように見つけていくこと。でした。使って遊べるお方がおられますよう!

それではまた、明日ねー!

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