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805/1096 直感とつながって生きるコツ

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で805日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

805日目。ヴェネツィアは今月に入ってから毎日雨が降っている。暗くて寒くて鬱々とした天気がもう1週間以上になる。家の造りが日本と違うため、嵐の下にいると騒がしい!ストームシャッターのバタバタとする音を聴くと、日本にいないことを思い出す。日本にいる頃は、嵐が外で起きていることだと感じたのだけれど、こちらではなんだか家そのものが嵐に加担しているような感じがする。

この毎日投稿を書き始めてから、幾人もの人が意を決して毎日書くことを始めたとお知らせしてくれた。ときどき、どうしているかしらと思う。天気が悪い日などは、なんだかそんなことを考える。今も書いているとしたら、そして今もこれを読んでくださっているとしたら、寒さに気をつけて頑張ってね、互いに楽しくいこう!とお伝えしたい…!!

わたしは今日も淡々と書くぞ!900日目というほとんど憧れの領域に、静かに近づいていくのだ。暗い嵐の中で、家にこもって今日も書こう!ああ、暖房も服もあって嬉しいよ。ありがたきことなり!!

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昨日、大島ケンスケさんとYouTubeで突然のライブ配信をしました。フェイスブックにも流したので、見てくださった方もおられたかもしれません。

そこで直感に関してご質問にお答えしながらおしゃべりをさせていただいたのですが、そのときに感じたことを今日はひとつ書いてみたいと思います。

直感とは何でしょうか。わたしは、わたしたちが直感というものを誤解しやすいものだと思います。わたしたちが直感だと思うことの多くが、わたしたちの心のことなのです。

世の中ではよく「心に従って決めよう」「心に従って生きよう」と言われますよね。すると、心で思っている通りに動けばいいのだと思ってしまいがちです。が、これがそんなことはないのです。

わたしたちの心はとても気分屋でいい加減です。心って、コロコロ変わってしまうのですね。例えばちょっとカチンとくるようなことがあってその場ではものすごく憤慨しても、多くの場合、その怒りはあっという間に過ぎ去ってしまいます。悲しいときにも、一通り泣くとお腹が空いてきたりします。

そして、心というのはいつもわたしたちの爬虫類脳に支配されやすくて、身を守ることが最優先です。だから、すぐに不安になり、すぐに心配して、悪い想像をしてしまうのです。これを、直感だと思って従ってしまうのは、言い方を変えると心に負けてしまうのと同じなのです。

ちょっとでも嫌なことが起こると、わたしたちの心には、まず不平不満が訪れます。間髪入れずに起こります。本当にちょっとしたことで。たとえば街を歩いていて誰かに肩をぶつけられただけでも、その瞬間はカチンと来て、「なんだあの青っ鼻野郎、ひと言くらいなにか言ったらどうなんだ!」と思いますよね。え?”青っ鼻野郎”とは思わないですと?そうですね、みなさんはもしかしたらもっとオシャレに、”ブルーっ鼻野郎”と思うのかも知れません。(※英語ではそうは表現しません)

そして、すぐにそれは消えていきます。そのかちんと来た瞬間と同じ怒りがずっと続く人っていませんよね。心って、これこれこういう事が起こったら当然こう思うものだ、とパズルのように因果関係を見出してしまいがちですが、肩をぶつけられたという事が起こっても、一秒後と1分後ではもう違ってしまうのです。あっという間に変わってしまうのだから、当てにならないものなのです。

なにかを考えたときにもそうです。すぐに心配になってしまいます。心の手綱をとっていない人は、すぐに本能むき出しで心配してしまうのです。このいい加減な『心』というものをリーダーにして動くのは、コロコロ気が変わるボスのもとで働くようなものです。それだと、物事がうまく運びません。
「今日は無礼講だ無礼講。思ったとおりに言ってくれ!」と言うものだから、それに従って「ボスの指示がコロコロ変わって困るのですが」と言ってみたら「何だとてめえ、立場わかって言ってんのかゴルァ!!」などと言い出すボスです。従ってはいけないのです。

心というのはコロコロ変化する。だからわたしたちは、「心に従う」のではなくて「心を従える」ほうがいいのですね。

わたしたちの心は、放っておくとすぐに悪い方に考えてしまいます。これはこれで良いのです。青っ鼻野郎にぶつかられたらカチンとくるし、何かがうまくいかなかったら次もダメな気がしてしまいます。それはOKなんですね。ただ、心は心配屋さんなので、それに従っていたらキリがありません。なんでも心配になってしまいます。どんなことでも、リスクを考えて動けなくなったり、一度始まった嫌な考えがエンドレスでやってきたりしてしまいます。そういうときわたしたちは、その心の作用に負けて、自分の頭で考えられていないのです。

だから、たとえば一度青っ鼻野郎にぶつかられた通りを歩くときに、ふとあの野郎の顔を思い出したり、またぶつかられるような気がしたりしたら、それは心が以前の記憶を引っ張り出して、悪い方に考えて、また同じようなことが起こると警告したいだけなのです。これは、直感でもなければ「従うべき」ことでもなくて、「その可能性がゼロとは言えないね、そうだね」という程度にしか相手にしなくていいことです。

心に従ってだんだん悪い方に考え始めるとキリが無くなって、「あの青っ鼻野郎はずいぶんと強気だったぞ、謝りもしないんだから!もしかしたらあいつは実はヤクザで、あのエリアはあの青っ鼻野郎が牛耳っているのかもしれない…!!」「だったらもうあそこを歩くのをやめるべきなんじゃないか?!相手は俺の顔を覚えているのかも知れないじゃないか!!」「考えてもみろ、あれはわざとぶつかったに違いない…俺が以前あの通りで花子ちゃんをナンパをしたのを知っていて、あの界隈の女に手を出すんじゃないという警告だったんだ…!」などと考えたりしなくていいのです。これこそがまさに、心に従ってしまっているということなのです。

わたしたちはこうした心配の思いつきを、直感だと思ってしまうことがあるのですが、これは直感として扱わなくていいのですね。もしそれが転がした雪だるまのように膨らんでしまった心配からやってきた思いつきなのだとしたら、「心は俺を守りたいんだな、だから心配をしてしまうんだな」と思って優しくなだめましょう。「大丈夫だよ。あのときたまたまぶつかっただけなんだから。大げさに考えることはない。心配ないさ」と思う。「何かあったら警察に相談すればいいんだから。俺はなにも悪いことをしていないのだから。だから卑屈になる必要などどこにもないぞ」と思う。こうした落ち着いた考えを持ち出す。それを、爬虫類脳が自動で働かせる心配に対抗して、大脳新皮質で行う。これがわれら地球人の脳が大きい理由です。われら人類に与えられた、前向きで自由な力です。

不安は自動で起こります。これが命を守る自然な作用です。そして、それを吹き飛ばすのは『意思』です。意図的にやるのです。だから心に従ってしまわないこと。心がやっていることは、そのままでいい。相手にせず、やらせたままで眺めるのです。心配する自分を「大丈夫」の手のひらに乗せて、にこやかに眺める。心に従って惑わされるのではなくて、逆に心を従えるものの姿ですね。禅師のお坊さんでなくても、わたしたちにもこれができるのです。

コツは心配する自分を責めないこと。仕方ないと思うこと。いじくらず、加工せず、すっかり諦めて、可愛い哺乳類である自分を愛で眺めること。いいのよ!!心配していいのです。このおかげで死のリスクを回避して生きているのだもの。わたしたちは生物だから、これを否定しなくていいのです。

怯える子どもを見たら優しく撫でるでしょう。同じでいいのです。「フフ、そうだね怖いよね。大人でも怖いよ。でも大丈夫。良いほうに行くんだから!今に見ていてご覧。本当なんだから!よかったね」と言いますよね。

爬虫類の自分にそうやって微笑むのです。そこに「意思」を使いましょう。するとね、わたしたちの現実はそれに呼応するのです。現実がこちらにも微笑みかけてこう言ってくれるのです。「怖いね、そうだね、でも大丈夫なんだよ、ほら!こんなに良いほうにきたでしょう!よかったね!」と…

そうやって自分の「意思」を良いほうに向けて自分のために使ったときに、ふと湧き上がったアイデア、それを直感だと思ってみてください。それこそがわたしたちを導いてくれる良きものですよ。これが直感を使うときの良いやり方なのです。

というわけで今日は、「直感」について、誤解されやすい点と拾い方についての易しい観点のシェアでございました。使ってみてねー!!これであなたも直感の使い手です。いや~嬉しいな!お役に立ちますように。

それではまた、明日ね!!



毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)