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【質問回答】過去への後悔が激しくて、未来に手を伸ばせません…

私は質問回答の回答自体を考え込むということがほとんどなく、質問を読ませていただいたらすぐに答えが決まります。

そこにほとんど時間差がないため、果たしてそれは自分で決めたのか、それとも直感的なもので決めてしまっているのか、大いなるサムシングに決められているのか、運命は決まっているのか、なにが故になのかがわかりません。そしてまた、それらの理由は同じことなのだとも感じます。

だから決めてすぐに「いや待て、いいのかそんなふうに書いちゃって…」などという弱気な迷いが生じたときにどうしているのかというと、以前は徹底的に付き合って消化してから書いていました。が、もう現在では「どうせ毎回必ず消化する事ができる」と知っているため、無視しております。

すると、書いているうちに迷いはどこかに消えていて、無視したことすら忘れています。人は迷っている時、幻のオバケと戦っている。そのオバケは己の弱気が創り出したものだと考えると、弱気こそが自分に対していちばん攻撃的なもののように思えます。

この攻撃は「弱気」という材料でできてているため、本人が弱気になるとそれを吸収してもっと攻撃に勢いを増してしまいますよね。だから、無視。もはやこの質問回答は、自分にこの無視力を鍛えるための修業の場を設けてくれたのかもしれないとすら感じられます。

さて、今日はこちらのご質問にお答えいたしますよ。

私たちが過去の自分に言いたいことがあるとすれば、それはそっくりそのまま、自分が現在の自分に言いたいことなのです。

質問者さまが、過去の自分に思っていることと同じように、今の自分に対して「自分から取りに行かなくても差し出してもらえているものがあるのに、なぜ受け取らないのか」「勇気を出せば手に入るのに、なぜ勇気を出さないのか」と言っているということなんですよ。

きっとなにか思い当たるところがあることと思います。

過去というのは私たちにとって、いくらでも自由に書き換えられるものです。どんな味付けもどんな演出も可能です。過去というのは、なにより自由のきくものなのです。

例えば、ある女性がスマホでゲームをしながら歩いていたら、縁石につまずいて転んで怪我をしたとします。このことで彼女は、そのときにとても痛い思いをしました。そしてさらには、顔にその怪我のあとが残ってしまったため、あとからも何度も何度も後悔したとします。バカだった、もう少し注意深く見ていれば!と返し返しにも悔しがっているとします。

彼女がそれから、この怪我のあとを隠そうと思ってタトゥーを入れに行ったとします。するとそのタトゥーアーティストさんは、その怪我の形がとても不思議で素敵だと言い出しました。そして、これにはなにか意味があるから大切にしたらどうかと言うのです。

この時点で、すでにこの怪我についてはなんとなく感覚が変わってきますよね。そしてさらにそのアーティストさんは、彼女が顔に怪我のあとがあることで自信をなくしていることを知っているため、時々メッセージをくれるようになりました。そこでやり取りをするうちに仲良くなって、その人はやがて彼女と深く愛し合うパートナーとなりました。はい、もうこれは怪我をしてよかったといえるレベルです。

それに収まらず、なんとその人は大富豪の御曹司でした。そして彼女はめでたくその彼と結婚し、愛し愛されるとても幸せな毎日を送りましたとさ。となったらどうでしょう。こうなったらもう、あのスマホ歩きの日の出来事は、書き換えたくない過去だと思うかもしれません。この怪我をしてよかったと心から思うかもしれないのです。

これは大げさな喩えではありますが、この「顔に怪我のあとが残った」ということが、最悪の後悔から最高の出来事まで、いくらでも自由に印象を書き換えられることだというのがわかります。つまり、過去というのは今の自分次第でどのようにも見ることができるのです。

例えばこの女性が、このアーティストに出会わなかったとしても、仕事や結婚を通してとても穏やかで幸せな人生を生きているとしても同じです。

私たちの過去が1ミリでも変わってしまえば、その先の未来はすべて塗り変わってしまいます。ですから、彼女の過去が1ミリも違わずにその過去でなければ、現在の暖かな幸せには出会っていないのだということになります。それを思えば、今の自分の幸せを運んでくれた過去のすべてに感謝が湧いてきますね。

ダイレクトにいうと、今を好きなら過去もまるごと好きだということ。過去が全部そのままであってくれなきゃ困る!という感覚になるのです。

これを言い換えれば、『今に不満があるから過去にも不満がある』ということになります。本当は時間というものはなく、過去も未来も今このときにあるということから考えてもわかります。あなたの今の不満が、あなたの過去にも投影されているということなのです。

過去のすべてをどう見るかは、私たちの「今」にかかっているということ。今がすべてなのですね。

あなたは、過去へのジャッジを通して自分からのアドバイスを得たということなのです。それは自分から自分へのメッセージなのです。
「自分から取りに行かなくても差し出してもらえているものがあるのに、なぜ受け取らないんだよ!!」
「勇気を出せば手に入るのに、なぜ勇気を出さないんだよ!!」

自分が今の自分にまさしくそう言っているのです。
だから、この後悔が本当になる前に、動いて!!失敗を恐れて臆病風に吹かれている自分を野放しにしているから、自分で自分を「臆病者のバカバカバカ!!」と思ってしまうのです。それ、まだ続けたいですか?

過去をやり直さないと未来に幸せはないだなんて、そんな馬鹿らしい考えもないというほど馬鹿らしいことです。人間1人を見くびりすぎです。あなたはあなたを知らない。とんでもない力を持っていることを知らない。あなた1人に託された未来の可能性と輝きと、神と宇宙とをナメすぎです。

あなたという人が存在するということは、この宇宙ひとつがそのために存在していると言えることです。あなたはとんでもない存在なのですよ。この壮大な宇宙は、あなたが自分自身に負けて惨めな思いをするためにあなたを創ったわけではないのです。あなたにはこの先、あなたさえ望めば受け取れる豊かなギフトがある。このことを、ワケが分からなくても理由もわからなくても信頼してみてください。そういうものなのだと思ってみてください。だってそうなのだもの。それを悟るのを待たないで、そこへの信頼に思い切ってダイブするのです。

人生の最大の失敗は、行動しないことです。あなたは、今犯している失敗以上の失敗を経験することはないでしょう。だから動け!!いつまでもなにをしてんだよ、動けったら動け!!

最初のHが失敗に終わったら恥ずかしいからと、いつまで経っても童貞でいたいのか。百戦錬磨になりたいんなら、さっさと操を捨てちまいな!以上。

それではまたね。

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)