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【質問回答】過去に子どもに手を上げてしまった罪悪感から、親として自信が持てません…

質問回答に己の元気を降り注ぐ日々を送っております。もうこうなると意地になってきて、楽しいとか嬉しいとか幸せとか関係なく、楽しくなかろうが嬉しくなかろうが幸せじゃなかろうがやり切ったらァ~!という気持ちになっており、しかし私は知っているのです。人は、なんのためでもなく、己の幸せのためですらなく、根拠のない”意地”が発動してただ熱中を爆発させているときを、あんなに幸せなことはなかった、あんなに楽しいことはなかった、と思い返すものであることを。

だからといって、後々のその思いのために、今日を消費するというわけではないのですけれどもね。あなたにもありませんか。たとえばどこかの汚れを落とそうとしてグワーッと爪で削ったりなんかしているときに、別に最後までやる必要はないのだとしても削りきってしまいたい衝動に突き動かされたりすることが。あるいはあとからお皿に並べる食べ物をひとつひとつバットに乗せているときに、きれいに並べる必要はないのに、ひとつでも向きが違うと嫌だったり、綺麗に平行に並べたいと思ってしまったりすることが。

それは別に結果を求めていないし、なんの期待もないし、やったからと言ってなにか物質的な利益を得るわけではないのだけれど、そうしたい。そのすっきり感、その無償で無根拠な衝動に従いたいときがありますよね。

そうやってやりたいようにやってなにかを達成すると、立つ鳥が濁さずに去ったあとのような静かで主張のない、未完了の不満による波紋のない水面がそこにあるのです。あえて言うならですが、この無音の満足感のために本日も回答したいと思います。前置き長っ!!

私は、これはどなたもどこかで目にしたことのあるありふれた言葉だと思うのですが、「完璧な親などどこにもいない」と思います。また、完璧な親がよい親だとも思いません。どんな人にとっても、子育てというのは、我が子に対する100万の「ごめんね」を積みながらの道なのだと思います。

質問者さまがもしも、子どもさんが小さかった頃に手を上げてしまったことを完全に忘れてしまえるのなら、そのほうが怖いことだと思いますよ。そしてまたそれとは逆に、過去に手を上げたということで自分を責めて責めて、今後も自分にはもう子どもと幸せな関係を築く資格が無いと考えて卑屈になりきってしまうのも、良いことではありませんよね。

だから、質問者さまは今すでに、とってもよいお母さんなのです。子どもに恐れを抱かせてしまったことを心から反省していて、これからもそれを忘れずにいる。でもこれから子どもさんと良い関係を築きたいと切に願っている。これはとても健全なことだと思います。この、”「ごめんね」を手放さずにもったまま、これからも子どもを愛していく覚悟”はまさに、お母さんの愛です。

ならば、過去への罪悪感も持ったまま、自分にまったく自信のないまま、愛し方もわからないまま、これからもこんなに頼りない未熟な自分でやっていくしかないの?と思われるかもしれません。そうなんです。そうなんですよ…それが親ってもんじゃァないでしょうか。

質問者さまのご年齢がわからないのでわたしとはちょっと世代が違うかもしれませんが、私の育った昭和の時代は、コラー!言うこと聞きなさい!!と言って親が子どもをパーン!とひっぱたくなんてことは当たり前のことでした。程度問題はもちろんありましたが、親だけでなく、塾の先生や学校の先生までビタビタとはたくはたく!それを悪いものとは考えていない時代でした。ですから、親もそれに罪悪感をもつようなことがあまりなかったのです。
だから、子どもたちだって今ほどは親からひどいことをされたとは思っていませんでした。うちの親す~ぐにぶつからさあ!という感じで、あっさりとしたものだったのです。今のようになにかものすごく恐ろしく後ろめたいことをされたとは思わないのが一般的でした。

でも、今の時代はそうではなくなりましたよね。体罰は虐待とされるのが普通になりました。それによって守られる子どもが増えましたが、また別の側面では新たな苦しみが現れたのも事実だと思います。だから質問者さまも、その社会の変化の影響を受けて自分自身を過剰に恐ろしい母親だと考えているのかもしれません。
けれども、なにもしていない子どもを、ただの個人的な事情による腹いせで痛めつけていたというわけではなかったのですから、まるで母親失格だといわんばかりの罪の意識を持つ必要はないのだと思いますよ。怖がらせてしまったのは不本意だった、これからは同じことを繰り返さずに、もっと本来の自分を発揮して子どもを愛していこう、という思いをバネにして進んでいければよいのです。

私にも、娘へのごめんねがい~っぱいあります。あれこれ思い返すと、切なくてたまりません。一時期、娘がボーイスカウトに行くのが嫌いだと知らずに送り出していたこと。学校関係の用事をこなしてあげられなかったこと。お弁当を作るのを忘れて朝即席のものを作って持たせてしまったこと。夫と不仲で家の中がギスギスしていた時期があったこと。学校でアジア人差別を受けていじめられていたのを知らない時期があったこと。挙げればキリがないですが、とてつもなく申し訳ないと感じます。

私も質問者さまと同じく、それを今後も忘れません。忘れないけれども、クヨクヨしていても仕方がないので、それを糧に、今は当時よりも少しでも成長してそこに報いようと思っています。今朝は5時半に起きて娘のリクエストしたものを作ってランチに持たせました。小さなことですが、親のサポートって小さなことの積み重ねですもんね。ガバッと一気に、過去の「ごめんね」を返上できるような都合の良いことって、ないのです。

今日の子どものサポートと未来の自立を目的地にして、親も日々成長です!それに向かって進む車を愛情とすると、いっぱいのごめんねはガツンと効くハイオクガソリンです。

お互いにこれからも、親として大失敗をすることもあると思いますが、それをポン!っとなかったことにする魔法はないので、ひとつひとつのそれを、子どもへの愛をさらに発動するきっかけに変えていけたらいいですね。

当時のことにごめんねを持ったままでいるあなたは、まさしく母性あるお母さんです。我らは未熟ですが、未熟だからこその葛藤をもって、それをバネにがんばりましょう!応援しています。あなたに幸あれ!

それでは、またね。

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)