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82/1096 【克服秘話】家事が苦痛だという不幸

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。
3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で82日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。
そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

82日・・?80日になった!と思ったばかりだというのに、サッと2日が過ぎてしまった!早いものだ。日本行きの準備に追われて時間の感覚がなくなっている。
今日になって思うのは、もうもはや自分がこの毎日投稿を忘れたりサボったりはしないだろうということだ。
もし途絶えることがあれば、それはやむを得ない理由でとか、時差の計算を勘違いして投稿が24時間以上空いてしまったことなどによる、不本意な理由によってだろうと思う。
はじめのうちは、こんなに更新を強く意識して頑張ることによってやっと毎日続けられているというのは、良くないことのような気がしていた。それに、いつかはその力みが緩んで、息をするように気楽に続けられるようになってくるものだとも思っていた。
しかしそれらはぜーんぶ幻想であった。忘れたりサボったりする心配などなくなったとしても、だいぶ慣れてきたとしても、しっかり意識したままだ。
これが毎日投稿でなくて毎日マラソンだとしても、きっと同じだ。歩くように眠るように走ったりはできないだろう。それに、忘れていたのに気づいたら走ってきちゃってた、みたいなこともきっとない。
今日も走るぞ、という意識をしっかり持ったままだろうし、走ったあとはハーハーと息が上がるものだと思う。
そんなふうに何かを意識したままでいることを苦に思わず、自分に負荷をかけることを楽しむ、それでいいのだと思った。

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今日は火曜日にこちらを発って日本に行くことで頭がいっぱいだ。他になにも考える余裕がない。だから、毎日投稿に向かうためのシナプスも全部そっちに持っていかれている。日本に帰ることは嬉しいのだが、毎度この準備とフライトとが大仕事である。
しかし!書くのだ。今日も書くのだ!!
なぜこうして頑張るのか?それにはわたしのある体験があってのことなのだ。今日はそのことを書いてみようと思う。

昔サラッと読んだ村上龍氏のコラムに、彼は普段モナコや日本を行ったり来たりしながら、自宅だけでなくホテルや空港など好きなところで好きな時にお仕事をされているということが書いてあった。それを読んだ時に「うわーいいなあ」と思った。
そして同時に、「世界のごく一部の人しかこんなふうには生きられないのだろう・・・」と思った。すごく素敵だけど夢のまた夢・・・という気がした。それ以降、村上龍氏を思い浮かべるといつも空港でパソコンを開いてお仕事をされているイメージが固まってしまった。と同時に、わたしの憧れもまた、好きな時に好きなことだけをする人、というイメージで固まった。

女で、家庭を持っていて、子供がいたりすると、自由に世界を飛び回って暮らすというのは相当ハードルが高い。どうしても定住が必須となってくる。そして定住するとなると、それに付帯して本当にたくさんのことを保管・管理・運用しなくてはならなくなってしまう。
女性で、わたしのようにそうしたことの保持が苦手な人は生きるのが大変だという気がする。

イギリスの劇作家、ジェームズ・バリーは
『幸せになるためには、やらねばならないことを好きになることだ』と述べたそうだが、わたしもそう思うのだ。

この世に肉体を持って生きていると、やっぱりどうしても、快適に生きるためにしなくてはならないことがたくさんある。料理をしておいしく食べるとか、寝具を管理して暖かくして眠るとか、掃除をするとか片付けるとか、洗濯をして清潔なものを着るとか。
それで、それらのことが嫌いだと、それに当てる時間がどうしても嫌なものになってしまう。ため息が出てしまうし、人生の大事な時間をつまらぬことに使ってしまっているような気さえしてくる。わたしはこの問題がかなり根深かった。

お手伝いさんを雇ってやってもらうことも手だと思うが、なかなか100%とはいかないものだ。
わたしは自分が今よりずっと不安で傷ついていた頃、部屋の片付けすらも本当に嫌だった。自分のいる空間を快適にすることすら、面倒でたまらなかった。ニート時代は部屋に足の踏み場もなかった・・・それに、自分の着るものにまで不精で、ひどい格好で過ごしていた。

片付けに限らず、母の仕事だったことはすべて嫌だったのだ。そこには、わたしが母のようになりたくないという気持ちが関係していたのをずっとあとになってから気がついて、自分でも非常に驚いた。
 
わたしは子供の頃に、母が家事をしている姿を、とても惨めなものとして見ていた。母はいつもため息を付きながら、眉間にシワを寄せて掃除をし、我慢に我慢を重ねて家事をしていた。それでも母は決してそれらをサボることがなかった。主婦の鑑と言えるほど、お弁当も毎日の食事も素晴らしくインスタ映えするようなものを手作りして、どこにも汚れのない家をキープしていた。でも母は、結婚することで生まれた作業のほとんどに悲しみを見出していた。きっと作業そのものは本当は好きなのに、である。母が悲しんでいたのは結婚そのものだったのだ。
その姿を見ると本当に自分を無力だと感じた。救いたいけれどどうにもならなくて、いつも虚しかったのを覚えている。

母が家事を苦しみと共にやらずに済めばどんなにいいだろうと毎日のように思っていたが、自分が大人になってみたらば、やはり料理以外の家事全般が恐ろしく苦痛であった。

やればできるのに、毎日コンスタントにやろうとすると、とにかく苦痛で苦痛で仕方がなかった。朝食を作る、お弁当を作る、料理のあとはすぐに片付ける、寒くても朝から掃除する、出したものをすべて指定の場所に戻す、洗濯をして乾かして取り込んで畳んで、お昼も作って片付けて、買い物をして、お風呂とトイレを掃除して、玄関を掃除して、靴の汚れをとって、晩御飯を作ってまた片付けて・・・などなどをやっていると、一日のほとんどの時間がそれに消えてしまう。これが、毎日だなんて!!
楽しくこなしていた頃もあったが、自分が仕事をし始めると一気にやる気が落ちてしまう。一度にひとつのことしかできないため、主婦業→仕事、というふうに集中の的が変わると、もう家事は苦痛でしかない。
それでも日本にいた頃は、前夫が全面的に協力してくれていたため、死なずに済んでいたのであった。

ところが、、、、イタリアに来てからは事情が一変してしまった。夫とはじめのうちあまりにも距離があったのと、夫自体がが超亭主関白だったのとで、家事への協力など一切得られぬ状況に・・・

わたしはこれを、これから説明するプロセスによって、人並みと言えるころまで克服するに至ったのである。

結婚したての頃は、とにかく気合いがガッチガチマックスだったため、毎日の家事全般をわたしがひとりで必死でやっていた。
必死、とは大げさに聞こえるかも知れない。しかし、一緒に住み始めた当時、夫のところには食洗機はもちろん、掃除機も(!)、ぬぁんと洗濯機も(!!)なかったという、これまたとんでもないスタートからだったのだ・・・洗濯が手洗いだったのがひどく辛く、人生の難易度設定がいきなりハードモードになったのを感じた。

毎日の手洗濯は、わたしにとっては「植木職人時代の真冬の剪定作業の後に、自宅まで運んできた枝を外で夜中まで切り刻まなくてなはらなかった」のと、「土木作業員時代に生コンを流し込んで駐車場を鏡面仕上げにするために朝暗いうちに起きて夜遅くまで作業を続けなくてはならなかった」のに次ぐ、人生3番目のきつい作業だったような気がする。手の指の皮がなくなっていくのが辛かった。とにかく全力の脱水が地獄のようで、身体のあちこちが痛すぎて吐き気に襲われたりしたものだった。やっとの事で終えて干す、すると夕方になっていた。夕飯を食べて片付けて寝る・・朝起きると、また洗濯の作業が待っていた。

この当時は、毎日義母の味を再現しようとイタリア料理をしまくって、食洗機がないから手で全部洗って、掃除機がないから掃除は雑巾で行っていた。それらの作業に、軍隊みたいに血眼で当たっていたのであった。
 
さて、これを経た後のわたしは、一体どうなったのか。

なんとわたしはこの間にマインドに化学変化を起こし、前の自分に戻れなくなっていたのだ・・・・
洗濯機も掃除機もある暮らしに突入してみたところ、なんと家事が嘘のように楽勝なのである。

毎日洗濯機に洗濯物と洗剤を入れるのが、一体何だというのだろう・・?!それさえ苦痛だったなんて、自分の頭はどうなっていたのだ???
むしろ今は好きな作業ですらある。

掃除機を、音楽を聞きながら床の上に滑らせて、ホコリをぜ~んぶ取ってしまうことが、一体何だというのだろう?本当に自分は正気ではなかったような気がする。すべて雑巾でやるのに比べると、部屋がクリーンになる音楽鑑賞の時間である。
今はもう、むしろ掃除機よりもホウキとちりとりと棒の先に雑巾のような物を付けて床を磨くことのできる道具を好んでいるが、それらを全部使って掃除をするのすら苦痛ではないのだ。それに、あれだ、とにかくホコリとかゴミを発見してしまう目が出来上がってしまい、それが気になって、汚いままだとむしろイラついてしまう。

そうなのだ・・・・それまでの怠惰だった自分は、あの機械に頼らない明治時代の家事修行をする間に、死んでいなくなっていたのである・・・!!!

あの辛さは、自分を死に追いやる辛さだったと言える。この訓練を終えたあとは、家事に関して持っていた余計なイメージやそれによるジャッジが粉々に吹き飛ばされて、実際の作業をニュートラルに見られるようになっていたのだ。

洗濯とは、「家族皆がわたしのことなどまったく考えずに無頓着に出したすべての汚れ物を、自分だけが時間を犠牲にして一手に引き受けてきれいにしなくてはならないという、ロボットのように虚しく、奴隷のごとき哀しき作業である・・・」みたいにゴッテゴテに余計な認識のくっついた定義だったのが、

「汚れのある服を洗剤と共に洗濯機に入れ、スタートボタンを押す」という、リアルな動作以外のすべてを取り除いた作業として見られるようになっていた。たったこれだけのことを、ものっすごい辛いことだと思っていたのだ。家に蚊が現れたのを、バルタン星人がやってきたー!!と思っていたのと同じである。

身体を動かして実際にことに当たることの破壊力よ、リアルを体験することの癒やし効果よ・・・!!

これによって、自分のいる場所を整えることが自分を大切にすることの一環となってしまった。そして、ジェームズ・バリーの言う通り、やるべきことを嫌々やっていた頃よりも、やはり好きでやれる今のほうが幸せなのだ。

だから今日みたいな日も、書くのである。書かないのは簡単だが、自分が化学変化を起こすのを見てみたいのだ。三年書き続けた暁にはどうなっているのだろう・・今から楽しみである!

というわけで、今日は、訓練の面白さと幸福感について、であった。
それではまた、明日!

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