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999/1096 誰も信じない話⑥

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で999日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

999日目。え!!9が3つ並ぶとなんかすごいインパクト!!スリーナイン!銀河鉄道のインパクトか…!こんなに続いてきたのだな。自分のことながら、改めて不思議に思える。

なにかを続けるということは、とても切ないことだ。
続けて続けてきたのに、それには必ず終りが来る。
わたしたちは永遠に今のままではいられないからだ。

でも、これを避けることはできない。たとえわたしたちがアンドロメダ星でアンドロイドの身体を手に入れたとしても。いずれ機械は古くなり、いずれ取り替えなくてはならない。それをどの星でやっていたとしても、いずれその星にも寿命が来る。それでもどこかでアンドロイドの身体を手に入れ続けてわたしが生き続けたとしても、1000年後に自分の心がこのブログを書いていたいと思うだろうか。きっとそんなことはないだろう。これを書いていたいというわたしも毎日の変化により、少しずつ失われているのだ。

だから、なにかが終わるのは肉体が失われるせいではない。
わたしがどこにもとどまっていられないからだ。

わたしは、わたしが失われていく過程を体験している。
わたしたち意識体は、いずれ終わるものしか体験できない。
いずれ失われる切ないものしか体験できない。

この毎日投稿も、必ず終わるものだから体験できるし、必ず終わると知っているから、頑張るのが楽しいのだ。

わたしたちは、切なく哀しいものしか楽しめない。
なにかが切なくても悲しくても、だからそれで、良いのだろうと思う。
枯れない花なんて、綺麗じゃないんだ。

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※この物語の人物名は架空のものであり、物語の詳細もフィクションです
筆者の記憶をもとに、そこからインスピレーションを得て書いています

仮に、穂苅さんが死んだことを事実だとしてみよう。ここから考えなくてはならない。これまで話を聴いている間、これを事実だと考えることがあまりにもまっとうな感覚ではない気がして、心が自然にそれを避けていたのだと気がついた。

それから、穂苅さんが生きているということも事実だとしよう。わたしも生きている。それと、穂苅さんは狂人ではないとする。これらすらひっくりかえして疑ってしまうとカオスになってしまうから、まずはここを確かなこととして考えてみよう。

死んだけど、今生きている。これに必要なものはなにか…
わたしの頭で考えると、それだとどうしても、彼が生き返ったということになってしまう。しかしこれでは、穂苅さんが先程言った「死んでいないから生きている」ことをカバーできない。なんだろう。なにが見えていないのだろう。わたしはなにを見落としているのだろう。

落ち着け落ち着け。
たとえば、わたしが生きているのも、もちろん死んでいないからだ。
そりゃあもう当然、死んだことなんかない。前世で一度死んで、また生まれ変わったと考えれば、死んだ経験はあるとも言えるけれど。
それなら、死んだことがあるし、死んでいないとも言えるかな?あれ?!

「穂苅さん!穂苅さんは、ええと、”転生”したんですか?」

ええと、の部分に、自分の常識人アピールを鋭く添えてしまった。わたしがそれを言う相手は、このぶっ飛んだ話をしている穂苅さん本人だけだというのに。わたしはそんな自分の器を恥じ、罪悪感を感じた。あなたはひとりでぶっ飛んだ話をしているようですが、わたしは常識人なので、そこに乗り切ってなどいませんよ。そんなふうに彼を見世物みたいに扱って、自分は観客の立場をとるなんて、自分はなんとずるいのだろう。

穂苅さんはガリを食べていた。ガリをつまんだ指をペロッと舐めて、それなのにそのあとすぐに、手ぬぐいでその指をしっかりと拭いた。穂苅さんの部屋はよく片付いていて、物が少なくて清潔で、トーンが暗かった。明るい色のものがなにひとつ無い。その部屋のイメージと、その彼のちょっときれい好きな行動とがぴったりと合っていた。指をペロッと舐めた穂苅さんは、この部屋にある唯一のお茶目なものという気がする。そのお茶目さが、自分の観客のずるさをコミカルなものだと思わせてくれた。そしてその自分は汗臭くて、この部屋のなにもかもと馴染んでいなかった。そのことが、ソワソワするほど恥ずかしく感じられた。

彼は、手ぬぐいをテーブルに戻して、両手の指を交互に組んで、開いた左右の膝に両肘をそれぞれ乗せて、前かがみにこちらに近づいて、ちょっと自信ありげに言った。

「俺は死ぬ前も、穂苅さんでしたとも」

はあ。やはり外れてしまった。このなぞなぞが解ける気がしない。わたしは降参しようと思った。う~ん、むずかしすぎて…と言ったところで穂苅さんは片手の手のひらをこちらに向けて制止した。

「よかろう。なぞなぞはおしまい。病気の捕虜には優しくなくちゃ男が廃る。あまり考えさせたら熱がぶり返すからね」

汗臭い化粧の崩れた自分に優しくしていただくのが恐縮な気がして、わたしは彼が冗談で言ったことに照れた。たった数時間で、穂苅さんにずいぶんと親しみを持ってしまった。こうして話していると、年末だということも、このあとお正月が来ることも、下界の俗世間のことという気がする。人間社会って、そういえばそんなところだった、と思える。それが自分の病気のせいなのか、初めてお邪魔した場所にいるからなのか、穂苅さんのせいなのか、話の内容のせいなのかがわからなかった。そういうことをもう、気にしなくなっている自分がいる。こんなに寛いでしまって、いいのだろうか。

「俺は、本当にたくさんの条件が揃って、あのリンチの起こる少し前に戻ったんだよ。生き返ったとも、転生したとも言えるけどちょっと違う。人はこうして、再生することがある。同じ人間の、特定の時間に戻って目覚める。死ぬ前と死んだあととの記憶をすべて、保持したままね」

一体なにを話しているのだろうか、この人は。時間を遡ったと言いたいのだろうか。まず、目を覚ませ、わたし。しっかりして、当然のごとく”穂苅さんはどうかしているのだ”と思いたい。それなのになぜ彼はこんなにもそれを食い止めるかのように、仕方ないことを話しているかのような、降参しきったような様子を漂わせているのだろう。

「ちなみに、記憶を保持したまま、特定の時間ではなく任意の時間に再生する場合は、再臨って言ったりするね。任意である分、再生するよりも自由度が高いんだよ。イエス・キリストの場合はそれに当たるんだね」

イエス・キリスト。このワードの、このぶっ飛び感、場違い感よ。自分がそれを言わせてしまったみたいで、彼が哀れに思える。わたしは穂苅さんを見つめた。自分の表情も、まばたきも忘れて。彼の目からなにかを読み取ろうとした。冗談を言った者が無意識に放つ、あのドッキリを明かす前の距離感とか、かなりやばいことを言っていますよ、わかっていますよ、という気遣いの宿った媚びとか、なんでもいいからこの場に常識的な空気を醸し出して、自分が感じているこの張り詰めた気まずさを崩してくれる、なにかを。

でも彼はわたしを、冷めて諦めきった優しい目で見返していた。そこにはこの場で常識を共有するためのへりくだりが少しも宿っていなかった。きれいな目だった。

そのまま彼は、まるで当然の流れだったかのように、ただ世界のすべての残念なことを受け入れているような穏やかな声で、こう言ったのだ。

「あなたもだよ。再生、を経験した人。俺と違うのは、多くの再生者と同じように、あなたがそれを忘れてしまっているってことだ」

観客としてステージを鑑賞していたら、突然名指しで役柄を与えられ、わたしは豆鉄砲を食らった。自分の理性が激しく危機感を感じて、どういうことですか??とこの話に飛びつくのを抑えている。待ってくれ。わたしも、穂苅さんのように、再生した人、ですと?この人は実はわたしを、宗教かなにかに勧誘しようとしているに違いない。これまでになく、彼への疑いが濃くなった。ここに居るのがとても心細い。ここは彼のテリトリーだ。

彼の死の話が生の話に交わったと思ったら、今度はわたし個人にまで交わってきた。わたしは自分がある意味で本当に捕虜のように思えてきた。彼の話に囚われて、身動きが取れない。この危機感から逃れたい。それなのにわたしは訊きたい。彼の知る命と魂の一体なんなのかを。わたしがどこで死に、どうやって再生したのか。そして彼がなぜ、それを知っているのかということを…!!

ーつづくー

それではまた、あしたね。

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