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【質問回答】ずっと会社員。リスクを取らずに生きてきた。人生これでいいのかな…どう思う?

こんにちは!梅雨入りを控えた日々を、いかがお過ごしですか。この時期は過ごしやすい気温でもありますが、なんかこう、まだ本格的に夏じゃないから、今からヒャッホーイ!と弾けた気分になるのは間違っているような気がしませんか。浮き輪は早いって。スイカ割りも早いよ。浴衣も早い。風鈴も早い。チューブも早いって。「いや待てって。今じゃないから調子乗んな」という思いの湧きがちな季節ですね。笑

私は北イタリアはヴェネツィアに住んでいるのですが、6月に入ってからまたガクッと暑くなってしまい、大量に寝具を洗わなくてはなりません。夫が一階の暖炉で温めたスープを運んでくる際に煮汁をこぼしながら階段を上がってきたので、そのシミを掃除しなくてはなりません。
キッチンにカメムシが二匹いるため、お外に出家していただかなくてはなりません。ダイソン掃除機の内部のクリーニングをしなくてはなりません。

タスクを挙げるとキリがなく、しかしそれをしながらこうして生きているので、私はもう、自分の職業は生活管理師ということにしようかと思う日々です。人生は生活管理である。さすれば、すべての人が管理職である。地球人とは、管理に命を費やす存在である。…と言えるかもしれない。

だからきっと、生きかたというものには正しいも間違ってるもなく、上手か下手か、巧みか不器用かでしかないのだと考えると面白い。そういうスキルを鍛える、ジムみたいなものなのではないだろうか。なぜあなたは地球に生まれたのですか。あっ、ジムに通ってるだけっㇲ。みたいなね。

なとど考えながら、本日はこちらのご質問にお答えしますよ。
ごめん。長い。また5千字超えです。だったら回答以外のまくらは短くすればいいのに、それも長いというね…

もうもはや、活字耐性のある、読むことが好きな人にしか受け入れられないであろうコンテンツしか作れない人になっております。そこに開き直りつつ、さて回答にまいりましょう~!

思秋期という言葉を初めて知りました。人生も後半と思える時期に入ってから、自分の人生はこれで良かったのだろうかと思う気持ち…

こういうのって、そこに着目しようとすれば誰にでも感じられるものだと思います。失敗だったな、後悔が拭えないな、全力を出しきらなかったな、ベターな選択肢があったんじゃないかな、大した事ないな、最高とは言えないな…と、思おうと思えば思えること。誰にでもひとつやふたつやみっつやよっつや、いや、人生のほとんどについて、見ようと思えばそんなふうに見ることができるものだと思います。

でも、そこに強めに囚われる人と、そうではない人とがいるのはなぜでしょう。私はそれは、今をどれだけ気に入っているか、今にどれだけ納得しているかなのだと思います。

今の自分の日常を、完璧とは言わずとも、いろいろ大変だったり苦しかったりすることも含めて、ある程度の納得のもとで送っている人は、思秋期なるものとは無縁です。

なぜなら、過去のことについて、しょうもないなあと思うことがあったり、一点の曇りなく素晴らしいと言えるものじゃないとしても、それがあっての今だと思えば、とくに過去の良し悪しにこだわる必要がない。その過去がひとつでも欠けてしまったら、お気に入りの今にたどり着くことができないからです。

未来についても同じで、今に納得がある人は、そこを基準にして希望的に観測するものですよね。今に不満があると、人はやっぱりそこを基準にして未来のことも悲観するものです。

つまり、過去も未来も、今の私たちがどう観察するかで違って見えるもの。今の私たちが、今観察する、今の持ちものなんですね。

私は、過去というのは、昔見た映画と同じようなものだと思います。だから、過去がどうだったとしても、それを今や今後について考える時の材料にしなくていいと思います。

それをするというのは、例えば以前にホラー映画の『13日の金曜日』を見たことがあるとして、「だからもう私は楽しい映画を見ることはできない」とか、もっとひどいと「ジェイソンのいるアメリカに行くことなんて、恐ろしくてできない」と考えるのと同じだからです。

過去とは、その時私たちが観察したもの。観たものです。その内容がどうだったとしても、今や今後のことに関係のないことです。今もこれからも、それとは違ったものを、観ていい。

だから、過去の自分の時間については、それしか選択肢がなかったのだから、もうそれでよかった。ベストだった。そう思うのが一番です。とにかくそれで100点満点だったと思えばあと腐れがないのです。
質問者さまは、よくやったのです。グレートジョブだったのです。ベスト・オブ・ベストを尽くしたのです。まず、それをお伝えしたいと思います。
いいですか、それ以外にないのです。

そしてそのベスト・オブ・ベストの過去を経て、さてこんな学びがあるぞ、こんな欲求も出てきたぞ。と考えるのは健全ですよね。ある程度の経験を積んできたうえで、またもぞもぞと疑問や希望や不安や挑戦への欲求が湧いてきている。そう考えれば、思秋期というのはまさに、第二の青春です。

さてここで、あなたの質問文をよく読んでみると、なにか具体的なやりたいことについては、触れられていないことがわかります。

私はいただいた質問文から読み取るしかないのですが、ヒントとしては「リスクを取らなかった」「世の中が求めるままに生きてきた、受動出来なもの」「決断力があって前向きで元気な人の生き方」「波風が苦手で保守的」「自分好みの生き方」という記述です。

これを見る限り、あなたが憧れているのは、具体的に心に決めている夢や目標に対するものというよりも、例えばインフルエンサーだとか、起業家など、会社員とは違った生き方をしている人の挑戦そのものだと感じられたのですが、いかがでしょうか。あるいは、挑戦してみたいと思えるフィールドはあるものの、それそのものの作業や特色よりも、それを介して世の中に挑戦することや、それを仕事にして食べていくことに対する漠然とした憧れではないでしょうか。

この憧れに挑戦したいけれども、怖くてできない。だったら、今の生き方に納得したいと思う。そう思うのに、納得もできない。ということだと思うんです。

私がここで、いや、アナタナニ言ッテンダヨ?!一度きりの人生だもの、挑戦していこうぜ!!当然っしょ?!と言ったとしても、アホかあんた!怖くてできないって言ってんでしょ!!と思うことでしょう。

では逆に、いいじゃんEじゃん、そんな怖いことしなくたって。一度きりの人生だもの、楽に行こうや。食べられて寝られたらそれで最高じゃん。無難の道、それは恐れのない道ではないか。と言ったとしても、でもそれじゃ納得行かないんだよ~、それが苦しいんだって言ってんだろうが!!と思うことでしょう。

どちらが正解なのでしょう。これは、一番聞きたくない回答かもしれませんが、どちらも正解なのです。もしも、自分で決めたのなら。そして、どちらも不正解になり得ることです。もしも、誰かに決めてもらったのなら。

自分で決めるということが唯一、究極的に重要なことなのです。今あなたが苦しいのは、過去に思うところがあるからでもなく、挑戦にリスクがあるからでもなく、今あなたが、自分で決めるということができずにいるからなのです。それに必要な素材が集まっていない。ただそれだけのことなのです。

では、その素材ってどうやって集めたら良いのでしょうか。
足りないものとして考えられるのは、

◯自分が傷ついていることへの自覚
◯だからもう傷つくのが嫌なのだという認識
◯挑戦やリスクを避けても傷つくことへの認識
◯変化や挑戦が自分の味わいたい経験であるという認識
◯死を見据えるということ
◯楽な挑戦の仕方に関する知識
◯リスクへの過剰な恐怖から覚めること

などだと思います。これらを使いながら、改めてよりフラットに、この迷いについて考え直してみると良いのだと思いますよ。

ああ、自分は気楽になにかに挑戦するのが怖いんだな。怖いってことは、知らぬ間に傷ついてきたんだな。思っているよりもずっと、問題が起きるかもしれないという予測に、怯えているんだな…

だからさらにそこにプラスして傷つく可能性のある方向に進むのを、避けたいんだな。それが自分の人格のせいだと思ってきたけれど。自分はこれ以上傷つきたくないんだな。

でも今の自分は、無難な方を選ぶことでもまた、自分を活かしていない気がして、自分のチャンスを流してみすみす見逃して、人生を冒涜している気がして、そこにも傷ついてしまうしなぁ…

だからどっちを選んでも傷つくということだ。
どっちを選んでも自分が納得できるかどうか、それしかないんだな。

まずはこんなふうにして、自分のことをちょっと他人のことを見るみたいにしながら、観察してみてください。

それから、自分が死ぬということを改めてまっさらに、見据えてみてください。この地球での体験は、期限付きです。時間は無限ではありません。
あなたは、死にます。いずれ、何らかの理由で。人生はそこで終わりです。その時をもって以降は、この世界に肉体とともに存在することができなくなります。肉体がないとやれないことは、なにひとつできなくなります。

旅行のようなものですね。旅先で、せっかくだからラクダに乗ってみるか、それとも落ちたりしたら怪我をするからやめておくか。どっちでもいいんです。それぞれに、メリットもデメリットもあります。決定的なポイントは、それがその地に旅行できる最後の機会だということです。あれもやればよかった、これもやればよかったと思っても、二度と訪れることはできません。

だったら、決めかねているのなら、ちょっとラクダに乗る練習をさせてもらえばいい。リスクがどのくらいあるのかを調べてみればいい。それにより「あーやっぱりやめとこ!こりゃ無理だ!」という答えが出るか、それとも「はて?死ぬほど恐怖していたけど、さほどのリスクはないや、やり方次第だったわ」とわかってすんなり乗ると決められるか。これと同じです。真似事をしてみる。分かる範囲でとにかく調べる。その調査のために動く。そこから決めても遅くないということですね。

こうしたプロセスを経てみると、

別に誰と比べる必要もなく、自分は自分のできることをして生きればいいじゃないか。なんだか盲目的に、リスクをものともしないような生き方に憧れを持っていたけど、別にそこまでしたいわけじゃなかったみたい。真面目に、世の中に求められることに応えながら生きていることに堂々としようや。難を逃れながら生きるのもまた、生物として優秀や!それをベースに、これからも今後を楽しんでいこっと!と思うかもしれない。

それとは逆に、

挑戦をするのも意外と怖いことじゃなかったわ。せっかくだもの、自分の心に従ってみたらいいんだ。なんなら、真面目で人の要求に答えられる能力を挑戦した分野で活かしてみる手もあるじゃないかよ。面白そうだし、楽しそうだし、自分が挑戦を避けているモヤモヤから解放されるなら、それってすでに大きなプレゼントだよ!やったーチャレンジだ、チャレンジができるぞ!少しずつやってみよう~へへへ♡と思うかもしれない。

どちらも、自分の決断に納得しているということが素敵じゃないですか。
一度迷ってしまったのなら、そこまで自分を持っていく。今は、この納得のために動く。これを自分のためにしてあげてください。これは、自分を愛する行為だと言えます。だから、最終的にどちらを選ぼうが構わないのですが、この納得のない状態を放置するのは、私はオススメしません。

時間がかかっても、そのためにやることが多くても、いいと思います。
今は、一発で決断するのは無理だから、決められないのです。
そのための素材集めを、丁寧にしてあげてください。

私は個人的には、万が一迷ったら、残念でない方を選ぶのが好きです。
生きている自分の、死んだあとの自分の、念が残らない方を選ぶ。できるだけ思い残しのない方を。

あるいは、自分の子どもに同じ相談をされたらきっとこう言うだろうと思うこと…気楽に、やりたいことをやってみたら?家族の生活を危機に陥れるようなことは避けてさ、生活の基盤を確保しながらやってみたらどうかな!と、きっと言うだろうと思う。そう思えば、それを選ぶ。

私はやりたいと思ったことはやらずにいられない気性なので、チンピラが法律の隙間をかいくぐって詐欺を働くかのごとく、なにがなんでもやろうとします。そのため、無謀な挑戦をするというよりは、例えば会社勤めをしているならそれをキープしながら、生活費を確保しながらある程度貯金もしつつ、コソコソと隙間時間にリスクのない行動から徐々に準備して試してみたりします。ドドーンと無計画に動くというよりは、姑息といえるような手段で密かに取り組み、まずは安全地帯にいながら、水面下で己の欲望を叶えようとします。もっと、妖怪人間的に、地下で、ほくそ笑みながら始めてもいい。そんな考え方もありますよ。笑

それから、私も人から求められたことをするうちに、いつの間にか今のように自分の仕事を自分でやるようになりました。頼まれたことをする。流れに流され、外からやってきたこと、自分の中に湧いたものを受け入れて、黙ってやってみる。よほどの理由がない限りは、いつもイエスマンです。特にリスクを取った覚えもないのです。会社員でない人にも、そこまでリスクを背負わずに生きている人もたくさんいます。えらく恐ろしい道だというのは、未知のことに対する妄想なのです。これも、決断の素材に使える豆知識かもしれませんね。

というわけで、あなたの、あなたによる、あなたのための楽な決断の一助となりますように。祈っています!

それでは、またね。

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)