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1061/1096【質問回答】姉の形見を見ると悲しい…手放したほうがいい?

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1061日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

1061日目。なんだか慌ただしくなってきた。たとえば、これまで続けてきた戦争ゲームで今までより責任ある立場になってしまった。いわゆる昇進である。これがまた、ゲームとは言えども世界中の人が参加している上に人々はえらく真剣に参加しているため、下手を打つことができない。このために英語を勉強しない日がないほどになってしまった…!!もはや言語学習や別の国の人の常識や文化を学ぶ場と言える。

実社会では昇進というものに縁のないわたしであるため、たとえゲームの世界だとしても嬉しい。毎日投稿が1000日を超えて随分と気分が変わったのだが、以来ここにまだ書けないことも含めて、バタバタと現実的な変化が激しい。

なにかを始めて、それが進んだり節目を迎えたりするのに伴って気持ちが大きく変わると、自分も現実も変化するということをここ三年でいくつも体験できた。なにかを始めて続けてみるのは、いいこといっぱいだ。100日記念とか一周年記念とかいう記念日も生まれ、それを楽しむこともできる。目標も立てられて、それが達成できるたびに喜ぶこともできるし、その節目で気持ちが変わり、それに伴った面白い変化もあったりする。

毎日投稿から得られたメリットはたくさんあるけれども、そのうち最大のもののひとつは確実にこれだ。始めてみる、続けてみる。これへのハードルがだだ下がりしたこと。これが最後まで終わったら、次はどんなことを始めてみようかな。始めたらまた、自分と苦楽を共にして、病めるときも健やかなるときも、雨ノ日二モ風ノ日二モ、地道に続けてみたいな。

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わたしは、亡くなった方のものについて、哀れみ悲しみ続けなくても良いと思います。その方の存在を過去に繋ぎ止めず、その方が新たな旅立ちを遂げたことに思いを馳せるほうがずっと良いと思います。

けれども、そうは言ってもわたしたちには人情もあるものですから、洋服と帽子をひとつずつであれば、質問者さまがそれを眺めて温かい気持ちになるかぎり、好きなだけそばに置いて良いものと思います。

しかし、あなたはお姉さんの形見を見ると悲しい気持ちになってしまうということですので、それであればそれらを手放すかどうかを無理に決定しようとする前に、ひとつ思いを巡らせてみてほしいことがあります。

まず前提として、あなたにとって、その服と帽子が大切なわけではないのですよね。そうではなくて、お姉さんそのものが大切なのではないでしょうか。”もの”に対してではなく、”お姉さんという人”への思いがあるということです。

ですから、お姉さんのものを手放せないのは、大切なお姉さんの死を受け入れられないからなのだと思うのです。愛する人の死ですから、簡単に受け入れてはならないと思うのが自然だと思います。受け入れることが、冷たいことのように思えてしまうものですよね。

ここで、そのお姉さんへの愛を、ぜひとも実践してみてほしいのです。そう、わたしたちは亡くなった人に対しても、いつだって愛を実践することができます。

ここでお姉さんを愛するということは、お姉さんを尊重することなのですね。愛を持って、お姉さんの人生や存在を本当に尊重しようとするのです。するとそのとき、生前のお姉さんの歩んだ道のすべてを肯定したいという思いが湧くことと思います。お姉さんは宇宙のはからいとともに必要な経験をされたので、「すべてそれでよかった。わたしたちにどう見えていようとも、お姉さんはベストを尽くしたんだ」と理解したい。そんな思いが湧いてくるのではないかと思います。

そうした思いを持って改めて真にお姉さんの存在を尊重すると、「お姉さんの寿命」や「お姉さんが旅立たれたこと」すらも含むお姉さんのすべてを尊重してあげられることに気がつきます。わたしたちは、死というものが自然界に起こる”誤り”ではないことを知っているからです。

すると、お姉さんがこの世界での冒険を卒業されたことに対する尊敬が、あたたかくハートに広がってきます。これが心からのお見送りであり、お姉さんへの供養となるのですね。

服や帽子を保存することではなく、お姉さんの歩みのすべてをリスペクトすることが、質問者さまにとってもお姉さんにとっても嬉しいことでもありますね。愛の実践は、死の別れの悲しみをも暖かく包んでくれるのです。

こうした感覚が増してくると、とても自然な感覚で生前の持ち物についても役割を卒業しているのが感じられ、手放すことへの抵抗がだんだんと薄らいでいきます。そうすれば、手放してすべて供養するほうが、逆に心地よく感じられるかもしれません。あなたが愛するのは、お姉さんが生前に使用されていた物質たちではなく、お姉さんそのものですもんね。

お姉さんは、不思議な存在だと思いませんか。
たとえばお姉さんは、生きてこの物質界でエネルギーの交換を体験して、それから肉体の制限を脱いでまた意識体となり、次のステップに進んでいかれたのだとわたしは思います。そうだとすると、こうした活動をしておられるお姉さんとは、一体どんな存在なのでしょうね。

わたしたち人間は、わたしたちのすべてを解明できている存在なのでしょうか。わたしたちには、自分たちについてわからないことがたくさんあります。地球人は、果たしてわたしたちの常識的な考えの範疇に収まるような存在なのでしょうか。それらを圧倒的に超越した存在だからこそ、この世を生きて去るという、驚愕に値するたくましき体験ができているのかもしれませんね。

不思議なお姉さんのこの世界での体験の一部を、お姉さんとおなじく不思議な存在のあなたが愛を持って眺めるというのは、なんとも美しきことだと思います。無理に忘れよう手放そうとせず、そこで戦わずに、お姉さんの冒険をリスペクトしてみてください。そしてまた気が向くたびに、形見への思いを改めてフレッシュに感じ直してみてくださいね。その都度、その形見の存在をはじめて知ったような感覚で。きっと、執着が解けてくるのが感じられることと思いますよ。

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)