見出し画像

764/1096 ”本気”が出ずに悩む人へ

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で764日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

764日目。いんや~昨日の記事を書き終えてちょっとだけ休憩してまた書いているという、このサイクルが染み付きつつある今日このごろ…このハードな暮らしに、コメントやスキのほか、サポートをくださるお方のお心がどれほどの助けになっていることか…ほんとうにありがとうございます、涙

なにげにもう最後の一年のうちの1ヶ月が過ぎて、残り11ヶ月を切ってしまった。きっとあっという間なのだろう。

あっという間だと感じるコツは、逆に頑張ることだと思う。嫌な努力をするのは毒だけれども、でも目指すもの、好きなもの、面白いこと、成し遂げたいことのためには、気合いで全力のちょっと上くらいをガーッと目指す時期があってもいいと思う。

きっと成したいことというのは、それを成すためにあるのではなくて、全力を出し切った爽快感のためにあるのだろうから。人はきっと、自分をなにかに注げずにいることのほうが苦しいのだと思う。それで褒められても実はぜんぜん嬉しくないのだと思う。「いやほんとうはもっといけるんだけどな…」もしくは「大したことないッス」が邪魔をして喜べないのだと思う。

出し切ったあー!!というときに味わえるなにかって、胸を打つ芯からの喜びなのだと思う。三次元にいる生命体ってきっとそうなっている。

この毎日投稿の場でその喜びを追うと誓おう。
他でもない自分に誓おう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日は、やりたいことがあってもやれない、本気を出せない、という人に対して、自分なりのこれぞ!という思いを書いてみようと思う。

わたしはたとえば「やりたいことがあるけど怖くて始めることができないんです、いい結果が出るならやります」というご相談は、無茶なものだと思う。どうにもこうにもそれは、始めるしかないと思うのだが…始めないで結果がほしいというのは、食べないでお腹いっぱいになりたいです的なお話だ。。わたしの裁量では、返す言葉が「無理ッス」になってしまう。

欲しい物があるんですが、頑張れません。やりたいことがあるんですが、怖くてできません。こうしたお悩みを持つ人は、流れていく。慰めをくれ、癒やしをくれ、自分をその気にさせてくれ、あるいはなにもしなくても素晴らしい結果を魔法のように見せてくれる誰かを探して、流れていく。大丈夫で、保証されて、根拠があって。そういうなにかを探している。そして言い訳を紡いで生きている。

彼らは今のまま人生を終えるのではないかという予感におびえているのに、動けないでいる。しかしそれは、本当に勇気だけの問題なのだろうか。

人はやりたいことがあれば、ウズウズしてやらずにいられないものだ。もし、それが「心に直結したほんとうの望み」であるならば。

今日お伝えしてみたいのは、あなたが動けずにいるのは、それが「ほんとうの望みではないから」ではなかろうか、ということ。

まずその前に、もし単にちょっと勇気が出ないだけであるのなら、答えは簡単だ。やるしかない。それがいいぜよ。

どうしてそう答えるのかって、大丈夫だからだ。大丈夫だから。その大丈夫を見に行ってほしくて、そう言うのだ。そんな無責任なことを言うと嫌われますよって?うん、嫌われるね。ははは、人って辛いものだな。

それに滅気ずに書いてみるけれども、やりなよ!やりたいんなら、やりなよ。やりたいというダイヤモンドみたいな衝動、ドブに捨てるな!可哀想だろ?!誰がって、あなたがだよ!

せっかく体内でダイヤモンドを生成したのに、それを捨てているんだよ。いずれそれは、ただの炭素になっちゃうんだ。やる気というのは、あなたが生命体だからこそ結晶化した、輝くダイヤモンドだったのに。

は?ダイヤじゃない?光ってないからって?いや磨こ!!磨いてこ!!な?!磨けばいいんだから!!最初から磨かれたのが欲しいとか思ってるから、おかしなことになるんだよ。わかってるじゃん、自分でわかってるじゃん。なのになんでその心の声もまたドブに捨てちゃうんだよ。自分が可哀想だろう??そう思わないのかい?!本人だというのに。

なぬ?べつに可哀想じゃないだって??でもアタイは余計な世話を焼いてしまうから、好奇心とやる気のダイヤモンドをボチャボチャとドブに捨てている姿を見ると、いたたまれなくなっちゃうんだよ。

失敗?するかもしれんよね。それでも、大丈夫。あなたは大丈夫の手の平の上にいるのだ。宇宙をなめたらアカンぜよ。そんなことないと言うあなたは、宇宙相手に喧嘩をふっかけているのだ。おい宇宙、やんのか?やるんなら表出ろ!とか言っちゃってね。その前に家も表も宇宙内だっちゅーの!っつってね。

なんでやってみる前から、自ら「大丈夫じゃない」ってことにし、かつ自らそこに嘆き、かつそれを「可哀想じゃないモン」って言い出すだ。どっちやねんすぎて心が捻転するから捻転!!

それから、誰かが「あなたには無理だと思うよ」と言ったとしたら。あたしゃ言い切るけど。言い切ったったるけんどもね、そいつがおかしいのだよ。耳を貸すでない。最低限、「放っとけばいいや」と思わなきゃいけない。できれば「うるせークソ野郎(またはクソ女郎)」と思ってくれ。いやまあ、今の時代、女郎なんて言う人いないだろうけれども、笑!

いいかね。たとえ「あなたのために無理だと言ってあげているのに」と言って涙を流していたとしても、そいつがおかしいのだ。処方箋、放置。または無視、である。親だとしても先生だとしても夫だとしても妻だとしても。そいつの言うことを、聴いてはならない。もちろん、あなたが自分で自分に「無理だよ」と言っているのだとしても同じだ。それに耳を貸してはならない。たとえ自分の鼓膜を破ってでも、聴いてはならないんだぜ…

わたしが家を造ると言ったときにも、ネットで収入を得ると言ったときにも、三年間毎日書くと言ったときにも、無理だと言う人しかいなかった。

わたしはそれを華麗にと言いたいところだけれどもまあ普通に気にせず、黙って作業をした。楽しいことに打ち込んだ。ときどき不安で幽霊になっちゃいそうだったけれども、そういう不安の声こそが、『悪魔の声』なのだ。わたしは悪魔につつかれながらも、やっぱり普通に気にせず作業をした。

そうした経験の中で気がついたのだが、悪魔の声が苦手なものというのは、

○やる気
○根拠のない自信
○面白がっている状態
○夢中な状態
○しつこい鍛錬
○たゆまぬ反復・継続作業
○遊び心

これらである。悪魔の声にとってのこれらはもう、ドラキュラにとっての「にんにく」とか「聖水」とか「十字架」みたいなものだ。

しかし、それらよりも強力な、ドラキュラにとっての「陽の光」に相当する絶対的な悪魔の声除けがある。

それは、”ゴール”だ。あなたの思い描く”ゴール”。崇高じゃなくていいし役に立たなくてもいいけれど、あなたの中に”達成したい”と思えるゴールがあること。

たとえば「やりたいこと」を恋に喩えてみるとしよう。

好きな子がいる。ただただ好きだから、その子の写真を眺め、通りすがりに匂いを嗅ぎ、遠くから見つめ、夢中で過ごしている。周囲は「あの子はお前に興味がないよ」と悪魔の声をささやく。このとき、「うるさいなあ」と思いながらも、見つめていればうっとりして、まあまあその声を忘れられる。陰から見ているぶんには、あの子が自分に興味がなくても問題はない。

けれども、あなたの中にもし「あの子とデートがしたい」というゴールがあるのだとしたら。

まず、写真を見て匂いを嗅いで見つめているだけじゃ、デートはできない。そして、デートをするには自分を知ってもらわなきゃいけない。そうなって初めて、人は本気で思うのだ。「自分に興味がない?!そんなの受け入れられないぞ!」と。そう、ゴールこそが悪魔の声を本当に蹴散らし、その首を叩っ斬るのである。

そこからようやくそのゴールに向かって、その子に話しかけるなり、身なりを整えるなり、好みを調査するなり、思いを打ち明けるなりをするだろう。すると、ゴールがなければ見ているだけだったかもしれない相手とデートに行ける可能性が出てくるのである。ゴールは人を突き動かす。だから、動けない人はゴールを持っていないのだ。

そのゴールが、ぼんやりとしていてもいい。
デートの内容が詳細に決まっていなくてもいい。

ゴールはひとつでなくていいし、
そもそも達成方法がわからないものであるべきだ。(重要)

でも多くの人がこう言うのである。「自分のほしいゴールがわからないのです」と。それはね、多くの場合、カッコつけ(ちまっ)ているからなのだ。カッコいい、あるいは善良な、あるいは聴こえのいいゴールから探そうとして、自分の心に嘘をついているから。評価の欲しい、見栄っ張りの、エエカッコしいの嘘つきだからなのだ。

あるでしょう?もっとほら、なんかこう、すんっごい幼稚な、笑われそうな、軽蔑されそうな、恥ずかしくて言いにくい、バカみたいだと思える、あなたの欲しいなにかが。

わたしが家を造りたかったのは、かっちょええ家に住んでいるのがセレブ風でめっちゃ気分よさそうだったから(恥)。ネットで稼ぎたかったのは、出勤が嫌だし稼いでオシャレ三昧してあら素敵~とか言われてみたかったから(恥)。毎日投稿を始めたのだって、三日坊主から抜け出して、眩しいほど憧れる「勤勉な人」になって恍惚の気分を味わってみたかったし(恥)、有言実行もけっこう武士っぽくてカッコいい気がしたから(恥)。

そうした子どもっぽい動機だったけれども、それが本音だったから「いいな~~たまらんな~」と思えた(恥)。そこから、やっていくうちに造った家をスタジオにしてみたいだとか、ブログの内容を通して他者と喜び合いたいだとか思うようになったのだけれど、はじめのゴールなんて、言うたら

「かっこいい家欲しッス」
「オシャレしてッス」
「勤勉だねって言われてみてッス」

じゃからのぅ…でもこれが、鼻血が出ちゃうほどウホウホするゴールだったのだ。人って、そういう正直な思いさえゴールになれば、いきなりやる気が湧いてくる。はじめから自己紹介で人に堂々と言えるようなゴールを設定しても、ちっとも本気になれないものなのだ。

ちょっと離れたところに1千万円を置かれて、「ほしいんですけど取りに行けません、移動に本気になれません」と言う人がいるだろうか。普段やる気の湧かないことに悩んでいる人ですら、猛然と取りに行くはずだ。

つまり、もしあなたが本気になれないと言うなら、そのやりたいことというのは、あなたを突き動かしていない。まやかしの望みなのだ。

長々と書いてきてしまったけれど、つまりお伝えしてみたかったのは、なにかを得たいのに本気で動けずにいるという人は、その胸にある一番バカみたいな本音を、マジのゴールにしてみるべし!!ということです。

悟空だってはじめは「オラ強くなりてえんだ!」だったでしょう?でもそこから地球を守ろうと思うようになったのです。炭治郎だって、ただただ禰豆子を人間に戻したかった。そこから、鬼から1人でも多くの人間を守ろうと思うようになったのですね。

あなたのモテたい、チヤホヤされたい、可愛がられたい、尊敬されたい、自慢したい、褒められたい、を捨ててしまわないで。その子どもの目のような、輝くダイヤモンドを大事にね。生命体のあなたにしか作り出せない、そのダイヤモンドを。

というわけで今日は、「本気になれない」という人のお悩みに、「本気になれないんじゃない。あなたがあなたのダイヤモンドを拾っていないだけなんだよ、正直なゴールを見つければいいだけさ!!」という暑苦しい思いのシェアでございました。幼稚に、透明にいこう。

それではまた、明日ね。






毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)