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400/1096 【シンプル】実力発揮のひみつ

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で400日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

400日目が、無事にやってきた!!これはほんとうに、読者さまのおかげなのだと身を持ってつくづく感じる。いつも読んでます、と言ってくださるお方のおかげで続けられている。その喜びで書かせてもらっているのだ。ほんとうにありがたい。

1096日の半分にも達していないけれど、日々の投稿が重なって、こうして切りの良い日を迎えるとこんなにも嬉しいものなのだな!44年生きてきて、初めて知った感覚だ。

そうか~、ナマケモノがこんな日を迎えると、もともと勤勉な人に比べて意外性がプラスされてものすごく嬉しいから、これまでのわたしはそのためにわざわざ怠惰でいたのだな。ご苦労なことだ。(笑)
 
今日まで続けて思うこと。
「勤勉な人になれば続く」のではない。そんなのを待っていても、いつまでも勤勉になどならない。
「続ければ勤勉になる」のだ。怠け者って、いつだって脱せるんだね!

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今日ふと思ったことがある。わたしはこれまでの人生で、いちばん辛かったのはどんなときかと聞かれたら、なんと答えるだろう。

考える前に最初に感じたことが、「辛い日なんてなかった」ということだった。その感覚について、しばらく考えていた。

それは、たとえば「寒かった日はあるか」と聞かれたら「冬の間ッスね」と答えるけれど、ではそれは辛かったかと聞かれると、そうではないと感じる。寒かったのだ。でも寒いことはただ「寒い」のである。

いじめられていたころ、「ひどいなあ」「悲しいな」と思っていた。でも、ひどかったし悲しかったのだけど、辛かったのかと言われると、うーん?
辛いのではなくて、悲しかった。悲しいということは、それ以上でもそれ以下でもそれ以外でもない。悲しかったのだ。

いちばん痛かったのは出産だった。わたしにとってはこの世の痛みだとは思えぬほどだった。でも、それも痛かったのであって、辛かったのではない。
「麻酔を持ってきたまえ持ってきたら貴様を国王にしてやろう」「なんということだ今死ねるボタンがあったら確実に押してしまう」と思ったのを覚えているが、それもとにかく純粋に、痛かったのだ。

悲しい物語を読むと、とても悲しい気持ちになる。わたしたちは、それがたとえば創作の物語だとわかっていても、悲しくなっちゃうのだ。
その悲しいときに、辛い?と聞かれても、多くの人が、「いや、ただ悲しいだけ」と言うだろうと思う。そんな感じなのだ。

だからきっとこの先も、寒かったり痛かったり悲しかったりするのだろうけれど、わたしはそんな人生を、辛い人生だとは思わないだろうと思う。

あるがままを受け入れる、
幸せは外の要因に関係がない、
というのってよく聞くことだと思うけれど、

それって、寒かったり痛かったり悲しかったりしない人生になってから、ようやくそう思えるのだろうと漠然と思っている人が多い。

でもそうではなくて、あるがままを受け入れるとは、寒いなら「寒いのだ」と感じること。痛かったら「これは痛いのだ」と感じること。そのままを、なにも脚色しないで味わうことだ。つい自動的に「自分は辛い思いをしている」と決めつけてしまいがちなのだけど、「寒い!これは寒さだ。寒いというだけなのだ」と思えばいい。これがとても良いエクササイズなのである。


「寒ぅ~~い、辛ぁ~~い!無理~~」という人から、「わたしは今、寒さを感じているのだ」とそのままを観ている人になる。
なにか文句を言われたときに片眉を上げて立ち上がり、「あンだとテメエ、今なんて言いあがったゴルァ!」という人から、静かに「この相手は~という言葉を放った。わたしはそれを聴いて被害者意識が湧いて怒りというものを感じているようだ」という事実だけを観る人になる。

あるがままを受け入れるとは、こういうことなのだ。
わたしはこのままでいいの。このままが幸せなの。猫がいて、ちょっと胡麻油の香りのするきんぴらが食べられて、今日も龍の形の雲がみられて、しあわせ。日常の小さな幸せをそのまま抱きしめるの。みたいなイメージとはちょっと違うのだ。それがダメなのではなくて、ね。

ある日猫が死んで、ごま油が切れてしまい、ドクロの形の雲が出ている日だってあるのだ。そんな日にも、きゃーわたし今日は不幸!というのではなく、そこで自分に起こることをそのまま観察できること、だと思うのだ。

日々の生活の中で、遊び心でこうして「そのままを味わう」ことを意識してみると、心がとても落ち着いてくる。そして、いざなにかが起こったときにも、状況や感情に振り回されないでいられるのだ。「肝の座った人」になるための密かな鍛錬なのである。

この「あるがまま」の鍛錬のメリットは計り知れない。
外的要因や感情に振り回されないというとき、人は自分のポテンシャルを発揮していけるようになるのである。なんだか自分をくすぶらせている気がする人にも、とても良い修行になるということだ。自分の力を出すための扉ともなる。

これを逆に言うと、自分が最も振り回されやすい状況や感情にこそ、その人の力が秘められているということ。そこを制したとき、人はほんとうにあるがままの力を使うことができる。実力発揮、というやつだ。これってなんだか、楽しい修行ではないだろうか。これを読む運にあった人に、是非楽しんで試してもらえると嬉しい。

観察しよう、自分に起こっていることを。まるで自分にレポートするかのように!それによって出会うことのできる、知らないあなたに会いに行こう!きっと、面白い未来の体験につながっている。

というわけで、今日はあるがままを観る、の具体的なレッスンでした。
それではまた、明日ね!

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壇珠個人セッション詳細

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わたしが初めてクンルンをやってみたときの体験記がこちらです。椅子に座りながらやっていて、自分から湧いてきたエネルギーで2mくらい飛ばされてしまったのです。

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わたしがもうひとつオススメしたいのがこちら。
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以下、夢散歩さんのサイトからの抜粋です。

『夢は、

多次元に存在する自分との対話であり
潜在意識からのプレゼントの宝庫であり
現実世界についての洞察が得られたり
非物質界の存在と交流する場であり
直感的な啓示がもたらされる機会
でもあります。

今回のお茶会では「夢散歩」にすぐに役立つような、私たちが夢を知覚する際の仕組みや夢での知覚能力を上げる簡単なプラクティスについて美味しいお茶をいただきながらゆっくりお話したいと思います』

先生はとっても優しいりかさん。わたしの大好きな、とても知識と経験の深いお方です。ぜひ、ピンときたら行ってみて!あなたの暮らしの、素敵な変化となると思います。
「夢散歩お茶会」

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