見出し画像

1030/1096【つながっている】空想力とシックスセンス

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1030日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

1030日目。今日も起きた!今日も生きられるようだ。毎日眠りから覚められるかどうかは保証がないのだと思うと、目が覚めたことがちょっと不思議だ。朝起きたらわたしは、今日も自分が生きることになにか意義があるのだと思っている。そういうことにしているだけ、だけれど。

それは、誰も「君が必要だ」と言ってくれなくて寂しいからとか、自分の使命や生きる意味がわからなくて悲しいからというようなエモい動機のためではなくて、やり残しとか、消化課題とか、命のタスクがあると考えることに喜びを感じるから。なんかこう、人間らしい感じがする…!

物語の続きも書かなきゃだし、他に抱えている大きな仕事がいくつもあるけれども、人生は一日一日の幕開けと幕引きの重なりだ。自分よ、いつまでも生きられると思ってんじゃねえぞ。それは後悔とやり残しと未練とを招く幻だから、そこからいつも目覚めていることに、どこまでも潔癖でいたいと思う。

そこを誤魔化すから、命を軽々しく扱ってしまうんだ。永遠じゃない。そんなに時間はない。あって数十回の夏だ。ミンミンゼミの声、あと何回聴けるんだろう。煉獄さんの「うまいっ!」をあと何回聴けるんだろう。自分の命があることのいかに奇跡であることか。ここに迫れば迫るほど、今日の愛しさ、プライスレス…

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

みなさんは、空想をしますか。
わたしはたくさんします。

もしも煉獄さんがこの世にいたら…もしも自分がスタバの店員で、煉獄さんがお客さんとして入ってきたら。ご注文はいかが致しましょうかという問いかけに「うむ!!アイスカフェラテのLをひとつお願いする!!」とか言われたらイケボで痙攣して鼻血を噴射して死ぬし、両鼻穴にティッシュを詰めてなんとか作ってお渡ししたときに、「ありがとう!!」と笑顔で言われたらその場で白目尊死が確実だし、やっと生き返っても座席のどこかから「うまい!!」と聞こえてきたらその音波に感電して死ぬし、結局浅ましい欲望を抑えられず、帰りにゴミを片付けようとする煉獄さんを待ち構えて「こちらでやりますので」と言ってゴミを奪って、す、すす、ストローを持って帰ってきたら唾液成分を顕微鏡で見てみたくて死ぬなあと。そういう超個人的な空想を何通りもしたり、

かといえば自分が地球上の木・火・土・金・水のそれぞれの元素になってみるなどの、身体感覚(心と頭と全感覚)を使った壮大な意識の旅に出てみたりもします。

空想なんてしても仕方がないと思う人もいるかも知れませんが、そんなことはないのです。空想力は鍛えて損はないのです。

どうしてかというと、まずは単純に、選択肢が増えるからなのです。
たとえばひとつの事象に対してひとつの見方しかできない人に比べ、いろんな想像をしてみる人は、柔軟に見方を変えて観ているのです。そこで一般的な見方とは反対の視点を得たり、そこからまさかの発想であれこれと別の選択肢をもち得たりもします。

想像をするときは、自分を自由に放っていいのです。
だってそれは「本当にそれをやれるかどうか」というのは一旦置いておいてよいのですから。想像力が鍛えられれば、内容はなんでもいいのです。

たとえばわたしは先程スタバ店員になる想像をしてみましたが、現実的にはその能力がないと言えます。時間を守ってシフトどおりに出勤できるかが甚だ怪しく、なにかがスコーンと抜けるし、仕事中に街のどこかから「炎」が聴こえてきたらボロボロに泣いてしまって仕事になりません。けれども、それは置いておいてよいのですね。空想の世界は自由で、その世界でわたしにはなんの制限もないからです。

もちろん、煉獄さんも、この世界にリアルに現れることはありません。それに、現れたっておちおちスタバになんか寄れません。とてつもない人気のため、外を出歩けないだろうと思います。

でも煉獄さんならきっとあのクソデカボイスで「みんな!!すまない!!俺はこれから家に帰って稽古をしたい!!ここを通らせてはもらえないだろうか!!」と曇りなき眼+神イケボで言い放ち、その場にいるわたしたち(自分もそこにいる野次馬)を光に包んで一発で幸せにしながら、モーゼの十戒のように左右に別れた人だかりの間を笑顔で通っていくに違いありません…と、このように、空想はどこまでも自由なのですね。

空想をするときわたしたちは、他者の気持ちや、その人の目から見える景色や身体の感覚を想像してみたり、自分の中に眠っている願望を外に出したり、それをかぎりなくリアルに想像したり、自分の想定していた範疇の外の可能性を探ったりしますよね。

すると、自分のものの見方が変化したり、決めつけていたことが崩れて新たなアイデアを得たり、現実の可能性が広がるのがわかったり、思いつきを拾いやすくなったりします。これは、現実世界でなにかを決断しようというときや、新たなことを始めるための企画を考えるときや、ものごとをこれまでのやり方を改善して押し進めようとするときにも役立つ力です。

空想なんかしていたってなんの役にも立たない、ということはないのですね。行動に出るときに、現実を動かす大きな力になるのです。本当に馬鹿にできないことです。ここをたくましく鍛えておいて、損はないのです。

想像力を鍛えるためにいちばんの大切なポイントは「想像なんだから、なんでもいい」と考えて、どこまでも開き直って自由に、好きにすること。

日頃からあまり空想をしない人の多くが、いざ試してみようと思っても、現実世界に沿って考えてしまうとか、いつもの思考の癖から出られない、と感じたりするものなのですが、それでも、やっているとどんどん変化します。イマジネーションは、使えば使うほど自由になっていきます。

これは、やっているとどこかで、自分の頭の中を自由に開放する、という感覚になります。変なものが出てきちゃっても、出血大サービス的な(?)、まあいいじゃないの~どんどん出ていらっしゃい!という、自分に対してオープンな感覚です。自分で考えているというよりも、自分の頭に浮かんでくることを見ることに対して開いた感覚です。

この自分に対してオープンな、見えるものは加工せずにそのまま見ちゃおう!という感覚は、シックスセンスとつながっています。

わたしには霊感というものはなく、日頃から幽霊が見えたりすることはまったくないのですが(しかし音は聴こえます)、連絡が来る人が事前にわかったり、ブログを書いている最中にコメントをくださる方が見えたり、コメントの内容もなんとなくわかったり、お写真を見たときにいろんな情報がただ頭に浮かんで見えたり、ということは日常的に常にあります。

わたしの感覚では、それが特殊なことなのではなくて、みなに備わったものだと感じられます。ただ、意識できていなかったり、つかめていなかったりするだけなのです。なので、あまり頭で考えないでイマジネーションを自由に遊ばせる時間をもつことは、現実世界を生きる自由度をあげるためにも、自分を発揮するためにも、それからシックスセンスを高めるのにも良いことだと思います。

というわけで、今日は空想をすることのすすめについてのシェアでございました。どなたかの参考になりますように。

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)